いい表紙だ。
高校新入生の鳩野ちひろ(15・♀)は、高校に入ったら軽音部に入ろうと、ど素人の陰キャながら意を決して高価なフェンダー・テレキャスター(ギター)を購入。
軽音部に入部したものの、待っていたのは微妙ながら確実に存在する、「思ってたのとちょっと違う……」の連続だった……
という青春部活もの。
原作漫画(?)に、メジャー化にあたって作画担当を付けて、という感じらしいです。
三白眼気味、『パプワくん』の柴田亜美を彷彿とさせる、作中でも「美少女」然としては描かれないヒロイン造形。
「なのに」というか、「だからこそ」というか、はとっち可愛カッコいいんですよね。
素人ながら陽キャの唯、凄腕ながら陰キャのぼっちちゃんに対し、「素人で陰キャ」という負の要素で固められたスタートの主人公ヒロイン。
「ぼっち具合」「陰キャ具合」というか、高校デビューの噛み合わなさ、思いどおりにいかなさ、それでいてどこか達観して己を知っててタフな「めげない陰キャ」感、ちょっと『スキップとローファー』を思い出しますね。
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「好きなもの同士で自由にバンドメンバーを組め」という陰キャには厳しすぎるバンド編成、下手くそな自分に相応しいイマイチなバンドメンバー、男女関係のもつれで続々と退部していく部員たち……という、嫌な意味でリアリティあふれる軽音部の描写。
こんだけ「普通の軽音部」の負の面を強調しつつも、ウェットなはずの出来事なのに、描かれ方の湿度が低くてカラッとしてんですよね。
ここまで軽音部の1年生たちとはとっちに起こっていることとしては、
・とりあえずで組んだバンド群(とカップル)が「思ってたのと違う」で破綻し
・破綻を反省に新たなバンド群が組まれ直し
・はとっちが屈辱を通じて「自分の現在地」を思い知り
・それをよそに幾人かがはとっちの才能の片鱗を見い出し
というところ。
「今どきの高校生が演るには、選曲が読者層のおじさんおばさんに媚びてないか」
という話も聞こえますし、そういう面もあろうかとは思いますけど、そもそも高校生が描いてるわけないんだし、ムリ言うなよ、とw
他社出版社作品で成功例の多い「バンドもの青春漫画」ですが、良くも悪くもバトルもの中心のジャンプ系らしい作劇だな、と思います。
青春ものながら必ずしも「誰も悪くない」シチュエーションばかりではなく、ヨゴレの悪役や大衆的モブキャラの悪意が話を動かしてトラブルや状況を作ることも多く、
無垢な主人公たちベビーフェイスが、ルフィのようにぶん殴る代わりに「バトル回」ならぬ「ライブ回」のバンドパフォーマンスでぶっ飛ばすカタルシス。
キャラの見せ場になる「バトル回」ならぬ「ライブ回」に回想シーンが入るのも、『ワンピ』によく似てます。
換骨奪胎して繰り返されても泣けるのは、「黄金パターン」の「黄金」たる所以でしょうか。
というわけで、バトルものの「バトル回」、スポーツものの「試合回」にあたる、「ライブ回」。
「学園バンドものの華」文化祭に向けて、はとっち自身の挫折と成長、バンドの人事体制が着々と噛み合っていき、文化祭本番。
前巻ではとっちたち「はーとぶれいく」も文化祭のステージに見参、軽音部入部・文化祭のステージなど夢のまた夢だった頃の回想も交えながらの、未熟ながらも4巻にして初めてのはとっちと「はーといぶれいく」の本領発揮、体育館の舞台、制服のままのライブ、どこの高校の文化祭でも見られそうな「どこにでもある風景」の素朴さながら、はとっちの資質と高揚感を示す力強いパフォーマンスの表現。
が、ありましたが、今巻はもう何といってもたまき先輩のラストステージ、文化祭の後夜祭の大トリ。
前巻までを読まずに、今巻だけをいきなり読んでも、自分たぶん泣いてただろうなあ、コレ。
日本中のどこにでもありそうな「ふつうの」青春、たどり着いた先の舞台も文化祭のステージというどこにでもありそうな舞台ですけど、たまき先輩、よくがんばったなあ。
高校の部活の最後のステージ、たまき先輩が「もう歌わない」ことが大きな要素になってることを思うと、「部活もの」「バンドもの」かつ「演説シーン」ありの「卒業もの」なんよね、今巻。
たまき先輩が主人公なら最終回であって然るべきエピソードですが、主人公ははとっちなので、アレですね。
はとっちたちが良きロールモデルとなったたまき先輩を「再現」することが主軸になっていくのか、それともたまき先輩を超える「ふつうの」何かが待ってるんでしょうか。
あ、ダメだ、絵力強すぎ。このコマだけで泣ける。
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