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#藤子・F・不二雄SF短編コンプリート・ワークス 1 ミノタウロスの皿 評論(ネタバレ注意)

藤子・F・不二雄の短編全集の、再編集・新装版、全10巻、の1巻。

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 今回の『藤子・F・不二雄SF短編コンプリート・ワークス』全10巻は、「SF短編」全111作品を、「異色SF短編」(第1~6巻)と「少年SF短編」(第7~10巻)に分け、概ね発表順に収録したものです。初めて「SF短編」を読む方が手に取りやすいシリーズで、巻末に藤子・F・不二雄先生のエッセイが収録されている巻もあります。

https://dora-world.com/contents/2886

とのことです。

実写ドラマもどっかでやるんでしたっけ。

というわけでお品書き。

『藤子・F・不二雄SF短編コンプリート・ワークス1 ミノタウロスの皿』より(藤子・F・不二雄/小学館)

自分は1974年生まれの48歳のおじさんですが、

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1巻収録作品は、その自分ですら生まれる前に描かれた作品群。

今でこそ藤子不二雄はFもAも伝説・神話のように扱われる漫画家ですが、『オバQ』ヒットの後の60年代終盤〜70年代序盤は、劇画ブームや、バイオレンス&エロ路線で本宮ひろ志や永井豪などの気鋭の新人を擁した「少年ジャンプ」創刊などに押され、少年漫画界では「落ち目のオワコン」扱いだった時期。

『ドラえもん』は1969年連載開始、単行本のヒットは1974年、今に続くテレビ朝日版のTVアニメ開始が1979年。

同じく伝説・神話扱いの手塚治虫もこの時期は不遇で、『ブラック・ジャック』連載開始で少年漫画界に復活するのは1973年。

らしいです。自分も生まれてないか、物心ついてない時期なんで、詳しくは知りまてん。

 

そんな藤子・F・不二雄のキャリアの谷間の時期に、編集者の誘いで子ども向けから作風をガラッと変えて「描いてみた」のがきっかけなんだそうで、掲載誌からして大人向け。オチも少年向けと違って、ほろ苦かったり救いがなかったりの投げっぱなしジャーマン多め。

という話が、今巻の藤子・F・不二雄自身によるあとがき(1987年執筆)に詳しい。

1960年代はSF短編小説で星新一や筒井康隆などが活躍し始めた時代でもあるので、

「俺も漫画でやったろう」

という意識も当然あったでしょうね。

 

『ミノタウロスの皿』(1969年)

『藤子・F・不二雄SF短編コンプリート・ワークス1 ミノタウロスの皿』より(藤子・F・不二雄/小学館)

宇宙船で一人漂流する男が辿りついた地球型の惑星は、とある価値観が逆転した社会が営まれていた…

時期的に

「藤子お前、映画『猿の惑星』(1968年)観て描きたくなったやろ」

というのが丸出しw

「生贄になる少女」やカニバリズムに対するフェチズムも仄見えますよね。

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『カイケツ小池さん』(1970年)

『藤子・F・不二雄SF短編コンプリート・ワークス1 ミノタウロスの皿』より(藤子・F・不二雄/小学館)

うだつの上がらないサラリーマン・小池は、常に社会に怒っていた!

「はてなブックマーク」と『デスノート』を足しっぱなしにしたような話です。

あまりにもはてなブックマーク、あまりにもデスノート。

はてなブックマークは小池さんのパクリ。

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『ドジ田ドジ郎の幸運』(1970年)

『藤子・F・不二雄SF短編コンプリート・ワークス1 ミノタウロスの皿』より(藤子・F・不二雄/小学館)

ドジ田ドジ郎の不幸な人生は、実は定量である運・不運の偏りによるものだった。

ん、ちょうど最近、こんな漫画読んだぞw

『東京入星管理局』4巻より(窓口基/ジーオーティー)

 

『ボノム=底抜けさん=』(1970年)

『藤子・F・不二雄SF短編コンプリート・ワークス1 ミノタウロスの皿』より(藤子・F・不二雄/小学館)

お人よしの仁好(ひとよし)さんが何があっても怒らないのには理由があった。

オチが変態というか、1970年にNTRベッドシーンを描くんじゃねえよw

「寝取られたのも、すべて環境と遺伝子のせいなのだ!」

と言われてしまうと、怒りも湧かない分、NTRなんてなんも面白くないなw

 

『じじぬき』(1970年)

『藤子・F・不二雄SF短編コンプリート・ワークス1 ミノタウロスの皿』より(藤子・F・不二雄/小学館)

長生きジジイは同居の息子家族に邪魔者扱いされていたが、死んだ。

高度経済成長を支えた「昭和一桁」と核家族が迎える限界を鋭く予言した問題作!

というよりは、この場面『苺ましまろ』で見覚えあるわ、というw

『苺ましまろ』9巻より(ばらスィー/KADOKAWA)

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ちなみに、

♪オラは死んじまっただ〜

で有名なザ・フォーク・クルセダーズのデビュー曲『帰って来たヨッパライ』が、この2年前の1968年。

 

『ヒョンヒョロ』(1971年)

『藤子・F・不二雄SF短編コンプリート・ワークス1 ミノタウロスの皿』より(藤子・F・不二雄/小学館)

藤子不二雄の得意技、子どもに訪れる異世界からの来訪者もの、ver.マッドネス。

主人公の子ども(「のび太」枠)の両親のセックスを見学しようとする"ドラえもん"枠、発狂して彼に銃を乱射する警官、救いのないオチ。

シュール、ナンセンスというより、狂気じみてていろいろヒドい。クッソワロタ。

 

『自分会議』(1972年)

『藤子・F・不二雄SF短編コンプリート・ワークス1 ミノタウロスの皿』より(藤子・F・不二雄/小学館)

ある若者が引っ越したアパートの一室は、数人の大人が激しく醜く言い争う、幼少期の悪夢として記憶に在るものだった。その数人の大人は全員、実は自分だった。

藤子不二雄の後の得意技、タイムリープ、タイムパラドックスものながら、『ドラえもん』では絶対に描かれない、最悪のオチ。

 

『わが子・スーパーマン』(1972年)

『藤子・F・不二雄SF短編コンプリート・ワークス1 ミノタウロスの皿』より(藤子・F・不二雄/小学館)

幼い我が子が倫理観を身につける前にスーパーマンな能力者になり、勝手に世直しの私刑・粛清活動を始めた。

デスノっぽい話もそうでしたけど、「スカッとジャパン」的というか社会に対する怒りを妄想的で独善的な私刑の暴力で爆発させる話、に対する作者の冷ややかな視線を感じますよね。

時代背景的に、独善と暴力で社会の問題を解決しようとした、アレやコレやの幼稚性に対する風刺に見えなくもない。

 

『気楽に殺ろうよ』(1972年)

『藤子・F・不二雄SF短編コンプリート・ワークス1 ミノタウロスの皿』より(藤子・F・不二雄/小学館)

ある日起きたら、性欲と食欲に対する恥の概念が逆転していて、人々はセックスのように人目を忍んで食事をし、食事のように人前で大っぴらにセックスしていた。

これも藤子SFの得意技、価値観逆転もの。タイトルがヒドいw

右の人『逆襲のシャア』みたいなこと言ってんな。左の人は実質アムロやな。

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1972年、まさに団塊Jrが生まれたベビーブームに描かれた作品で、当時の「人口問題」が持つ限界点を予見しつつも、課題感そのものは「増えすぎて困る」と、2023年現在と真逆ですねw

 

『換身』(1972年)

『藤子・F・不二雄SF短編コンプリート・ワークス1 ミノタウロスの皿』より(藤子・F・不二雄/小学館)

「俺たち」「私たち」「「入れ替わってる〜!?」」「ワシが入れ替えた」

な、身体・人格入れ替わりもの。

『おれがあいつであいつがおれで』が1979年、その映画化作品『転校生』が1982年、ついでにアニメ映画『君の名は。』2016年と、先取りっちゃ先取り。星新一か筒井康隆あたりが先に描いてそうな「気」もするけど。

女体化男子に身体の持ち主の女子が「風呂に入るな!」ネタも1972年にやられちゃって、後世の作家のいい迷惑というか、カブるなと言う方が無理というかw

セリフ「じゃきみ、落っこちろ。」の端的な鬼畜さがいかにも藤子・F・不二雄。

 

『アチタが見える』(1972年)

『藤子・F・不二雄SF短編コンプリート・ワークス1 ミノタウロスの皿』より(藤子・F・不二雄/小学館)

ある幼い女の子が無邪気に予知・予言能力を発揮し始めたが、それは必ずしも周囲の大人たちを幸福にしなかった。

洋の東西を問わず鉄板ネタで、キリがないのでネタの原典や派生や追う気にもならないですが、自分はハリウッド映画の『地球が静止する日』を思い出します。

ちなみに藤子・F・不二雄自身が描いた『エスパー魔美』の連載開始はこの5年後の1977年、主にテレキネシス能力とテレポート能力にフィーチャーして、確か予知能力はあんま描かれなかった記憶。

 

あとがき(1987年 愛蔵版1巻あとがきから転載)

1987年の愛蔵版に寄せられたあとがきも、なかなか興味深いです。

描いた短編の何編かが、知らぬうちに未視聴の有名海外映画に似てしまったけど、絶対盗作じゃねえからな!話など。

漫画が

「手塚治虫と藤子不二雄の作品を全部読んだ上で、

 絶対にネタが被らないように描かねばならない」

ものであったら、その後の漫画文化は随分と貧しいものになっただろうなと思うぐらい、手塚や藤子などのトキワ荘ギャングは漫画の歴史の早い時期に「先行者利益」と「多作」でアイデアを乱獲し、後進に良い影響を、あるいは「なに描いても手塚か藤子とカブっちまう!」という大迷惑を与え続けていますが、その藤子自身が有名映画とネタ被りして焦った話、

「早く描かないと思いついたネタを誰かに先に描かれてしまう!」

という、フロンティアらしい焦りが伝わってきて笑ってしまいました。

漫画家としてのライバルや脅威は劇画やジャンプだったけど、SF作家としては星や筒井やハリウッド映画もライバルだった時代なんですねえw

 

まだ携帯電話もスマホもインターネットも動画サイトもSNSもなかった、黒電話とカラーテレビ(わざわざ「カラー」を名乗る!)と新聞の時代が「現代」として描かれた作品群ですが、2023年現在の現代社会に未だ符号するテーマやモチーフも多く、「予言のようだ」というよりは、「人間と社会」が持つ普遍的な性質や可笑しみを藤子がわし摑んで、心中で怒ったり笑ったり悲しんだり馬鹿にしたりと風刺しつつも、どこか俯瞰でユーモラスに見ていた故なんだろうな、と思います。

 

手塚治虫や藤子不二雄の作品群については、近年はSNS上などで「歴史」「古典」「教養」として過剰に高尚扱いされる向きもあって、「たかが漫画」、「子ども向けの大衆娯楽」の扱いとして読者の選民意識などいかがなものか、作者は嬉しくなかろう、と思わないでもないです。

が、今巻であらためて再読してみると、自分の作品がインテリ気取り・古参アピール・老害マウントのスノッブ棍棒として利用されているのを、度し難い漫画馬鹿の藤子・F・不二雄が見たら、きっと

「それは面白い、さっそく漫画にしよう!」

shonenjumpplus.com

と、短編風刺漫画が1本増えるだけの話かもしれないな、とw

 

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