#AQM

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#やがて君になる 8巻 【完】/ #ふたりべや 7巻 評論(ネタバレ注意)

なんで2冊一緒くたなんだという話なんですが。

読んだ順に。


「みんな結構やりたいことがはっきりしててすごいなあ〜」

「私の傍にいることがやりたいこととか言ってなかったっけ」

「なんかもうそこは真理になった もうワンステージ上がったの」

「ふたりべや」は、しっかり者の可愛い系とぐーたら者の美人系の、高校に入学したら寮のルームメイトだった同士が、大学入ってもそのままルームシェアで同居する癒し系ほのぼの日常微百合4コマ。1巻で高校入学だった2人も早や大学3年生でそろそろ就職活動も気になるお年頃に。

エキサイティング要素やキレキレのギャグ、切ない恋愛模様とかそういうのなくて、可愛い女の子たちのキャッキャウフフに癒されたい人向け。

扉絵のカットではド百合イラストだったり、作者は別作品でド百合を描いていたりしますが、1巻発刊から5年ほど経つ間に作中でも5年ほどが経過して、高校1年生が早や大学3年生ですが、特に百合的に決定的な事件やイベントや「恋人」の自意識もないまま、いちゃいちゃほのぼの微百合同居日常のまま社会人になってしまいそうな勢い。


「たしかに私と侑は間違いなく『付き合ってる』し『恋人』だけど
 その言葉で説明できる気がしなくて」

「ずっと一緒にいてもきっと私たちの関係は変わっていくから
 だから名前をつけなくても ただの私と侑でいいかなって」

一方の「やがて君になる」は、中学の卒業式に男子に告白されて返事を保留したまま高校に入学した侑(ゆう)が主人公。生徒会の才媛・七海先輩が男子に告白されて断るところを偶然見てしまった縁で恋愛相談したら「自分も恋がわからない」と言ってくれて、自分と同じだと思ったら「君のことを好きになりそう」と言われキスまでされてしまった、で始まる「恋する気持ちがわからないはず同士」のガチ百合漫画。

先輩のコンプレックスからくる謎の言動に侑が振り回される山あり谷ありの恋愛もので、最終巻となる今巻では冒頭で互いに想いを打ち明けて結ばれ、1冊かけたエピローグのような中にはセックスの描写もされるなど、二人の関係がかなりハッキリと性愛として描かれます。

最終話で「そして数年後」の二人とも高校を卒業した後が描かれますが、基本的にはヒロイン二人の高校時代が舞台です。


たまたま近刊の発刊日が近かった、開始から5年近くが経過した「同期」に近い作品で、ジャンルとしては同じ百合漫画で、主人公の高校1年生時点で話がスタートし時間が流れて登場人物が年齢を重ねる、いわゆる「非サザエさん時空」であるなど、共通点の多い2作品です。

が、「ふたりべや」が作中で5年間一緒に暮らす主人公二人の関係を「一生一緒にいる」と言わせ、子犬同士がじゃれるようにスキンシップ多めなものの、作者本来の志向にも関わらず性愛として描写することを徹底的に避ける日常4コマの「匂わせ」百合であるのに対し、「やがて君になる」は高校生活の1年間以内の出来事を切り取りつつ、恋愛としての心の動きをドラマチックに描いたストーリーもののガチ百合で、とても対照的な作品です。

まあ、普通に考えて4コマ漫画でセックスってなかなか描かないですけど。


対照的なんですが、「やがて」の結ばれた末の七海先輩の「二人の関係に名前をつけたくない」というセリフが、むしろ「ふたりべや」の話をしているようで、実は通底するものはやっぱり共通なのかな、と思って面白く感じました。

百合漫画は雑に大別すると「ガチ百合」と「匂わせ百合」に分類できるのかな、と思ってるんですが、百合漫画に限らずヘテロ恋愛漫画でもBL漫画でも、外野である我々読者は恋愛要素を見つけると「くっついて欲しい」とか「匂わせに留めてこそ尊い」とか勝手なことをいうわけなんですが、百合やBLが表現する同性愛はリアルの世界ではまだまだ差別や偏見も強く、社会制度の整備も過渡期もしくは後退する可能性すらある不安定なもので、理解者ヅラしながら「禁断の恋」としてエンタメとして消費して楽しんでいる自分に後ろめたさを感じつつ、漫画のやることなので同性愛の現実とは乖離している面もあるんでしょうねと思いつつ、ヒロインたちに「幸せになって欲しい」と感じるのはリアルとフィクションの区別がついてないんだろうかとか、複雑な心境ですね。なんの話してたんでしたっけ。


百合においては多くの作者や読者が奥ゆかしさを美徳とする向きもあり、肉体関係を結んだことを示す描写がされる作品は今のところ稀ですが、一方で読者としては「二人に思う存分いちゃいちゃして行くとこまで行って幸せになって欲しい」心理もあって、肉体関係を結んだ描写や「『そして〜年後』にも一緒にいる」というのはヘテロ恋愛のラブコメにおいてもハッピーエンドのメルクマールの一つで、「やがて」の畳み方においては作者が描きたいことと読者のそうした願望が一致した例なのかな、と思います。

「やがて」は漫画作品としてはTVアニメ化もされた人気作ですが、引き延ばすでもなく、かといって描き残したこともなく「くっついた後」にほぼ丸一冊かけることをゆるされた、いろんな意味で幸福なエンディングを迎えた作品でした。


一方これからも続く「ふたりべや」はおよそ肉体関係が発生しなさそうな漫画ではありますが、たとえ肉体関係があっても「とっくに済んでるけどわざわざお前らにそんなもん見せるわけないだろ」で終わる話のような気もします。

リアル5年・作中5年も続いてますが、むしろ「まだ」5年のような気もして、日常ものなんで終わろうと思えばいつでも終われるとは思うんですが、50年後も続いてて「かわいいお婆ちゃん同居微百合漫画」になっていそうな気もして、日常もの長寿漫画は年齢固定制が多い中、「一緒にお墓に入ったエンド」もそれはそれでちょっと見てみたい気がします。

 

百合に限らず漫画はティーンエイジャーが主人公であることが圧倒的に多く、百合においてはその畳み方のほとんどは「これからもずっと一緒エンド」か、もしくは「お別れエンド」ですが、どんな完結の仕方であれ、漫画が完結した後の方が永く続くであろう彼女たちのその後の人生が幸多くあって欲しいと、百合漫画が完結するたびに野次馬なりに思います。

どちらの作品も、登場人物の関係に、本人たちの心情を無視して安易に性急に名前をつけてタグ付けやカテゴリー分けをされることをやんわりと拒んでいるような感じが、私のような野次馬な読者をチクリと刺しにきてる気がして、新たな後ろめたさも感じます。実はこのどう転んでも当事者性を獲得できない疎外感こそが、私にとっての百合漫画の魅力だったりするのかもな、と思ったりもします。

 

ふたりべや (7) 【電子限定おまけ付き】 (バーズコミックス)

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