地方の病院に務めるアイドルオタな産婦人科医師・ゴローのもとに双子を妊娠したお腹を抱えて訪れた少女は、彼が熱狂するアイドル・アイ(16)だった。驚きショックを受けたゴローだったが、身近に接するアイの人柄に魅了され、彼女の出産を全力でサポートしようと決意する。
だが出産予定日の当日、ゴローはアイのストーカーに殺害される。驚くべきことに、ゴローはアイが出産した男女の双子のうち一人として転生する…
ここで家族の肖像の中に、みやこさんがちゃんと入ってるのが、良いですよね。
『かぐや様』の赤坂アカの作話を『クズの本懐』等の横槍メンゴが作画、という期待作。
要約すると二周目人生は伝説のアイドルの双子の子どもだった転生チートな芸能界サクセスストーリー、サスペンス・ミステリー付き。
サスペンスでミステリーな縦軸はありつつも、横軸は主人公の2人が芸能界の様々な仕事を渡り歩いて、作者が見知った芸能仕事の裏側の機微を描写していく建て付けに。
アイドル編、リアリティショー編、2.5次元舞台編、バラエティ編、スキャンダル編ときて、最終章の近さを予感させる「映画編」。
これまで主人公たちが芸能界のいろんな舞台で渡り歩いてきた中で出会った人物たちを総動員するように、映画制作を通じて「アイを殺した犯人」を追い詰める体制を整えていくアクア。
まだ高校生のアクアの仕掛ける、これまで出会った周りの大人たちを動かして目的を遂げようとする黒幕のような動き、自分は『かぐや様』の対・四宮家エピソードで見たかった展開だな、と思います。こっちで使うために敢えて温存したんですかねw
おそらく作品のクライマックスであろう「映画編」に加えて、前巻で互いに前世の正体を明かしていなかったアクアとルビーの「正体バレ」もイベント発生。
宿題が片付けられ始め、怒涛の結末へ…と期待が高まるクライマックス突入。
昨年末の漫画感想まとめ記事にこう書きました。
「芸能界の裏側」っぽいことを描き、業界の構造や体質のみならず、その消費者・大衆をも批判の対象としてきた2023年の作品の道義的責任として、ジャニーズ事務所のスキャンダル問題を斬る章が在っても、バチは当たらないだろうとは思います。
同時に『かぐや様』実写化映画の主演にジャニーズ事務所のタレント(当時)が起用された「利害関係者」の赤坂アカには、ジャニーズ批判は無理だろうな、とちょっと意地悪な見方で見ていました。
しかし実際には、ジャニーズ事務所の問題が公になった時点で、本作の連載は既に最終章であろう「映画編」に突入していたため、そんなエピソードを差し込む隙間が物理的に在りませんでした。「斬らない」ことをもって本作を「弱腰」「ダブスタ」「ポジショントーク」「推しの子はジャニーズだけは批判できない」と批判するのは、ちょっと理不尽で不公正でしょう。
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今巻、芸能界における未成年に対する性的な搾取に触れるエピソードが挿入されました。
さて?
さて。
今巻で映画の撮影・脚本を通じて、アイの人生が回想されました。
「映画」というフィクションを通して語られるアイの人生は、過去の事実の行間をカントクとアクアの想像で補完された面も強く、
「どこまでが本当で、どこからが嘘なのか、わからない」
というアイのパーソナリティにマッチしていて、とても上手いやり方だと思います。
アイのパーソナリティ解釈に関しては、作中でカントクも「さあ?」と語るとおり、作者もわからないというか、敢えて決めていないというか、読者の想像に任せるというか、そういう感じかな、と思います。
作中でルビーが示した「アイ解釈」は非常に説得力のあるもので、カントクとアクアによる脚本と並んで、読者がアイの人生を捉えるガイドラインとして機能するものの、もう検証不能な仮説の域を出ないんですよね。
そもそも「嘘」がテーマのこの作品で、強いて「本当」を決める必要もなく、アイの内心はブラックボックスのままの方が面白い。
ただ、この重要な局面でヒロインのルビーが、「役割」ではなく初めて熱を持った感情を示すことで主人公ヒロインになった気がしますね。
内心がわからないままのミステリアスなアイに対して、内心をベラベラ喋るルビーですけど、
それも含めてセリフとシンクロしてルビーらしい、いいエピソードだった。
さて。
いくえみ綾の作品は、「執拗に」というより「自然に」、その大半において主人公の家庭は「父親不在」あるいは「母親不在」の、いわゆる「片親」の家庭であることがほとんどです。
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いくえみ自身の生い立ちによるものなのか、作劇のしやすさなのか、ただの手癖と呼ぶべきものなのか、その由来を自分は知りませんし、「失われた母性」「失われた父性」を意識・無意識に求めることが言動や生活・人生に影響を与えることは、現実でもフィクション作品でも珍しくありません。
ただ、漫画作品としては、残った母親キャラ・父親キャラを、「親」という装置・役割から解放して、「恋愛もする(こともある)一人の女/男」にする効果があるなあ、などと思いながら、いくえみ作品を読んでいました。
今巻でアイの母親が登場しましたが、そういえば赤坂アカの代表作『かぐや様は告らせたい』の主人公二人の白銀とかぐや、『【推しの子】』の主人公たち、のアクアとルビーと
アイも、もっと言えば吾郎とさりなも、なんらかの理由で「父親不在」もしくは「母親不在」もしくは「両親不在」だなあ、などと思いました。
こちらも赤坂アカの生い立ちによるものなのか、作劇のしやすさなのか、ただの手癖と呼ぶべきものなのか、その由来を自分は知りませんし、「失われた母性」「失われた父性」を意識・無意識に求めることが言動や生活・人生に影響を与えることは、現実でもフィクション作品でも珍しくありません。
漫画において未成年の主人公を主体的に自由に動かす上で、「親の不在」は「便利な設定」ですしね。
が、赤坂アカという注目の作家の作家性を考える上で、「主人公と母親」「主人公と父親」は今後もキーになるのかもしれませんし、ならないのかもしれません。
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