平凡なAQM主観での話の順番では、もちろんスタジオジブリ、宮崎駿監督の最新作の話題がまずあって、
この映画作品制作にあたっての、「原作」ならぬ、宮崎駿の「元ネタ」の小説作品ということで、
吉野源三郎の小説『君たちはどう生きるか』からタイトルを取っているが直接の原作とはならず、同小説が主人公にとって大きな意味を持つという形で関わり、物語そのものは冒険活劇ファンタジーとなる。
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この、令和の世にはいかにも押し付けがましく見えるタイトルを、老境にある宮崎駿が自作品のタイトルに敢えて持ってきた理由は、
少年期に読んだこの本に対して
「自分はこう生きました」
とパーソナルに応える、アンサー的な映画なんであろう、
であれば、映画を観る前に、対となっているであろうクエスチョン的なこの小説を読んでおこう、
と思ってAmazonで探したんですけど、ハードカバーや文庫など複数の形態で出版されている原作小説がどれ一つkindle化されていなかったので、仕方なく(失礼)唯一kindle化されている2017年のコミカライズ版を読みました。
このコミカライズ自体、宮崎駿の新作映画の「元ネタ」ということで話題になり、2017年の発売から既に累計200万部のヒットとのことです。
自分は今回が原作・コミカライズ通じて初読です。
原作者は吉野源三郎。
吉野 源三郎(よしの げんざぶろう、1899年(明治32年)4月9日 - 1981年(昭和56年)5月23日)は、編集者・児童文学者・評論家・翻訳家・反戦運動家・ジャーナリスト。昭和を代表する進歩的知識人。『君たちはどう生きるか』の著者として、また雑誌『世界』初代編集長としても知られている。岩波少年文庫の創設にも尽力した。明治大学教授、岩波書店常務取締役、日本ジャーナリスト会議初代議長、沖縄資料センター世話人などの要職を歴任した。
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作品自体は戦前、1937年の発刊とのことです。
『君たちはどう生きるか』(きみたちはどういきるか)は、1937年の吉野源三郎の小説。コペルというあだ名の15歳の少年・本田潤一とその叔父が、精神的な成長、貧困、人間としての総合的な体験と向き合う姿を描く。
当初、『日本少国民文庫』の最終刊として編纂者山本有三みずから執筆する予定であったが、病身のため代わって吉野が筆をとることになったとされる。1937年に新潮社から出版され、戦後になって語彙を平易にするなどの変更が加えられてポプラ社や岩波書店から出版された。
児童文学の形をとった教養教育の古典としても知られる。
(中略)
本書は軍国主義による閉塞感が高まる1930年代の日本において、少年少女に自由で進歩的な文化を伝えるために企画された「日本少国民文庫」のうちの1冊である。
(中略)
高田里惠子によれば本書は、教養主義の絶頂期にあった旧制中学校の生徒に向けて書かれた教養論でもある。高田は、官立旧制中学の代表格であった東京高師附属中学校(現・筑波大附属中・高)出身の著者により描かれた主人公たちの恵まれた家庭環境や高い「社会階級」に注目し、本書が「君たち」と呼びかける、主体的な生き方のできる(つまり教養ある)人間が、当時は数の限られた特権的な男子であったことを指摘している。
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はあ。
やっと本編の話に入れる。
1937年、大日本帝国、東京。
父を亡くし、母子家庭で暮らし、都心の中学校に通う少年・潤一は、仲の良い叔父さんからあだ名されたことが発端で、「コペル君」と呼ばれていた。
亡くなった義兄からコペル君の父代わり・メンターとして事後を託された叔父さんは、姉と甥の暮らす家に足繁く通い、近所に引越し、何くれとコペル君に話しかける。
そんな叔父さんに、コペル君は学校で起こったこと、考えたこと、悩んでいることを打ち明け、おじさんはその都度、「答え」ではなく「考え方」を教え導くのだった。
という、少年向けの教養教育的な児童文学小説。
コペル君が社会や歴史、科学などの知識と出会っていくと同時に、現実では学校でのいじめ問題に直面するなど、「現代に通じる」というより「80年経っても変わってねえな」という、小中学生の思春期あるあるを抱えたコペル君に対して、「叔父さん」を通して原作者の吉野源三郎自身がメンターとして向き合う作品。
少年と師匠・メンター、という意味では、最近の漫画関連作品だと『化物語』の阿良々木暦と忍野メメ、
あるいは『銀河英雄伝説』のユリアン・ミンツとヤン・ウェンリーを思い出します。
田中芳樹も西尾維新も、あるいはこの『君たちはどう生きるか』を読んで、彼らの関係をモチーフにしたかもしれませんし、してないかもしれません。知りません。
奇しくも三作とも、少年向け原作小説がコミカライズされて、私に読まれることになりました。
自分と歳の近いオタクに雑に俗に説明するなら、青春小説ながら内容がオカルトに寄っていた『化物語』よりも、内容が寄っていた軍事や政治を通じてより思想を語っていた『銀河英雄伝説』の、ユリアンとヤンの対話シーンを抜き出したものに近い、とするのが、イメージしやすいかもしれません。
自分が少年期にヤンと田中芳樹の言葉に影響を受けたように、宮崎駿は叔父さんと吉野源三郎に、「考え方の手本の原体験」として影響を受けたんだろうな、と思います。
原作が少年向けに平易に書かれた小説ということもあり漫画自体は読みやすく、またタイトルが持つイメージほどには、時代がかった押し付けがましい内容のものでもありません。
子どもをあらまほしき方向に誘導したい意図は感じますが、子どもを信じて子ども自身に考えさせる、戦前の知識人の品性を感じます。
ただ漫画としては、叔父さんからのアドバイスノートがまんま活字の小説(メッセージ)なので、平易で読みやすい漫画パートとのギャップで目が滑り、最も重要なことが書かれているのに該当のページを読み飛ばしたくなるきらいがあり、基本的に小説で読まれるべき作品かな、とは思います。
んでね。
基本的に、原作小説が書かれた本来の目的に沿えば、少年期に原体験として出会うべき作品だと思います。
自分は48歳のおじさんで、
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コペル君が感じた「世界と出会う新鮮な喜び」に対する感受性が摩耗してしまっていることを実感しました。
48歳といえば宮崎駿が『魔女の宅急便』を発表した歳です。
だいぶ昔だな、っつか、先なげえな。
少年目線でコペル君に感情移入する代わりに感じたのは、叔父さんに対する感情移入、
「次の世代に何を語り、何を遺せるか」
でした。
『銀河英雄伝説』の頃にはユリアンの目線でヤンを仰ぎみていたんですけど、48歳で出会ったこの作品では叔父さんの目線で
「自分だったらコペル君に何を語るだろう」
と考えながら読んでいました。
背筋が伸びますよね。
宮崎駿に限らず、アニメ作家・漫画作家・児童文学作家というのは、作品を通じて背筋を伸ばして子どもと向き合い、社会と向き合い、未来と向き合う仕事で、その宮崎駿が「引退中」と称して人生と仕事の集大成として作る映画にこのタイトルを持ってくることは、ある種の必然のようにも感じます。
まだ、映画『君たちはどう生きるか』、観てないで言ってますけれども!
結局、映画の話になっちゃって、昭和を代表する進歩的知識人の歴史的名著を、映画の前振りみたいに扱って申し訳ないんですけど、やっぱり個人的に強い影響を受けた作家に対してどう影響を与えた作品なのか、という観点で見てしまいますね。
宮崎駿が「親父」なら、吉野源三郎は「爺ちゃん」、みたいな。
子ども向けのTVアニメやアニメ映画の制作を通じて社会と未来に「ノート」を描き続けてきた宮崎駿が、
最後のページに何を書き残したのか。
せっかくの連休ですし、明日明後日あたり、自分も映画館に足を運んでみようかと思います。
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その他の「少年・少女とメンター」の系譜として。
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