#AQM

I oppose and protest the Russian invasion of Ukraine.

FSS (NT2023年3月号 第18巻相当) 評論(ネタバレ注意)

ファイブスター物語、連続掲載継続中。

「第6話 時の詩女 アクト5-1 緋色の雫 Both3069」。

扉絵コミで13ページ。

  

他の号はこちらから。

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以下、宣伝と余談のあとにネタバレ情報を含んで論評しますので閲覧ご注意。

 

 

 

 

 

 

 

(余談)

ということで、3月に、新潟で。

 

1月以来、変な記事を複数書きました。

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『逆シャア』の評論インタビュー集では、3月に新潟で永野護・川村万梨阿夫妻とともにトークイベントに登壇予定の井上伸一郎氏が、インタビュイーとして庵野秀明にインタビューされつつ、庵野と一緒に富野由悠季にインタビューもしてました。

富野はインタビュー中、チラッと永野護の話も。

更に余談ですけど、富野由悠季が半年前のインタビューで『重戦機エルガイム』と永野護について回顧して語ってる動画があるので、もし未視聴であれば。

youtu.be

「最近それなりにブイブイ言ってる永野護って奴」「に足を引っ張られた」と言いつつ、永野が自分と同じ土俵に乗っていることを認めちゃう、いつもの富野節。

『エルガイム』の次に『ブレンパワード』の話してて、

「なんでリハビリって言いながら、さっき喧嘩した話した永野呼んじゃうんだよ!!」

ってツッコミたくなるw アンタどんだけ永野好きなんだよwww

頑固親父のブライトさんは、ファースト『ガンダム』中盤まで扱いにくくてやたら反抗的な部下だったアムロを、ロンドベル立ち上げたらそれでも呼ぶし、『逆シャア』作中では肩を並べる「戦友・同僚・同志」としていつの間にかタメ口になってんのとか、なんか富野と永野の長年の関係の変遷を彷彿とさせますよね。

ブライトさんもスポンサーならぬ連邦軍上層部に「アムロを呼ぶ?あいつはダメだ」とか言われて、「あいつ居ねえとシャアと戦えねえだろ!?」とか交渉してたんかなとかw

あと、なにげに聞き手の市川さんの、富野作品に対する知識・教養と作品理解の深さが素晴らしい。

 

富野由悠季と宮崎駿は1941年の同年生まれ(1学年違い)なのは有名ですけど、富野チルドレン第一世代の庵野秀明と永野護も1960年の同年生まれ(1学年違い)なんですよね。

『逆シャア』でメカニックデザイナーから永野が降板した後に、当時ガイナックスにいた庵野が入れ替わりで参加していたりとか、世代論というか年齢論で言えば、

・富野由悠季は1987年、46歳で『逆襲のシャア』を制作発表、翌年公開

・庵野秀明は2006年、46歳で『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』を制作発表、翌年公開

・永野護は2006年、46歳で『花の詩女 ゴティックメード』を制作発表、6年後公開

と、46歳の時にキャリアのターニングポイントとなるアニメ映画監督作品、の制作を決断し発表している点も、共通しちゃう奇縁があります。

だからなんだって話なんですけど、46歳ってなんかあんのかねえ。ちなみに三島由紀夫が自決したのが45歳。

あと永野護は21歳の時にシャアのコスプレをして、その2年後に庵野秀明は『帰ってきたウルトラマン』に扮してて、なんか「なりきり」好きなとこも一緒ですねw

 

あー、この話、膨らまして17巻の感想記事のネタに使えばよかった…

 

 

 

 

 

(扉絵)

『がんばれエストちゃん』7コマ漫画。エストと永野護の会話のテイで、17巻の発売と今後の「デザインズ」について。

 

(本編)

バランシェ・ファティマたちの作り上げたチャンネルに乗って、星団中に配信されるフィルモア皇帝ダイ・グの演説。ナカカラの戦場の趨勢が変わる。

「若き皇帝の信念とともに…ナカカラ防衛戦、クライマックス!次号、表紙&巻頭特集!」(ニュータイプ2023年3月号より)

 

(所感)

扉絵

今後の直近の出版予定に関する作者の葛藤というか、脳内ボケツッコミ。

「永野護のギャグコメディセンス」について自分も何回か書いてんですけど、『がんばれエストちゃん』って話の中身がメタでリアルタイムで「作品」のつもりで描いてない分、本編中のギャグコメより肩の力が抜けててちょっとモダンですよねw

2023年に読むと、

「きらら系美少女ほのぼの日常ものが流行ってるけどよー、俺だって描こうと思えば描けんだよバカヤロー、きらら系のずっと前からエストちゃん描いてんだろうがよー」

という心の叫びを幻視してしまうw 作者の人そこまで考えてないと思うよ。

「いなくなったバランス家ファティマ4人クイズ」はあんまり本質的じゃないというか、作者の匙加減でしかないので、「そのうち教えてくれればいいです」という感じ。

 

演説を聴く人々

星団中の人間が聴いている話なので、手とか背中とか誰だかよくわかんない人とか「この人は誰でしょう考察勢がんばってくださいクイズ」もあんまり興味湧かないんですけど、リアクションの中でレーダー8世がスカして聴いてんのがムカつく!

ダイ・グがやってんのはお前らの仕事だったんだよ! お前ら大人が「元老がうるさいからねぇ」とか言い訳しながら次の世代の子どもに先送りした、その業を背負ってダイ・グが喋ってんだよ! お前らは跪いて聴くべきなんだよ! あと俺が納めた年金返せよ!

 

中世の一労働者の目覚め

聴いてる者の中でも、元老の命でブーレイに偽装してナカカラを攻めているフィルモアもえぎ騎士団のナイアスと、自国の危機にありながら疑心暗鬼でサボタージュしているナカカラのAP騎士団ディスターヴ隊のラドンウェイ支隊長は、戦況に直接影響を与えられる立場。

ナイアスについては自分も以前、割りと激烈にDISったんですよねw

「元老の駒」に過ぎないことには本人的にもフィルモア的にも政治的な理由や合理性があるのはわかるし良いんですけど、ヨーンにドヤ顔で語った「気合いの入ったアグレッサー」論がただの口実・嘘でしかなく、実態はただの「納得いかなくても元老の言いなりで逆らえません」だったの、くっそダセえわ。

ブラフォードやヨーンをはじめ多くの騎士が「自分の力の振るい方」に葛藤する中、元老の陰謀に主体的に賛同するでもなく「笑える」と反発しつつ、「でも元老の命令なので、自分はそういう育ちなので」とあっさり肯定しちゃって、MOBのチンピラ騎士以下のFSS史上最も「自分の意志がない騎士」に。ファティマか。

ファティマと違ってそれをグダグダ言い訳してんのがまたくっそダセえわ。

お前にはガッカリだわ。

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「ハイ、 前 フ リ で し た」

っていうw

作者の手のひらの上で、ナイアスにいちいちブチ切れたりして、理想的な読者で可愛いですねー俺w 不貞腐れちゃってもう「どうせアレでしょ、レーダー8世も隠居老人会もこの後どうせ見せ場あんでしょ」みたいなw

 

ナイアスとラドンウェイは、専制国家と「騎士道・武士道」の中世的な社会のFSS世界観の中で、いわゆる「将軍」の立場で、このエピソードにおける「騎士」を象徴してるんですけど、情報を与えられない故に自分の意思や疑問を封印して「命令と自分の持ち場を守ることが使命」の、ある意味「軍人の鑑」で、ある意味「中世の一労働者」でした。

今回の彼らに何が起こったかというと、ダイ・グの演説を聴いて、その「軍人の鑑」、「中世の一労働者」が与えられた裁量やルールを超えて、命令違反も辞さずに、自分で考えて自分の意思で行動し始める。

命令や制度に疑問を持ち批判し、時には自分の意思で行動してルールや制度を変えていくことは、私たちのような近現代の「労働者」には当たり前の概念で、これはクバルカン法王がミューズを王に育てるために課した修行のテーマでもあり、ヨーンがずっとやってることでもあって、第2部(で、いんだっけ?)の「コーラス6世とパルチザン」、『エルガイム』の時代に向けて、個人主義が台頭してジョーカー星団の専制国家群の社会システムや身分制度が緩んで壊れていく、萌芽のようにも見えます。

「軍人が自分の意思で行動し始める」というのは専制国家であっても近代民主国家であっても体制を揺るがす危険な兆候で、専制国家であれば君主から粛清されるし、民主国家では「文民統制」として厳しく制限されてて、近代日本でも1970年の三島由紀夫による自衛隊クーデター使嗾未遂事件でちょっと緊張感が高まった。らしいです。生まれてないから知らね。

 

ナイアスがやっと精神的にヨーンに追いついたというか、ナイアスはカイエンの熱狂的ファンで「カイエンの傷」持ちなんですけど、自分を自分の王と定めて生きて、後に法王となる修行中のミューズを先輩として見守っていた、「カイエンという生き方」の本質を、今まで全然理解していなかったんだな、という。

まーたナイアスDISるw

「ダムゲート(マインド)・コントロールを受けていない」ことは、FSSにおいてファティマと対比した時の、人間の本質の一つです。

 

演説、戦争、エコロジーとラブ&ピースから持続へ、「カラミティ崩壊」のテーマの変遷

自分は特に憂国右翼思想なわけではないんですけど、『逆シャア』に関して富野由悠季と庵野秀明と山田玲司が三島由紀夫について語ってたせいで、「三島由紀夫と富野由悠季と富野チルドレン」っていうテーマにハマってて、ちょっとその文脈で。

左右の思想の話が嫌いな人もいると思うんですけど、ごめんね。

でもエンタメ作品であっても、作中の「演説」について考えると、どうしても少し思想と向き合うことになっちゃうと思うのよね。あっ。悲しいけどこれ演説なのよね。

ja.wikipedia.org

1970年に作家の三島由紀夫が日本を憂いて、市ヶ谷の自衛隊駐屯地に乱入、自衛隊員たちにクーデターを使嗾する演説を行った直後に割腹自決、介錯により斬首、という凄惨な事件があったんですけど、肉声にこだわってあえてマイクを使わなかったんで、ヤジとマスコミのヘリの騒音で演説がほとんど聞こえなかったらしいです。

今回のファティマ・ファッションショーは、多くはダイ・グより年上のバランス・ファティマたちが、母親の代わりにマイクを届けてあげる話だったんだな、と。

「これはひとりの皇帝としての ひとりの人間としての真なる心!!」

「余の命 もう長くはない!! だが帝国民よ 世の言葉 忘れるでないぞ!!」

 

「月刊ニュータイプ」2023年3月号『ファイブスター物語』より(永野護/KADOKAWA)

「おまえら、聞け。静かにせい。静かにせい。話を聞け。男一匹が命をかけて諸君に訴えているんだぞ。」

 

1970年11月25日、自衛隊市ヶ谷駐屯地における三島由紀夫の演説より

にオーバーラップして見えちゃう。

 

そもそも「演説シーンは戦記ものの華」というか、永野護の師匠筋の富野由悠季の代表作『ガンダムシリーズ』でも、演説シーンは語り草になる名シーンが多いんですけど、

『機動戦士ガンダム』

 ・ギレン・ザビの演説(ガルマ戦死直後)

 ・ギレン・ザビの演説(最終決戦前)

『機動戦士Zガンダム』

 ・クワトロ・バジーナの演説(第37話「ダカールの日」)

『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』

 ・シャア・アズナブルのネオジオン全軍に向けた演説

演説者はギレンとシャアなんですけど、一貫して反乱軍のリーダーとして「地球連邦の腐敗」を糾弾してて、 富野由悠季が描く演説って「反体制側」がやんの。

で、原動力は「怒り」。

一方の永野護が描く演説シーンってのは

『ファイブスター物語』

・コーラスⅢ世の演説 ※これをカウントするかは迷うけど

・ユーパンドラの演説

 →反論としてパルチザンリーダーの演説

・ダイ・グの演説

あとは『FFC』のロックンローラーとか、基本的に「体制側」も「反体制側」もやって、フラットなんですよね。

ダイ・グは元老院の視点からは限定的に「反体制」なんですけど、体制の象徴であるフィルモア皇帝として臣民に「建国の理念を思い出せ、忘れるな」っつって。

で、演説の動機が「怒り」よりも「願い」なの。

この辺、参加こそしてないけど「安保闘争と全共闘の時代」を通ってきてる富野由悠季と、その後の世代の違いなんかな、とか思います。

富野監督の『エルガイム』は反体制の物語だったんですけど、漫画家・永野護の『FSS(第一部)』は体制側(王族・貴族・政治家・騎士)の物語で、そこにアンチテーゼとしてボスヤスフォートとヨーンが刺さっていて、結果的に「体制側」にも「反体制側」にも偏ってないっていう。

 

で、面白いのは、次号どうなるかわかんないんですけど、ダイ・グが演説で「惑星カラミティの崩壊」の話を全然してないんですよね。

シャアとダイ・グの「バックボーンとしての危機感」って共通してるとこあって、

・惑星(地球/カラミティ)が壊れちゃう
・惑星(地球/カラミティ)から移住しよう
・難民(スペースノイド/カラミティ住人)を救済したい

なんですけど、決定的に違うのが、「地球を壊すのは『重力に魂を引かれた人々』」なんで「抹殺する」になるんですけど、天照がバスターランチャーでとどめを刺すとはいえ基本的に「惑星カラミティは寿命とスタント遊星の接近の影響で勝手に壊れちゃう」っていう。

だから、シャアの「地球から出ていけ」みたいに怒りの糾弾をする相手がいないので、ダイ・グの演説は「建国の理念を思い出せ」「ナカカラを守れ」という願いに、今のところなった。

ダイ・グの演説、終わってんのか、まだ終わってないのか、よくわからないんですけど、来月どうすんのかな、と思います。

ダイ・グが「カラミティ爆発するってよ」ってカミングアウトしたら歴史的な大パニック発生でナカカラの戦争どころじゃなくなっちゃうんですけど、カミングアウトしなかったらしなかったで「真なる心」と言いながら全星団に対して重大な隠し事をしちゃうっていう、作者にとっても難しい選択だな、と思います。

ちなみに自分はどっちになっても支持します。あのダイ・グの選択だから。

 

富野由悠季にしろ宮崎駿にしろ、戦争と兵器と戦士をたびたび描きながら、ベースの思想に「反戦」と「環境問題」があって、それ以降のクリエイターにも影響を与えてんですけど、彼らのほとんどの作中で描かれる「環境破壊」って、戦争と同じで人類による人為的なものだった。と思ってた。

雑にいうと60年代以降の「エコロジー」と「ラブ&ピース」の延長として描かれてきた。と思ってた。

ところが現実では1995年に阪神淡路大震災、2011年に東日本大震災が起こった。

付随して発生した原発事故が宮崎・富野の「効率と楽を求めてテクノロジーに頼る人類社会への批判」と重なったり、「戦争=人災≒災害」として「個人に対する大いなる理不尽」という共通点で捉え直す動きがあったりするものの、根本的に

「人類が善行を積んでも、悪行を積んでも、それとは全く関係なく災害は起こる」

「ダメージコントロールはできても、天変地異・災害そのものは防げない」

という現実が出てきちゃった。極端なことを言えば「自然を大事にしても大地震は起こる」。

特に2011年の3.11以降、この「大いなる理不尽」と対峙する作品がとても増えて、

「どうやら自然というのは、

 敬虔に大切に共存しないと確実にしっぺ返しを喰らうが、

 敬虔に大切に共存しても別に人間の味方になってくれるわけじゃない」

って反戦でもエコロジーでもカバーしきれなくなって、で宮崎駿も「今なら理解される」と構想を練り直して1995年4月から製作開始して、1997年に『もののけ姫』ドンッ!みたいな。新海誠も2010年代以降に『君の名は。』ドンッ!『天気の子』ドンッ!みたいな。

自然と向き合う上で、「脱エコ」じゃなくて「エコの上に、更に」で、「持続」とかがキーワードになっていくんですけど、「持続」って「生きろ。」であり「生きねば。」なんですよね。

最後に残ったメッセージはもうシンプルに「生きろ」「生き延びろ」なんだけど、実は宮崎も富野も最初っからそれを言ってたっていう。「反戦」と「エコ」が注目されてたけど、メインはずっと「生きろ」って言ってましたよねっていう。

1979年開始の『1stガンダム』の次回予告で毎回、「君は、生き延びることができるか」つってましたよね、っていう。

 

で、文脈が不思議なのが「惑星カラミティの崩壊」なんですけど。

現代の日本人が1995年と2011年に震災を経験する前から、FSSの年表で「惑星カラミティの崩壊」って決まってて、フィルモア帝国の「持続」と併せて、作品のテーマの一つになってると。

なんで? 大正生まれか?

というわけで見てみましょう。と言っても、自分が持ってるFSSの蔵書って2000年以降に収集し直したものなんで、1巻の初版の年表とか見れないんですよね。

誰か持ってたら教えてください。

とりあえず手元の資料で見ていきます。

 

FSSの年表は割りと頻繁にメンテ・改修されるんですけど、最古の年表はアレです。1985年のアレのね、左の赤いやつのね、

f:id:AQM:20191208145629j:plain

 

これのね、この画像、解像度下げてるから「凝」を使っても字ぃ読めないからねw

f:id:AQM:20191208204046j:plain

 

これね。

ムック『重戦機エルガイム-2』より

1985年時点の、当初の「惑星カラミティの崩壊」は、どうやらポセイダル軍が「プラネットボンバー」なる兵器の試作品でぶっ壊した、戦争が原因の人為的な人災だった。

この辺、戦争に対する風刺、ラブ&ピースの「反戦」がベース。

 

これが2006年の12巻の年表に飛ぶと、こういう記述が入ります。

『ファイブスター物語』12巻より

「惑星カラミティ崩壊」にトドメ刺したのは

 ・スタンド遊星の接近の影響で地殻変動が起こる

 ・バスターランチャーはちょっと削っただけ

というのはこの後の13巻以降も共通してるんですけど、ある時点から2006年の12巻時点までは『ナウシカ』の宮崎的な、「地球が保たん時が来ているのだ!」の富野的な、

「科学技術に驕って惑星の自然を破壊する人間が悪い」

という「エコロジー」視点が入る。

 

で、この「エコロジー視点」の記載が、2015年の13巻から最新の16巻に至るまでの年表では丸ごとごそっと消えて、現在の形になります。

『ファイブスター物語』13巻より

消えてるだけなんで、「改造による惑星カラミティの疲弊・老朽化」の設定が生きてるのか無くなったのかよくわかんないですけど、だんだん「惑星カラミティの崩壊」の原因が、

1985年時点 戦争による破壊→戦争反対

 ↓

(『逆襲のシャア』公開)

(バブル崩壊)

(『ナウシカ』原作漫画が完結)

(1995年 阪神・淡路大震災)

(『もののけ姫』公開)

 ↓

?年〜2006年時点 人類による自然破壊→エコロジー

 ↓

(2011年 東日本大震災)

(『花の詩女 ゴティックメード』公開)

 ↓

2015年 スタント遊星接近による地殻変動→帝国の持続、難民の救済(生きろ)

と、世相に合わせて、というより作者の体験と成長によって、テーマの比重が段々移り変わってってるのが、興味深いな、と思います。

変わらないようでいて永野護と『FSS』も、通底するテーマが意識・無意識に時代に合わせて変化してチューニングされていくんだな、と。デザインとかの見た目だけの話じゃなくて。

全巻初版で持ってる人、この辺の設定の変遷を詳しく解説して欲しいなと思います。

はあ疲れた。

 

殺し屋

今回、ドリュー・ゼレが演説を聴いてる描写がないので、良い意味で日和ったナイアスに代わって、やっぱダイ・グとクリスの見せ場作り要員なんかなーと思います。

 

「星団中が見守る戦い」

「星団中が見守る、剣聖同士の戦い」が予告されてましたけど、ダイ・グの演説を既に星団中が見守ってんですけど、2回も3回も見守るの、星団中さんも大変じゃない?

もしかしたら予定変更で「星団中が見守る(ダイ・グの演説)」と「剣聖同士の戦い」に構成が分離されて今回こうなったけど、ファティマ・ファッションショーは本来は「剣聖同士の戦い」の前フリだったんじゃないかな、とちょっと思ったり。

 

大愚

「ダイ・グ」とタイプする時、いつも

だいぐ

 ↓変換

ダイグ

 ↓「・」を挿入

ダイ・グ

って書くんですけど、変換の最初の候補に未だに「大愚」って出て、毎回

「ダイ・グは愚かじゃねえぞ!」

って思います。

最近のフィルモア関係の固有名詞は、「ユーレイ」とか「ナキメーカ」とか日本語との奇妙な符号が多いので、ダイ・グも最期の最期ぐらいは歴史に「大愚」と名を刻まれるぐらい、やりたいことを好きなように振る舞って欲しいなと思います。好きな女と駆け落ちするとか。しねえか。

皇帝による元老院勢力に対するクーデターというか、FSSで数回しか描かれていない演説シーンを担うに足る熱い名演説だったし、生き様として「カイエンの弟子」にふさわしかったし、カイエン以外にもいろんな文脈を正統に継承していたな、と。