#AQM

あ、今日読んだ漫画

#海が走るエンドロール 7巻 評論(ネタバレ注意)

65歳にして連れ添った夫を亡くした、うみ子。

『海が走るエンドロール』7巻より(たらちねジョン/秋田書店)

夫とデートで行った映画館の記憶に触発されて20年ぐらいぶりに映画館を訪れる。

上映中に昔からの癖で客席を振り返って見回すと、先ほどロビーで肩が当たって挨拶した美しい若者と目が合ってしまう。

その若者は名を「海(かい)」という実は男性で、話すうちにうみ子に「あなたは映画を作る側では?」と指摘する。

海の言葉で「映画を撮りたい」気持ちに火がついたうみ子は、海が学ぶ美大の映像科を受験して入学。

『海が走るエンドロール』7巻より(たらちねジョン/秋田書店)

かくして齢65のうみ子の、映画人生が始まった…

という、老境のご婦人を主人公に置いた青春もの。

主人公に老境のご婦人を置いていて必ずしも読者層ターゲットが少女なのかどうかはわからないものの、ヒロインが「王子」と「自分の運命」とに同時に運命的・衝動的に出会う導入、多用されるヒロインのモノローグ、ガワは違っても骨格自体は純然たる少女漫画であるように、自分には見えます。

「『65歳で映画監督を志して美大入学』で起こりそうなこと」を奇を衒わずに丁寧に描写。

『海が走るエンドロール』7巻より(たらちねジョン/秋田書店)

高尚そうなテーマ、俗っぽいキャラ萌え、擬似恋愛的にも見える人間関係を織り交ぜつつ、地に足のついた丁寧な展開と描写で、いろんな切り口で楽しめそうな作品。

順風満帆とまではいかなくとも、気力充実して映画制作に取り組んでいたうみ子は過労で倒れ、モチベーションががっくり下がり、そこから再起。

気がつけばうみ子は3年生に、そして海は4年生に。

『海が走るエンドロール』7巻より(たらちねジョン/秋田書店)

周囲の学生たちは就職活動を控えて戦々恐々とする中、うみ子と海はそれぞれ監督作品を「ぴえフィルムフェスティバル」、略してPFFに出品。

うみ子の作品が落選する中、SORAが入選、海はグランプリを獲得。

海やSORA、周囲の学生たちの若さと自らを比較して、残された時間の差、自分の持ち分の少なさに理不尽さや焦りを感じるうみ子。

今巻はそんなうみ子に海からの誘い、海の作品が出展されるカナダの映画祭への招待。

作品自体がそうですが、人から人への影響を「波紋」「波」として液体で形容する表現が強調された巻でした。

『海が走るエンドロール』7巻より(たらちねジョン/秋田書店)

美大に限らず、志の方向や分野を同じくする者を同じ環境に集める効能って、こういうことなんでしょうね。

「なるべく良い影響を受けたい」ではなく、波はただの波で良い悪いではない、というか。

うみ子が置かれる状況は前巻から何も変わっていないというか、むしろ時計は進んでいるんですが、映画祭の雰囲気やリスペクトされたことだけが理由ではなく、少し展望が拓けた気が、うみ子ではなくただの読者である自分が勝手に感じています。

残された時間の少なさに理不尽を感じる気持ち、海が起こす波に焦らされる気持ち、無責任なことを言えば、それを映画にすればいいだけの話、みたいな。

『海が走るエンドロール』7巻より(たらちねジョン/秋田書店)

それがこのように漫画になるなら、映画にだって、ねえ。

それにしても、ネガティブな感情の蓄積がないと創作できないが、ポジティブも褒められないとモチベが上がらない、という、クリエイターというのは難儀な稼業ですねw

 

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