第二次世界大戦・独ソ戦における「戦争と女」をテーマにした作品で、原作はベラルーシ(旧ソ連)の女性ジャーナリスト、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチのノンフィクション。
独ソ戦で赤軍に従軍した女性500人を1978年から1984年にかけて取材、ペレストロイカ後の1986年に出版(日本語訳は2008年)、作者は2015年にノーベル文学賞を受賞。
本作『戦争は女の顔をしていない』のコミカライズは『狼と香辛料』を担当した小梅けいと、監修は漫画『大砲とスタンプ』などミリタリーへの造詣のほかソ連ガチ勢として知られる速水螺旋人、という布陣。
1巻末の速水螺旋人の解説によると、独ソ戦における敗戦国ドイツの死者800万人に対し、戦勝国ソ連の死者はドイツの3倍以上の2,700万人。全人口1.9億人の約15%を4年間で喪ったとのことです。
ノンフィクションで、物語みたいな救いなんかないです。
ご存知の通り、ここで語られる悲惨な戦争を潜り抜けた旧ソ連の国々は、ソ連の崩壊を経てそれぞれに独立。
2022年2月、ロシアがソ連時代の同胞だったウクライナに侵攻、2024年8月現在も未だその侵略戦争が継続しています。
私はロシアのウクライナ侵攻に強く反対し抗議し、ロシアの即時撤兵を求めます。
さて。
自分は原作に当たる翻訳本も読みましたが、
本コミカライズは「原作」とエピソード順を入れ替えて、共通するテーマを感じさせるエピソードが、ある程度連続するように構成されているように見えます。
もっとも、自分が読んだ翻訳本も、原語版の全てのエピソードを翻訳・収録してはいないようで、日本語訳の初版以来、何度かエピソードが追加されてきたようなんですが。
本コミカライズの今巻、特に前半には
「戦場にあっても『美しく在りたい』気持ちを捨てられない女たち」
の姿が描かれました。
作中に描かれるとおり、当時の軍の多く将校たちから見た彼女たちのそうした側面は「兵士としての惰弱」に映っていたかもしれませんが、こうして歴史として振り返ってみると、そうした彼女たちの在り方がむしろ「逞しさ」や、戦争にも曲げられない「生き物(人間)としての防衛本能」「本質的な強さ」にも見えてきますね。
個人の心、意識・無意識の中には、戦争ですら踏み込めない領域が在る、といういうべきか。
軍の中で兵士としての機能を求められ、前線で生命の危険が迫る極限状態にあっても、
「きれいでいたい」
「可愛くいたい」
「在りたい自分で、在り続けたい」
という当たり前でささやかな夢が
「きれい」とか「可愛い」とかより愛おしく思え、それを許さない状況がとても残酷で理不尽なものに思えます。
戦争なんで、それはそう、というか、
「当たり前でささやかな夢が許されないのが戦争」
というか。
本作今巻の公称発売日は、KADOKAWAの出版スケジュールに従って他のコミックス新刊と同じく盆明けの8月16日、奇しくも「終戦の日」の翌日になりました。
なにかこう、
「『戦争』はまだ終わっていない」
ことを暗示してるかのようだな、と思いました。
もちろん、ただの偶然なんでしょうけど。
aqm.hatenablog.jp
aqm.hatenablog.jp
akibablog.blog.jp