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#かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~ 28巻 【完】 評論(ネタバレ注意)

あらかじめお断りしておきますが、この感想はそれっぽい引用をパッチワークのように適当に繋ぎ合わせて並べてそれっぽく憶測というか妄想しているだけで、作者の赤坂アカが何を考えているかなんて私は当然全然わかりません。

 

名門の子女が集う名門学園の生徒会長・白銀御行と副会長・四宮かぐや。プライド高いエリート同士、美男美女同士の「告白した方が負け」。

ヤンジャン編集部が公然と「天才」と呼んで憚らない、稀代のラブコメメーカーによる恋愛マウント駆け引きバトル。

いけ好かない初期設定ながら、「ポンコツは七難隠す」。

「かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~」28巻より(赤坂アカ/集英社)

美男美女の天才たちを敢えてポンコツに描く流行の手法で好感度を稼ぎ、

「どこが『天才たちの恋愛頭脳戦』やねん!」

とのツッコみを誘いながら愛されてきた作品。

最終巻。

ジャンプコミックスとヤンジャンコミックスは伝統の「枠」が邪魔で連結表紙に向かないな。

 

レギュラー陣総出による2冊連結の表紙が示すとおり、27巻〜最終28巻は作品の山場・クライマックスを越えた、エピローグモード。

24巻までは「ものすごく面白い」ラブコメでしたが、作者のモチベが下がっていろいろ雑になったせいで「普通に面白い」ラブコメになって完結しました。

27〜28巻のエピローグ・エピソード群も、まるで

「ずっと前から温めていて、細部はそのうち詰めようと思ってたプロット」

を、細部を詰めずにそのまま漫画にしたような出来でした。

ある意味、義務感で描かれたような最終巻。

TVアニメ3期・アニメ劇場版1作・実写劇場版2作の数字が示すとおり、商業ラブコメ作品としては伝説的な成功を収めた作品。

期せずして「頭脳明晰・成績優秀・実家は裕福ではない男子高校生が主人公」という共通点を持つ『ぼく勉』『五等分』と並んで「ラブコメ三強」と呼ばれた時期もありましたが、自分はずっと『かぐや様』が頭一つ抜けてると思っていましたし、今でもそう思っています。

 

自分はこの作品の途中までは、具体的にいうと24巻の時点までは、『めぞん一刻』に並んで何十年も語られるような名作ラブコメになるものだと期待していましたし、そういう人は多かったと思います。その期待が重荷だったのかもしれません。

「かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~」28巻より(赤坂アカ/集英社)

重荷ならばやめれば良い。自由にすれば良い。縛られる必要はねぇ。

その通りですし、作者自身、その通りにしたのかもしれません。

選択肢として、「第一部 完」とか「高校編 完」とかつけて、「無期限の連載休止」という手もあったというか、そちらの方が評価を下げずに延々と語られ続ける作品になっていたと思いますし、作者も編集部も一度はそれを考えたんじゃないかと思います。

完結しないことによって名作であるかのように語られ続ける作品はたくさんあります。

「かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~」28巻より(赤坂アカ/集英社)

でも漫画家は情を持つ生き物でもあるから、キャラクターたちが幸せじゃないのは作者もイヤだったのかもしれない。

あるいは、飛び級で海外に進学したためにみんなと一緒に卒業できなかった白銀のように、

「かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~」28巻より(赤坂アカ/集英社)

愛すべき代表作を、自分が生んだキャラクターたちと共に卒業したかったんじゃないのか?

先ほど「ある意味、義務感で描かれたような最終巻。」と書きましたが、義務感がないよりもよほど読者に対して誠実であると思います。

でもその作者の誠実さは読者よりも、

「かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~」28巻より(赤坂アカ/集英社)

キャラクターたち、そして自分自身に対する誠実さであったようにも思います。

 

この作品で描かれたテーマはもちろん、若者たちの成長でした。

義務感で描かれたような最終回でありながら、それまでの貯金や含蓄もあって、エピローグは結局、面白かったし、感無量でした。

なんで最終回に早坂一コマも出てねんだとか、圭ちゃんの幼少期のかぐやとの思い出どこ行ったんだとか、マキちゃん編の取ってつけたような最終コマ要らねえだろとか、石上をハメた中学生が学園追放で黄光が四宮財閥幹部に居残るとかカタルシスのバランスおかしいだろとか、その他思わせぶりな伏線めんどくさくなって全部捨てやがったなとか、不満もいっぱいあるんですけど。

マキちゃんの痛みを経験しても折れることのない気高さ、本音を語ることによって自由を手に入れて青春を謳歌する早坂、ルールの正しさの更にその奥を見つけたミコちゃん、他人を支える側になった石上、敢えてトリックスターを貫いた藤原書記、自分のみならずその影響でかぐやをも成長させて彼女との対等な人間関係を手に入れた白銀。

すべてが愛おしい。

中でもヒロインのかぐやにとっての成長は、繰り返し語られた「孤高の天才でいることから降りること」でした。

「かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~」28巻より(赤坂アカ/集英社)

愚かで良いから、もっと人と愛し合おうと。

一貫していました。

随所で『竹取物語』をモチーフにした作品でしたが、まるで月の孤高に身を置く孤独なお姫様に「もう一度、地球に降りておいで」と願って伸ばし続けた迎えの手が、その月まで届いたような。

 

今作の完結をもって、作者の赤坂アカは原作と作画を兼ねる独立した漫画家(そろそろ漫画家にも「シンガー・ソングライター」のような呼称が必要だと思います)を引退して、原作専業・兼・「情報発信する何か」になるんだそうです。

自分はずっと好きですが、根本的に「画があまり上手くない」ことがコンプレックスであるようで、かといってこれ以上、上手くなりたいモチベも高くなさそう。社会人男性のスーツを描くのが下っ手くそなのと、白銀と並べた時にかぐやの頭をデカく描く悪癖は、とうとう最後まで直りませんでした。

というか「やりたいこと」の優先順位で「画を描くこと」以上のものが生まれたように見えます。

昔ネトゲやってた時に所属していた血盟の盟主が

「ネトゲで問題を抱えてる人の相談にはのってあげなさい

 でもネトゲの他にもっとやりたいことを見つけた人は引き止めちゃダメよ」

と言ってました。

 

7年半ですか、週刊連載に加えて複数回のメディア化に(好きで始めたとはいえ)他作品の原作担当との二毛作もあって、早坂以上の非人道的なクッソ忙しさだったことは想像に難くありません。

「かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~」28巻より(赤坂アカ/集英社)

そのクリエイティブな才能というか天才を発揮する場を「選択と集中」して描きたいものを描きつつ、本音を語ることで自由を手に入れた早坂のように人生を謳歌して欲しいと思います。

あなたの描く魅力的な女の子がもう見れないと思うと、本っ当に寂しいですけどね!

描きたくなったら恥ずかしがらずにいつでも描けよな!

 

みなさんにとってはどうでもいいことですが、

「14巻でそうしたように、『かぐや様』の最終巻には★6をつけよう」

とずっと思っていました。

でも★5です。★6ってほどじゃなかったです。

でも★5でも十分以上に面白いし、そもそも人生には木っ端ブロガーから著作に★6をつけられるより大切なことが沢山あります。

友達と呑んだり、まぁあとは、色々とね。

 

さて、もう一度お断りしておきますが、この感想はそれっぽい引用をパッチワークのように適当に繋ぎ合わせて並べてそれっぽく憶測というか妄想しているだけで、作者の赤坂アカが何を考えているかなんて私は当然全然わかりません。

この作品について自分が確信を持って言えることなんて、7年半お疲れ様でした、自分はこの作品を愛しています、ぐらいしかありません。

ということで。

7年半お疲れ様でした。自分はこの作品を愛しています。

 

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