#AQM

あ、今日読んだ漫画

#機動戦士ガンダム #逆襲のシャア友の会 評論(ネタバレ注意)

 

概要

 1993年末に刊行された同人誌「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア 友の会」が、商業出版のかたちで復刻されることとなった。

 「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア 友の会」で企画・発行人・責任編集を務めたのは『エヴァンゲリオン』シリーズ、『シン・ゴジラ』等の監督/総監督として知られる庵野秀明。「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア 友の会」はインタビューと寄稿を通じて『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』を検証・総括することを目的として制作されたものである。

 同人誌ではあるが、錚々たる顔ぶれが揃っている。インタビューには庵野秀明も参加。様々な角度から『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』が語られており、ファンにとって興味深い一冊であるはずだ。

 なお、復刻作業はオリジナルの同人誌を忠実に再現するかたちで進められたが、デザイン、テキストに関しては僅かではあるが、修正が施されている。また、イラストの一部、人物写真については現物が行方不明であり、オリジナルの同人誌の誌面スキャンを使用した。そのためにオリジナルの同人誌と差異が生じていることを、予めお断りしておく。

 ※本商品は「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア 友の会[復刻版]」本誌とリーフレットがセットになった商品です

(Amazonの商品概要テキストより)

 

というわけで届きました。

裏表紙。

 

大きさこんくらい。

奥付までコミで108ページ。

『逆襲のシャア』は1988年公開なので、その5年後に刊行された同人誌の、商業出版による復刻。自分はオリジナルは読んでないので今回が初見です。

基本、インタビュアーは庵野秀明、1960年生まれで1993年当時は33歳前後。『ナディア』後、『エヴァ』前(2年後にエヴァ)。

インタビュー補助に小黒祐一郎、小川びい、井上伸一郎など。

 

すいません、また長いのであとで読んでください

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以下、概略や寸評、印象的なやり取りなど。

本書中の掲載順。肩書きなどは本書中の記載に準拠。

 

各項

序文 庵野秀明

・三島由紀夫を引用しつつ

・アニメへの絶望、業界批判、閉塞感

・この本を作る動機

この人『エヴァ』みたいなアニメ創りそう感がすごい。

 

寄稿 あさりよしとお(漫画家)

・富野はイデオンで出し尽くして出涸らしになって壊れてオワコン

・職人としてはたいしたもん

・作家性は酷評

サゲてアゲるのかなと思ったら最後までボロクソのまま終わってワロタ。

開幕から容赦ねえなこの本w

 

寄稿 大月俊倫(スターチャイルドレコード・チーフプロデューサー)

・ガンダムとは

・富野アニメは光芒

30年前のテキストなのに、現時点の自分のガンダム観にとても近い。

光芒か…そうだな…光芒だ…

 

寄稿 會川昇(脚本家)

・突然の『紅の豚』作家性DIS

・逆シャアラストでホッとした理由

「ガンダム=富野」の絶望にいちいちシンクロして浮き沈みする「ガンダム世代」であることを自覚しつつも、「エンタメやるぞ」という現役の作り手らしい述懐。

 

寄稿 早見裕司(小説家・教師・アニメライター)

・富野アニメではいつも誰かが怒ってる

・なんか「朝まで生テレビ」みたい

戦争ものも富野も苦手なのに同人誌の付き合いで『逆シャア』観たのを隠しもしなくて潔い。

 

寄稿 此路あゆみ(一ガンダムファン)

・イラスト1ページ(νガンダム)、テキスト1ページ

・映画として不完全

・ガンダムファン以外は観るな

当時は「続編もの」映画がまだ珍しかった背景が窺えて、続編ものでも創ってる方は一応「ディティールが理解できなくても雰囲気と大枠で、単品でも楽しめる」つもりの作品はその後増えたし、『逆シャア』も意外とそう志向して創られていたようにも思う。

 

対談 山賀博之(ガイナックス社長で映画監督)×庵野秀明

・アニメブームじゃなくてガンダムブームだった

・ガンダム観ちゃったからもうロボットアニメ作る気しない

・富野は苦しんでいて不幸で美しいが、自分は美しくなくていいから幸せになりたい

自分が関わった作品を「ガンダムのパクリ」とこき下ろす暴言スレスレなシニカルで粗野な語り口だけど、富野の生き様と仕事に対する「あんなのには勝てない」というちょっとした絶望と、「いい大人がアニメ作ってて恥ずかしい」と憮然と苦悩しながらそれでも真剣にアニメと向き合って創ることでしか生きられない富野の狂気に対する呆れ混じりのリスペクトと、憐憫を感じる。

この人の富野観・宮崎観、自分はすごい好きかも。

庵野が「自分は宮崎派」と言いつつ相槌のドサクサにちょいちょい宮崎をDISっててジワりつつ、当時の次回作予定だった『エヴァ』の構想というか、そういうものを少しだけ語っている。

碇ゲンドウっていろんなもののメタファーだったけど、庵野世代にとっての『ガンダム』のメタファーでもあったのか。

 

対談 井上伸一郎(元「月刊Newtype」編集長)×庵野秀明

・仕事の関係で富野の過去の製作アイデアメモを預かって整理している

・当初は『Zガンダム』のサブタイトルが『逆襲のシャア』だった

・シャアは富野 全部富野だけど特にシャアは富野

井上伸一郎という人は、最終的にKADOKAWAの代表取締役副社長とかまで出世した人なんで色んな仕事やってきてる人なんですけど、自分の中では「『FSS』の永野護のブレーン」という「宮崎駿に対する鈴木敏夫」みたいなイメージがあって、その人と庵野秀明が喋ってんのはちょっと面白いなと思います。

インタビュー自体は『逆シャア』そっちのけでアニメ業界批判に。この2年後に庵野が『エヴァ』創ると思うと、なにか暗示的な会話にも見えます。

来月、新潟の国際アニメ映画祭で実行委員長?を務める井上伸一郎と、永野護・川村万梨阿(『逆シャア』クェス役)夫妻のトリオによるトークショーが行われるとのことで、自分が死ぬまでに一度ぐらいは「生井上」、「生永野」、「生万梨阿」の尊顔を拝みに行くかと、転勤族の自分はいま宮崎県在住なんですけどちょっと新潟に足を伸ばそうかなと思います。

もう飛行機もホテルも押さえたので、仕事やらコロナやらでトラブったら泣く。

 

寄稿 鶴田謙二

・イラスト1ページ(チェーン・アギ)

そうだな、チェーンいいよな。

 

対談 内田健二((株)サンライズプロデューサー 『逆襲のシャア』プロデューサー)×庵野秀明

・小学生向けの新作を作って欲しかったが、富野が決着つけたがった

・インテリジェンスの映像化が富野作品の本質

・これからの「ポスト富野」ガンダムに向けた逡巡

個人的には富野作品の作家性の大ファンなんだけどビジネスとして成立させなきゃいけない、という矛盾を孕んだ立場で仕事をした大人の人、という印象。

「富野のやりたいこと」を受け止めた上で「これをどうやって会社の会議に通すんだ」「具現化(デザイン、作画、動画)できる奴がどこにいてどうやって連れてくるんだ」ということを仕事にして、更に「富野をガンダムから解放しつつ、富野の代わりにガンダムを創れる奴を見つけて育てる」という難題を、外野からごちゃごちゃ言うんじゃなくて「自分の仕事」として取り組んでいる人がいる、と言う視座が新鮮だった。

この人にとっては「俺だったらどうするか」って妄想じゃなくて、リアルにスポンサーと富野と相対しながら「これが俺の仕事」だったんだな、と。

 

寄稿 サムシング吉松

・4コマ漫画1ページ(1本)

・「ぎゃくしゅうのシャアのビデオをちゃんと見てかきました。」

くっだらなくて草。

 

対談 北爪宏幸(監督・キャラクターデザイナー 『逆襲のシャア』キャラクターデザイン・作画監督)×庵野秀明

・作画しか見てなかったし、完パケの最終盤も見ていなかった

・やってる最中は富野が何をやりたいのかよくわからなかったっぽい

・復刻にあたって、本人の「現在の北爪の見解とは違います」との追記有り

キャラデザと作画監督という、この頃の富野作品のキャラクタービジュアル面での顔というか、目立つポジションにいた人ですけど、自分を一アニメーターの枠に規定していて、こんなに富野と意思疎通できずに仕事してたのか、とちょっと驚く。作家性の強い作品を大プロジェクトとして創るというのはこういうことなのか。

富野が「監督」という肩書きは伊達じゃないというか、優秀でも自分の守備範囲の心配しかしない、自分を理解してくれないスタッフたちを監督として束ねて作品を創ることの大変さ。作画監督が「実写でやれば良くね?」と思ってたというのにはちょっと笑ってしまった。

小説、作詞、脚本、絵コンテ、演出、はできるけど、絵コンテ以上の絵を富野自身が描けないこともたぶん重要なファクターで、自分で絵が描けてキャラデザも作画監督もやっていたらもっと視聴者に伝わっていたかもしれない反面、もっと寡作だったろうし、早死にしてただろうと思う。

 

寄稿 出渕裕

・イラスト1ページ(ギラ・ドーガ)

対談 出渕裕(メカデザイナー 『逆襲のシャア』モビルスーツデザイン)×庵野秀明

・繰り返し観る、Zに遡って観る、をしてこその作品

・クェスの生身宇宙遊泳で富野と軽く揉めた あのオヤジ可愛い

・仕事はしたけど原作小説なんか読んでねえよ

こっちはメカデザインの人ですけど、キャラデザの北爪とは逆にメカデザインを通じて「こっちのデザインの方が動かした時に映画が面白くなる」と作品の演出意図に介入しようとしていて面白い。でも原作小説は「そんなもん読んでねえよ!」ってw

話を聞いてると「リアリティ」と「アニメがつく嘘」のバランスラインを、富野は出渕で計っていたようにも聞こえる。

そう言う意味では、

「監督の作家性や演出意図を理解してくれないスタッフ」

「理解した上で『それは、ナイ』と言ってくるスタッフ」

というのは、監督・演出家にとって「最初の観客」なのかもしれないのかな、と。

 

対談 鈴木敏夫(株式会社スタジオジブリ・プロデューサー 元月刊アニメージュ編集長)×庵野秀明

・鈴木敏夫、富野を大好きすぎ問題

・副編集長〜編集長時代に富野に『逆シャア』原作『ハイ・ストリーマー』をアニメージュに連載させた

・『逆シャア』の話より、鈴木自身や宮崎駿や高畑勲の後のジブリ勢と富野の絡みのエピソード中心

そうか、今でこそ「ジブリの人」ってイメージ強いけど、鈴木は「アニメージュ」副編集長〜編集長時代に、右手で宮崎に『ナウシカ』連載させつつ、同時に左手で富野に『逆シャア』原作小説『ハイ・ストリーマー』を連載させてたり、縁が深いんですよね。

富野が富野であること、庵野が庵野であること、そしてもちろん宮崎が宮崎であることの責が多かれ少なかれこの人にはあるような気がしないでもない。

富野大好きな割りに「右翼」、「頭おかしい」、「客観的に自分を見れる人じゃない」など形容する言葉のチョイスがひどいw

 

対談 永島収(フリーライター 元「月刊アニメック」編集)×庵野秀明

・「アニメック」、「Newtype」、「アニメージュ」でガンダム担当

・(ちょっとアセって)ね、この本って、富野監督のところにも送るんだよね?

・大丈夫ですよ、他の方はもっと失礼なこと言ってますから

長年、「富野とガンダム」を取材する仕事を歴任したこともあって、信奉者というか「富野原理主義」なところはありつつも、本人との人間関係もあるし…みたいなジレンマが面白い。

富野原理主義を突き詰めると「モビルスーツ不要論」に辿り着く点と、劇中でハサウェイに何の救いもなかったことを30年前に非常に気にかけている点が、2023年のいま読むと暗示的というか、その後の歴史を見るとガンダムってファンの

「次はこういうのが観たい」

「前のアレが気になったまま」

みたいな、スタンド・アロン・コンプレックス、ニュータイプ的な共感、無意識の集合みたいなもの導かれて歴史が創られていく面があるな、と。

 

対談 押井守(映画監督 『天使のたまご』原案・脚本・監督)×庵野秀明

・100万人が観たけど誰も本質を語らなかった映画 観ただけ

・『紅の豚』なんて宮崎本人と付き合いがないと本質を理解できるわけがない

・富野は言葉は信じるけど、絵とアニメーター、もっと言うとスタッフ、他人を信用していない

押井守は本書中の他のクリエイターのインタビューでも、富野の比較対象として宮崎と一緒にやたら引き合いに出されて語られてるんですけど、その答え合わせになっているインタビュー。

庵野から押井のインタビュー中の言葉を聞いたゆうきまさみが

「人間を信じてないのは押井さんでしょう(笑)」

とコメントしてて草。

富野も、ターンエーの主題歌の収録に臨む西城秀樹に詞の世界観をくどくどレクチャーして、「アンタはもっと他人を信用しなさいよ」と逆に説教されたエピソードがありましたね。

 

寄稿 ことぶきつかさ

・4コマ漫画3ページ(4本)

ケーラの扱い…

 

対談 幾原邦彦(映画監督 「美少女戦士セーラームーンR」SD)×庵野秀明

・ストーリーもメカもSFも興味ない、人間だけ

・ララァが言わないあのセリフを、ナナイは言う女だと、シャアはわかっていた

・富野と宮崎は若いアニメーターを手として使って褒めるけど、若い演出家を怖がっている

・シャアとアムロの禅問答好き 禅問答してるうちにパワーダウンして弾切れとか最高

庵野と同世代というかもっと若いので、アニメ業界の閉塞感とか、「上の世代」に対する愚痴混じりの論評に走りがち。

岡田といい山賀といい庵野といい幾原といい、この世代の製作・演出畑は「アニメは死んだ」とか「オタクは死んだ」(これは2008年)とか好きよね。

というのと、この2年後に阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件と『エヴァ』の1995年を迎える…と結びつけるのは、まあただのコジツケのような気がする。閉塞感で地震が発生するわけじゃねえしな。

シャアや富野の二面性と言う意味では、『ベルトーチカ・チルドレン』だとラストでシャアが「結果的にアルテイシアが死なずに済んで良かった」とか言ってんですよね。お前を信じて死んでいった兵士たちの前でもういっぺん言ってみろ!的なw

1988年、U.C.0093にアクシズがそのまま地球に落ちていたら、その後の日本アニメの歴史はどう変わっただろうか、とか思わなくもない。先にサードインパクト起こっちゃうね、という。

 

寄稿 むっちりむうにい

・漫画1ページ

「90年代っぽい」と言えばそれまでですけど、見覚えのある懐かしい絵柄なんですが、「むっちりむうにい」で作品調べてもピンとこないんですよね…なにに似てるんだろう…

 

寄稿 ふくやまけいこ

・イラスト+手書きテキストを2ページ

クェスとケーラなどのイラスト。別にガンダムにそんなに興味ないような…w

 

対談 ゆうきまさみ(漫画家 元「アニパロ屋」)×庵野秀明

・もう『パトレイバー』描いてた時期

・衆愚とか愚民とか俗物とか、あんま馬鹿にせんでくれ(笑)

・人間信用してないのは押井さんでしょう(笑)

ゆうきまさみのデビューは『ガンダム』のアニパロなんですよね。

「学校の先輩、後輩」ぐらいしか年が離れてないせいか、仲良くて楽しそうだなオイw インタビューというか普通にゆうきと庵野の会話ログになってる上に、半分ぐらい『イデオン』の話しとる。お前らただのイデオンオタクやないか。オフ会か。

自民党政権や富野・宮崎の将来など「30年後」が度々会話に出ますけど、30年後になっちゃいましたね…富野・宮崎を2人で「元気すぎるおじさん達」呼ばわりしてるけど、30年経って当時の富野・宮崎の年齢を、庵野・ゆうきが追い越してしまいました。

ここでも「アニメブームではなくて富野・宮崎の個人の能力が業界を引っ張り上げただけじゃないか論」が。

 

寄稿 美樹本晴彦

・イラスト1ページ(アムロ)

 

対談 富野由悠季(映画監督 『逆襲のシャア』原作・脚本・監督)×庵野秀明

・『逆シャア』がそこまで好かれていたなんて全然聞こえてこなかった

・不満で拒否したものを結局全部使わざるを得なかった 「悔しいけれど、あんなものだ」としか思えていない、悔しい

・逃げて行っちゃって仮想敵になっちゃった安彦と永野の話

・(アムロに対して)お前がもっとヒーローなら、もっとカッコよく終われたんだよね!

庵野・小黒・小川・井上の4人がかりで富野にインタビューして熱い思いをぶつけてんですけど、リアル「作者の人そこまで考えてないと思うよ」がちょいちょい発生しててウケる。

有名な「富野はパンツ脱いでる、宮崎はまだ脱いでない」論も。庵野が。

そして下ネタに大喜びして放送禁止用語を連発する富野。

ただ、もともとメンタルが沈んでる時期は卑屈なぐらい謙遜する人だというのと、1993年でしょ、『Vガンダム』の頃なんで、メンタルどん底だった時期じゃなかったですっけ。どこまでが本音かわからないというか、本人もあんまわかってないんじゃねえかな。

セックスに絡めたり三島由紀夫に絡めたりしたキャラの肉付きの話、その後「ポンコツは七難隠す」メソッドに引き継がれて記号化したような気もします。

富野御大の語る人類社会論が「以下。社会発達の関係の話が続きます」って編集でぶった切られてて草。

 

総評というか個人的なこと

全体的に「業界の人」に訊いて回ってるんで、『逆シャア』論、『ガンダム』論より「富野」論にどうしてもなってしまうw

 

面白いのが、漫画家でエンタメ評論動画もやってる山田玲司が何年か前に初見の『逆襲のシャア』について動画で語った時に、シャアと富野を、1970年に自衛隊の市ヶ谷駐屯地に乱入してアジ演説の後に割腹自殺した三島由紀夫に重ねて語ってて、周囲も観てる自分も「また玲司が強引なこじつけを」っつって思考の飛躍にややポカーンとしてたんですけど、

youtu.be

この「友の会」の中で三島の話してる人間が2人いて、1人が庵野で、もう1人が富野なんですよね。

三島が死んだ時に富野は29歳とかなんですけど、自分とか同年代の奴が『逆シャア』劇場公開をついこないだのように感じてるように、富野にとってはマジで三島のあの事件も同じぐらいの「ついこないだ」感覚なんかな、とか思いました。

もともと社会派志向だし、若い時の出来事って特に印象に残るし、ましてや『逆シャア』公開当時の1988年から見たら三島が死んだ1970年なんて「たった18年前」でしょ。『逆シャア』は今から35年前…

『破』から『Q』のシンジくんってのは「決起に失敗した三島」、「決起したけど失敗に終わったシャア」を継ぐ「自覚のない三島型」というか、見方を変えれば「良かれと思って本当にアクシズ落としちゃった人」なんですね。

 

自分は年齢的にファーストガンダム世代じゃなくて再放送世代で、『Zガンダム』も再放送で観て、『逆シャア』でリアルタイムに追いついたクチ。まあ団塊ジュニアです。

「あなたにとってガンダムとは?」と言ったら、現在ではたくさんの「富野以外」によるガンダムが創られた後なので概念が拡張していますけど、自分にとっては

「富野が創ってアムロとシャアが出てくるのがガンダム」

というところはあります。

特に本書の時代、1993年はそういう人が多かったんじゃないかな。

繰り返し書きますが「自分にとっての」であって、「あなたにとっての」を否定するものではないです。

原理主義的ですが、歴史が育んだ多神教の一部にしか過ぎない自覚はあるつもりです。

 

富野にしろ庵野にしろ、おそらく宮崎にしろ、

「いい歳してアニメなんか観てないで、卒業して大人になれ」

ということをずっと言ってる人たちなんですけど、自分にとっては『逆シャア』でアムロとシャアの物語が終わったことでガンダムを卒業できた、という感じです。

なので自分にとってのガンダムは、作中のU.C.0079〜0093の14年間、現実だと1979年〜1988年の9年間で終わってます。

『エヴァ』は「卒業しろ」と言っている庵野自身が中途半端なものを作り続けたせいで卒業するまで25年間かかりましたけど。

なんで、V、G、W、ターンエー、00、seed、鉄血、age、Gレコ、全部観てなくって、自分はたいしてガノタでもないです。

「いや、お前『水星の魔女』観るとか、コミカライズやスピンオフ読んでるやん

 卒業してないやん」

って言われるんですけど、ちょっと「どれどれ」ってOBみたいな無責任な外野的な気分と、あとは「面白そうな『新作』があったらそりゃ観たいよ」ってぐらいで、「ガンダムを追いかけ続ける」「俺はガノタだ」みたいな気分は全然ないです。

なのでこの先の新作ガンダムも面白いとそれは助かるけど、つまんなくても全然平気。多分どうせ観ないから。

 

「卒業したって言いながらまたガンダムの話してるやん」

って話なんですけど、どっちかと言うとエピローグというか思い出語りしてるだけというか、ヘプバーンが死んだって『ローマの休日』をたまに観たっていいし、セナが死んでF1に興味無くなったって当時のDVD観るのぐらい許してよ、っていう。

少年時代には知らなかったんですけど、人生のエピローグって、結構長い。

新しいガンダムは、その時代その時代の若い人がその時代に観て楽しめるものであればそれでいいと思うし、そこに自分がいる必要もないし、邪魔する気もないです。

『水星の魔女』みたいに好みに合いそうな気がしたら、観客席の隅の方の席におじさんもたまに座らせてね、ぐらいで。

 

問題は、ガンダムきっかけでオタクになったんですけど、ガンダムは卒業できてもオタクは卒業できてないっていう点で、更に楽しんでる作品の多くがガンダムに影響を受けて遺伝子を継いだ作品が多い点で、そう言う意味で富野の

「アニメや漫画なんか観てないで大人になれ」

というメッセージは自分にはまったく届いてない馬の耳に念仏というか。

庵野が実写行って『エヴァ』に戻ってまた実写やってとか『シン・エヴァ』で父親殺しを完遂させたりとかって、「いい歳してアニメ」「いい歳してガンダム」を卒業したい、そう言う意味もやっぱあんだろな、と。

でも

「シャアが30過ぎてMS乗ってるのは、いい歳してガンダム創ってることを恥じてる富野の投影」

って本書でも数回出てきましたけど、それから30年経った(日本だけじゃなく)世界では、トム・クルーズが60になっても自ら戦闘機乗ってる映画が大ヒットして評価されてんですよね。

 

ただ富野さんや庵野さんに言いたいのは、自分はいつまでもアニメや漫画を観てるオタクな自分を、恥ずかしいとかこれではいけないとかは、これっぽっちも思っていないし、「アニメや漫画」と私をそういう風に育てたのはあなた達なんだし、それでいてそもそも余計なお世話なんですよ。

育ててくれた恩は忘れられないし尊敬もしていますが、オタクを卒業するかどうかなんて他人に「アニメは死んだ」「オタク・イズ・デッド」なんて言われようが、自分で決めますよ。

それが大人でしょ。その代わり何を観るかも自分で決めるけど。

と、父親に反抗するカミーユのように。

だいたい「富野や庵野がそう言うのでオタクやめます」なんて、そっちの方が気持ち悪いでしょ。

 

富野さんや庵野さんが

「自分は子どもたちの将来の可能性を棄損したんじゃないか」

「ひいては、あるべき日本社会の可能性を部分的に棄損したんじゃないか」

という責任や恐怖を感じるのは、立場やその結果的な影響を考えると当然というか必然だと思うんですけど、確かに悪いことも色々あったけど、でも悪いことばかりでもなかったと、自分は思うんですけどね。

作品を社会に受け入れてもらうための苦悩も知らない、社会に対して思索もせず責任を負おうともしてない、クリエイターになれないオタクの戯言に聞こえるかもしれないですけど、言っとくけど、クリエイターだけが世を憂いてるわけでもなければ、クリエイターだけが仕事なわけでもないですからね。

観てる方はアニメ観る以外なにもしてないと思ったら大間違いで、あなた達の見えないところで、大人になって自立して仕事して家庭を築いて子どもを産んで人を育てて、それぞれのポジションでがんばってる富野チルドレンや庵野チルドレンもまた、たくさんいるんですよ。

愚民で衆愚で俗物でアンタバカァ?ではあるかもしんないけど、映画作るときだって周りのスタッフはそうだったでしょw

社会が今こうあるのは大人の責任と、あと天変地異とかもあるんだけど、俺らもオタクのままだけど一応大人になったんで、不満はあるかもしんないけど、だからって割腹自殺とかサードインパクトとかアクシズ落とすとか一人で押し返すとかじゃなくて、その責任は一緒に背負いませんか、と。

なんか父親に認めてもらえない子どもの愚痴みたいになったな。

上にも書いたけど自分は団塊ジュニア世代なんですけど、三島由紀夫が自決したのが45歳、富野が『逆シャア』創って公開したのが47歳とかの頃で、ちょうど今の自分ぐらいの年齢の頃なんですよね。

 

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