#AQM

あ、今日読んだ漫画

#VTuber草村しげみ~遠くに行ってしまった気がした推しが全然遠くに行ってくれない話~ 1巻 評論(ネタバレ注意)

草村しげみは、チャンネル登録者数130万人を誇る、押しも押されもせぬ人気Vtuberだったが、デビュー直後の零細チューバー時代の一人目のチャンネル登録者、リスナーのHN・ナナシノをお慕いする気持ちがダダ漏れ続けていた。

『VTuber草村しげみ~遠くに行ってしまった気がした推しが全然遠くに行ってくれない話~』1巻より(さかめがね/スクウェア・エニックス)

ナナシノは平凡なサラリーマンの好漢で、

「もはやメジャーになった草村はみんなのための存在、

 特定一人の古参の自分を特に優遇するようなことはあってはならぬ」

との考えから、慎ましく草村を応援しているが、草村はお構いなしにナナシノのコメントに全レスし、ナナシノのツイートを監視し、ナナシノのコメントや動向に一喜一憂し、その様子を130万人の登録者たちに垂れ流し続ける。

そんな草村とナナシノの関係を、草村チャンネルの登録者たちは生暖かく見守っているのだった…

『VTuber草村しげみ~遠くに行ってしまった気がした推しが全然遠くに行ってくれない話~』1巻より(さかめがね/スクウェア・エニックス)

という、Vtuberギャグコメディ、広義の「ラブコメ」でいんじゃないかなと思います。

正直、第1話がSNS漫画らしく読み切り短編ネタとしてあまりにも完成していて、第2話以降はずっと蛇足な建て付けなんですけど、キャラを上手に膨らませて、蛇足もずっと面白い、という漫画。

あと、動画配信者とリスナーがインタラクティブにコミュニケーションを取りながら形成する場の雰囲気の「陽」の面、Vtuberをめぐる文化の楽しさやライブ感を上手く誌面に再現してる漫画だな、と思います。

自分も草村チャンネルの常連ヘビーリスナーみたいな気になっちゃうw

草村のチャンネル登録者数130万人というと、近いところでは

Vtuberランキング

https://virtual-youtuber.userlocal.jp/document/ranking

もはや大御所の月ノ美兎が

www.youtube.com

登録者数138万人(ランキング49位)とのことです。(いずれも2025年4月23日付)

今のVtuber市場って、草村の登録者130万人以上の配信者が50人以上もいるんですね。

自分はそこまでVtuber追っかけてなくて詳しくないですけど、壱百満天原サロメをデビュー当時のブームで興味本位からチャンネル登録してて、それ以来「けっこう観てます」ぐらい。

非言語系の作業やアクションゲームやレースゲームやってる時にBGM・ラジオ代わりに、実況や雑談の配信を流しっぱなし、みたいな感じ。

最近は、壱百満天原サロメの動画にモンハン実況などのコラボでちょいちょい登場する樋口楓が、

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頭の回転の速い古参コワモテ関西弁おもしろ姉御肌からのギャップ萌えが可愛くて気になってます。

こないだの週末は「かえみと」や「でろーん×サロメ」の切り抜き動画を観漁って、にじさんじの人間関係にちょっと詳しくなりました。てぇてぇ…関係性…

さて。

『VTuber草村しげみ~遠くに行ってしまった気がした推しが全然遠くに行ってくれない話~』1巻より(さかめがね/スクウェア・エニックス)

本作は

「特定のリスナーにガチ恋してる人気Vtuber」

「後方腕組み彼氏目線のつもりがステージに引き摺り出される古参ファン」

という特殊なシチュエーションの「関係性萌え」漫画ですが、ナナシノはもちろん草村のファンなので「推し」的な意味では相思相愛ですが、「弁えたファン」すぎて「ガチ恋」的な意味では草村の片想いなんですよね。

ある意味ナナシノ、

「普通にしてるだけでアイドル的ヒロインにグイグイ来られるヤレヤレ系主人公」

の亜種というか。

ラブコメの類型としては

「首を縦に振らない男に片想いしてる女の子を(ギャグコメ的に)愛でる」、

ラブコメや少女漫画の古典的なタイプかなと思います。

おまけ漫画の一節ですが、

『VTuber草村しげみ~遠くに行ってしまった気がした推しが全然遠くに行ってくれない話~』1巻より(さかめがね/スクウェア・エニックス)

この漫画のラブコメ面の核要素を端的に表したエピソード。

一般人(ナナシノ感情移入)目線では、人気美少女Vtuber相手の

「普通にしてるだけでアイドル的ヒロインにグイグイ来られるヤレヤレ系主人公」

はちょっと夢小説的なドリーム要素ですけど、でも、もう一段妄想のギアを上げて具体的によく考えると、

「人気美少女Vtuberから名指しでガチ恋を公言される」

って、けっこう困りますよね。

『VTuber草村しげみ~遠くに行ってしまった気がした推しが全然遠くに行ってくれない話~』1巻より(さかめがね/スクウェア・エニックス)

自分もネットの向こう相手のガチ恋経験ありますけど、人気美少女Vtuberとはいえ本名も顔も年齢も恋人有無や婚歴も知らない、厳密には性別すら定かではない相手に激重の好意を寄せられるって結構怖いし、激重の好意を寄せるのも割りと恋ゆえの愚かしさ・狂気だな、と思います。

前述の樋口楓さんはファンやリスナーに対して「ガチ恋勢お断り」を公言されている、とのことですが、

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自分も樋口楓さんから「草村→ナナシノ」のようなガチ恋感情を向けられるの、ちょっと困ります。

ごめんなさい、お断りさせていただきたい。俺は何様なんだよ。

一般人の立場ですら、打算や警戒心などの人生の損得勘定でネットの向こうにガチ恋なんか普通はできない故に、「みんなの人気Vtuber」の立場にありながら打算抜き全力ダダ漏れで垂れ流され続ける草村の片想いが微笑ましく眩しく愛おしく感じるし、

『VTuber草村しげみ~遠くに行ってしまった気がした推しが全然遠くに行ってくれない話~』1巻より(さかめがね/スクウェア・エニックス)

(これ愛おしいか?)

若さ(?)や恋ゆえの愚かしさや狂気が、いつか「世間の仕組み」(とナナシノの都合)を貫き粉砕して成就しちゃって欲しい、と思ってしまいますね。

 

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#ウマ娘 シンデレラグレイ 19巻 評論(ネタバレ注意)

実在の競走馬を美少女擬人化した育成ソシャゲ『ウマ娘』の派生コミカライズ、「プリティダービー」がつかない『ウマ娘』。

日本の競馬史に残る名馬・オグリキャップの現役時代をモチーフにしたスピンオフ。

『ウマ娘 シンデレラグレイ』19巻より(久住太陽/杉浦理史/伊藤隼之介/Cygames/集英社)

1〜2巻で地方レース(カサマツ)編が終わり、3巻から中央に移籍。

ウマ娘世界観でいう「中央トレセン学園」に編入し、並み居る名バ達と本格的にシノギを削る展開に。

モチーフとなった史実が日本競馬史上最大級のシンデレラストーリーにして、トウカイテイオーと並ぶ日本競馬史上最大級の復活劇というドラマで、かつ現役時代を通じて魅力的なライバルにも恵まれていた馬のお話なので、更にifを加えた作話の骨組みの時点で優勝です。ありがとうございました。

『ウマ娘 シンデレラグレイ』19巻より(久住太陽/杉浦理史/伊藤隼之介/Cygames/集英社)

タマモクロスが去ったターフで新たなライバルたちとの激闘、題して「第三章 永世三強」編を経て、前々巻から新章にしておそらく最終章、題して「第四章 芦毛の怪物篇」。

史実になぞらえれば残り5戦、残り1年、ラストイヤー。

遅くても2026年、早ければ2025年には完結してしまうんではないかな。

モデルとなったサラブレッドの現役引退、死去に続いて、オグリキャップとの三度目のお別れの時間が刻々と近づいています。

北原がようやく再登場、オグリと相思相愛で念願の再タッグ。

ラストイヤー、第1戦、ヤエノムテキやバンブーメモリーなどの名うての名マイラーたちと鎬を削った安田記念を制したオグリキャップ。

しかし、そのゴールの瞬間、「まるで魔法が解けたような」違和感を覚える。

オグリ自身もレース後も正体をつかめない違和感の瞬間、追い込んで2着に入ったヤエノムテキだけが「それ」を見ていた…

『ウマ娘 シンデレラグレイ』19巻より(久住太陽/杉浦理史/伊藤隼之介/Cygames/集英社)

身も蓋もなくネタバレするとここから3連敗する「曇らせ展開」。

ラストイヤーの宝塚記念、オグリが負けたのは憶えてたんですけど、勝ち馬をうろ覚えで読んだので、途中まで

「前巻でオグリの違和感を目撃した、ヤエノムテキあたりが勝つんだったっけ?」

と思いながら読んでました。

ので、失礼ながら今巻表紙のウマ娘のミルワカバを「後付け創作の噛ませ犬」ポジションだと思ってました。

もっと言うと、前巻で彼女のオグリへの感情があまりに烈しく重たく、

そして今巻の表紙の彼女の表情があまりに禍々しかったので

「オグリが走れなくなるような妨害行為を行うんじゃないだろうか」

もっと言うと

「オグリに危害を加えるつもりなんじゃないだろうか」

とか心配してしまいました。

自分はこれまでソシャゲ・アニメ・コミカライズと、複数の『ウマ娘』作品に触れてきましたが、馬主の許可をとったIPということもあり、どの作品にもスポーツマンシップは通底していて、悪意・害意に基づいて妨害行為や危害を加えるウマ娘は見たことはなかったんですけど。

『ウマ娘 シンデレラグレイ』19巻より(久住太陽/杉浦理史/伊藤隼之介/Cygames/集英社)

でも『シングレ』って、『ウマ娘』表現のタガを一つ二つ外してしまったような作品なので、モデルなしの架空ウマ娘を使って、初めての悪意・害意が描かれはしないだろうかと。

まあ、杞憂だったんですけどw

ミルワカバ、モデルはオサイチジョージ。

ja.wikipedia.org

おそらく馬主の許可を得なかった(or 得られなかった)んであろう、父がミルジョージ、母がサチノワカバ、両親の名をがっちゃんこした架空名ですね。

モデル馬の戦績を見るに、今後もオグリキャップとの対戦が残されてるっぽいです。

お見それしました、

「害意や悪意をもってオグリに危害を加えるんじゃないか」

とか思ってしまってすみませんでした。

共感できる情念の籠った、いいキャラだ。

『ウマ娘 シンデレラグレイ』19巻より(久住太陽/杉浦理史/伊藤隼之介/Cygames/集英社)

さて。

安田記念のゴール以来、モヤかされてきたオグリの違和感の正体は未だクエスチョン付きですが、どうやら「全盛期の終わり」絡みのようです。

そういえば前巻、結局ヤエノムテキはオグリの何に気づき、ベルノは何に違和感を感じたんでしょうかね。

「『シングレ』は『ウマ娘』のタガを一つ二つ外した」

と前述しました。

自分が思うに一つ目はその表現、「プリティじゃないウマ娘」の描かれ方です。

「プリティじゃないスピンオフの先達」である『リボンの武者』的というか、永井豪的というか。

『ガールズ&パンツァー リボンの武者』11巻より(野上 武志/鈴木 貴昭/KADOKAWA)

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凄惨で怖くて悪魔的にかっこいい、凄みの表現。

二つ目が、「ウマ娘の引退」、「時代の終わり」の描写です。

それまで『ウマ娘』ではソシャゲにしろTVアニメにしろ、故障に対しても不屈、物語のエンディングの後も永遠の青春を走り続けるウマ娘たちの姿が描かれてきました。

競馬ファンの心を慰める優しいIF、ファンタジーである反面、本来は「ニューカマーの登場」や「世代交代」とバーター、セットで語られるべき、主要キャラの「衰え」と「引退」、

「等しくすべてのウマ娘たちに、いつか走れなくなって引退する時が来る、のか?」

という問いから、『ウマ娘』はずっと目を逸らしてきたように思います。

逆に『シングレ』が外さず、ソシャゲやTVアニメが外した三つ目のタガが、「IF展開」「ドリーム展開」です。

エルコンドルパサーがダービーに出走したり、サイレンススズカが悲劇的な事故から復活したり、トウカイテイオーやメジロマックイーンが引退せずに走り続けるような、「優しい嘘」。

さて。

どうなるやら、どう描かれるやら。

『シングレ』はここまで、例えばオグリがダービーに出走するような、タマモクロスが引退せず走り続けるような、「IF展開」「優しい嘘」を吐いてきませんでした。

少女の容姿のまま、不可逆な力の衰えが描かれていく様、「時代の終わり」が描かれる様を想像すると、絵面が少々残酷すぎるような気もします。

『ウマ娘 シンデレラグレイ』19巻より(久住太陽/杉浦理史/伊藤隼之介/Cygames/集英社)

数多の『ウマ娘』コンテンツの中でも、

「選んでオグリキャップを、IFを排して描く」

ということは、その残酷さを背負う、ということなんでしょうか。

 

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#女子高生除霊師アカネ! 3巻 評論(ネタバレ注意)

『ヒナまつり』の大武政夫の新作。

角川で10年描いて、ヤンジャン系に移籍とかあるんですね。

とか思ってたら、半年後ぐらいには角川系でも新連載開始で、2作同時連載の二毛作。

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前巻の表紙が「美少女&パンチラ未満」という、

「売れ線漫画のお手本」みたいな表紙で

「良くも悪くもふっきれてんな」

と思ったんですけど、今巻の表紙はまた「売れない漫画のお手本」みたいなひどい表紙で、

悪くも良くもふっきれてんなwww

『女子高生除霊師アカネ!』3巻より(大武政夫/集英社)

女子高生のアカネは、インチキ除霊師の父親と二人暮らしだったが、その父親が貯金をほぼ全額握りしめてポエミーな書き置きを残してキャバ嬢と駆け落ち、蒸発。

独り残された事務所兼自宅に、それでもかかってくる除霊依頼の電話をとってしまったアカネは、父と同じく霊なんか見えなかったが(生活のための)金目当てに依頼を引き受けてしまい、かくしてアカネは2代目として父のインチキ除霊師稼業を継いでしまったのだった。

『女子高生除霊師アカネ!』3巻より(大武政夫/集英社)

霊能力こそなかったが、アカネには稀代の詐欺師としての才能があった…

という、インチキ除霊師JKコメディ。

なんじゃそのジャンル。

クズ系ヒロインがだいたいずっと金の話をしています。

掲載誌や出版社は移りましたが、読み味は『ヒナまつり』の大武ワールドのテイストそのまま。

『女子高生除霊師アカネ!』3巻より(大武政夫/集英社)

シュールな成り行きと「どうしてこうなった」の絵ヅラとツッコミのキレで勝負!という。

笑いの種類が「失笑」なんですよね、この人のギャグw

アカネが詐欺まがいのあの手この手の口八丁手八丁で「除霊できてるフリ」で事件を解決(?)していくお仕事(?)コメディ。

1巻のあとがきに作者自ら書いてますが、「生き汚い瞳ちゃん」という感じ。

『女子高生除霊師アカネ!』3巻より(大武政夫/集英社)

今巻は「エピソード・ゼロ」とでも言うべき過去編、アカネの父と母の出会いラブコメ編。

「いい話を読んだ」感が強いんですけど、やってることの大半は「ギャンブル&バイオレンス」で、よく考えてみたら、コレいい話か?w

前作もそうだったし、別作の方もそうですけど、クズ系ギャグ系の登場人物たちに親子の情が絡むと、キラリと光ってホロリと泣かせる謎の感動がありますよねw

アカネの母がNOTクズ系な面白れー女系の不思議ちゃん聖女というのもありますけど。

『女子高生除霊師アカネ!』3巻より(大武政夫/集英社)

いいなあ、アカネの父母の過去エピソード、ラブコメとして単純にもっとたくさん読んでみたいけど、そんなに描かれないだろうなあ。

 

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#天幕のジャードゥーガル 5巻 評論(ネタバレ注意)

表紙、誰だっけと考えてたんですけど、今巻終盤にちょい久し振り登場のモゲ、でいんですよね?

アニメ化決定とのことで、

『天幕のジャードゥーガル』5巻より(トマトスープ/秋田書店)

「おめでとうございます」なんですが、正直、

「早くね?」

と。

この漫画のサビ(主人公が本領発揮した中小エピソードのクライマックス・見せ場)を、自分はまだ見てないと思ってんですけど、自分の解釈違いか、それとも最近のアニメ化ってそういうもんなのか。

ググって本日現在までのいくつか記事を読んでも、

www.google.com

どれにも放映時期の記載が見当たらなく、ただの有望原作の「青田買い」?

何年後の話なんですかね。

さて。

1213年、ペルシア(現イラン)で奴隷として売られていた少女・シタラは、幼いながら見目が美しく賢かったことから、特に奴隷商人の「上流階級の付き人に育てては」との推薦を受け、温厚な学者一家に引き取られる。

学者だった当主は亡くなっていたものの、温厚な学者一族の家柄と心優しく教育熱心な夫人・ファーティマの庇護の元、彼女に仕え学問を学び穏やかに8年の時が流れたある日、カタストロフが訪れる。

チンギス・カン率いるモンゴル帝国の西征により彼女が暮らす都市・トゥースも侵略され陥落し、シタラの生活は一変。虜囚として遥か東方の帝都に連れ去られる。

『天幕のジャードゥーガル』5巻より(トマトスープ/秋田書店)

シタラは復讐心を胸に秘めつつ、自分を庇って斬殺されたファーティマの名を名乗り、虜囚の身から「知」を武器にモンゴル帝国宮での立身出世を図るのだった。

という、史実ベース、史実の人物の伝記フィクション。志のスケールが大きく、「大河」と言って良いかもしれません。

ja.wikipedia.org

ja.wikipedia.org

主人公の「数奇な運命」をエピソード取捨選択してテンポ良くグイグイ読ませる展開や、シンプルで見やすい画風も相まって、60年代の劇画ブーム前の「古き良き少年漫画」の香り、ぶっちゃけテーマも相まって手塚治虫の『火の鳥』が現代ナイズされたような印象を持つ作風。

チンギス・カンが死に、権勢がその皇子たちに引き継がれたモンゴル帝国。

『天幕のジャードゥーガル』5巻より(トマトスープ/秋田書店)

第4皇子トルイの妃に侍女として仕えていたシタラは、侍女を解雇されると同時に、第2皇子チャガタイの宮廷に密偵として忍び込むことを密命されるが、途上で捕えられた成り行きで、即位して新たな皇帝となった第3皇子オゴタイの第6皇后・ドレゲネの、審問を受けることとなる。

このシタラとドレゲネの運命の出会いが、モンゴル帝国の運命を大きく狂わせていく…

モンゴル帝国に、あるいは一族を滅ぼされ、あるいは拉致されて、恨みを抱く第六妃・ドレゲネとヒロイン・シタラの密約。

『天幕のジャードゥーガル』5巻より(トマトスープ/秋田書店)

一方、皇位を継がなかったものの武力を含めて皇帝を凌いで勢力最大のトルイ皇子が宮中の火種だったものの、頓死。

皇帝・オゴタイと第一皇后・ボラクチンの支配体制は盤石となったかに見えた。

しかしトルイの死にはボラクチンの陰謀が関わっており、その陰謀はシタラの知るところとなった…

前巻に引き続き、今巻もオゴタイ・ボラクチンの体制側、シタラ・ドレゲネの復讐側、の図式。

『天幕のジャードゥーガル』5巻より(トマトスープ/秋田書店)

純フィクション作品と比べた時の、史実ベースの物語の面白さの一つは、「アクシデント」でしょうか。

大活躍が期待された重要キャラが、活躍する前に見せ場もなく、よく頓死します。

全盛期の田中芳樹の(SF/中世ファンタジー)歴史小説作品でも、重要キャラがよく頓死してました。

アレもまあ、リアリティ演出というより、参考にした史実でそういう場面が多かったんでしょうね。

ということで、トルイの頓死に続き、またも有力皇子の頓死で陰謀計画の修正を余儀なくされるシタラとドレゲネ。

今回はボラクチンもかw

あとは、人生を踏み潰される側だったシタラ(ファーティマ)が、「意図した形ではなかった」とは言え、政争の過程でいよいよ他人の人生を踏み潰す側に回り始めた、というところですかね。

『天幕のジャードゥーガル』5巻より(トマトスープ/秋田書店)

他人の犠牲も厭わず、全ては復讐のために。

自分を正当化しようとせず潔い。

それでこそシタラの狂気と滅びを物語として楽しめる、と思いつつ、ちょっとなんかDQNザマァのスカッとジャパンみたいだな、とも。

酷いラストを迎えるヒロインが聖女だとつらいけど、悪女でいてくれるとエンタメとして楽しめちゃうという、一種の公正世界仮説?

『スナックバス江』13巻より(フォビドゥン澁川/ 集英社)

シタラの業であり、私の業なんですかね。

人生を踏み潰されたものの怒りが歴史を動かし、その動いた歴史の果てにまた別の誰かを踏み潰される、人類の歴史って多かれ少なかれ、そういうもんか。

 

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#本なら売るほど 2巻 評論(ネタバレ注意)

自営業の町の古本屋、「古本十月堂」。

脱サラした青年が6年前に開業。

いろんな本、いろんな客、いろんな買取、いろんな販売、古本屋をめぐる日常と人間模様。

『本なら売るほど』2巻より(児島青/KADOKAWA) 

というハルタ連載の「古書店もの」漫画。

「古書店もの」と呼んでジャンル扱いするほど、作品が多い分野ではないかもしれないですけど。

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『百木田家の古書暮らし』の感想でも書きましたが、

「勤め人をリタイヤして趣味の延長マインドで悠々自適に古書店経営」

は、世俗と隔絶された「晴耕雨読」イメージというか、読書家や人文系オタクが憧れる「最後の職業」、シチュエーションの一つですね。

『本なら売るほど』2巻より(児島青/KADOKAWA) 

たぶん「そんなに楽ではない」んだろう、「世知辛いことも多い」んだろうな、とも思うんですが。

本作は縦軸となるミステリー要素やラブコメ要素も今のところなく、純粋に「古本屋を巡る人々」の日常ものとして、穏やかに詩情豊かに描かれます。

「日常もの」というか、「生活と、人生」ですかね。

世知辛いこと、それでも本に関われて嬉しいこと。

紳士で愛妻家で本好きな中野部長は気まぐれで経路を変えた帰り道、「新しい」古本屋に出会う。「鷹の目を持つ男」。

『本なら売るほど』2巻より(児島青/KADOKAWA) 

十月堂を訪れた銀髪の丸坊主の美女の注文は、「読み終わるまで絶対死ねないような面白い本」、そして「最終巻を1ヶ月預かってくれること」だった。「生ける人々の輪舞曲」。

十月堂が開業当時にうっかり買い取ってしまった漢和辞典、通称「諸星大漢和」全13巻は、名著だったが、デカく、重く、そして売れなかった。「本の海の漂流者」。

かつて乱歩に耽溺した女流エロ漫画家は長いスランプに陥っていた。編集者との打ち合わせの岐路、「スランプの乱歩が逗留するような」ホテルに遭遇する。「丘の上ホテル」前後編。

『本なら売るほど』2巻より(児島青/KADOKAWA) 

松本質店の長年の常連・前川は、珍品「束見本」を質に入れては受け出すことを40年以上続けていたが、そんなある日、大事な本を質に入れたまま、現れなくなった。「雲隠れ」。

本を巡る、「愛憎」、ではないですね。

「愛と信」とでもいうべきか。

コミックと電子書籍の好調をよそに、出版や本屋の斜陽が嘆かれて久しく、本作モチーフの「古書店」「古本屋」も決して景気のよい商売には見えません。

『本なら売るほど』2巻より(児島青/KADOKAWA) 

本の電子化や娯楽の多様化に伴う出版と本屋の衰退に関しては自分も当事者(読者)として思うところは在り、本作でもビジネス的に世知辛い展開や描写が度々描かれますが、その裏にノスタルジーだけではない本への愛情と、「本の強(したた)かさ」とそれを愛する自分を信じている、揺るぎなさが透けて見えます。

「我々、本を愛す。故に本あり。」

的な。

こう、「人間と犬」や「人間と馬」の絆を信じる人たちの強さに似てる気がしますね。

『本なら売るほど』2巻より(児島青/KADOKAWA) 

本もまた、人間の相棒である、本質的に。本だけに。

みたいな。

 

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#ウマ娘 シンデレラグレイ 18巻 評論(ネタバレ注意)

実在の競走馬を美少女擬人化した育成ソシャゲ『ウマ娘』の派生コミカライズ、「プリティダービー」がつかない『ウマ娘』。

『ウマ娘 シンデレラグレイ』18巻より(久住太陽/杉浦理史/伊藤隼之介/Cygames/集英社)

日本の競馬史に残る名馬・オグリキャップの現役時代をモチーフにしたスピンオフ。

1〜2巻で地方レース(カサマツ)編が終わり、3巻から中央に移籍。

ウマ娘世界観でいう「中央トレセン学園」に編入し、並み居る名バ達と本格的にシノギを削る展開に。

モチーフとなった史実が日本競馬史上最大級のシンデレラストーリーにして、トウカイテイオーと並ぶ日本競馬史上最大級の復活劇というドラマで、かつ現役時代を通じて魅力的なライバルにも恵まれていた馬のお話なので、更にifを加えた作話の骨組みの時点で優勝です。ありがとうございました。

『ウマ娘 シンデレラグレイ』18巻より(久住太陽/杉浦理史/伊藤隼之介/Cygames/集英社)

タマモクロスが去ったターフで新たなライバルたちとの激闘、題して「第三章 永世三強」編を経て、前巻から新章にしておそらく最終章、題して「第四章 芦毛の怪物篇」。

史実になぞらえれば残り5戦、残り1年、ラストイヤー。

遅くても2026年、早ければ2025年には完結してしまうんではないかな。

『ウマ娘 シンデレラグレイ』18巻より(久住太陽/杉浦理史/伊藤隼之介/Cygames/集英社)

モデルとなったサラブレッドの現役引退、死去に続いて、オグリキャップとの三度目のお別れの時間が刻々と近づいています。

北原がようやく再登場、オグリと相思相愛で念願の再タッグ。

ラストイヤー、第1戦はマイル戦G1、ヤエノムテキやバンブーメモリーなどの名うての名マイラーたちがてぐすね引いて待ち構える安田記念。

平たくネタバレすると今巻の冒頭で安田記念を勝利しますが、更に身も蓋もなくネタバレするとここから3連敗する「曇らせ展開」に入ります。

『ウマ娘 シンデレラグレイ』18巻より(久住太陽/杉浦理史/伊藤隼之介/Cygames/集英社)

安田記念ゴールの瞬間、「まるで魔法が解けたような」違和感を覚えたオグリキャップ。

オグリ自身もレース後も正体をつかめない違和感の瞬間、追い込んで2着に入ったヤエノムテキだけが「それ」を見ていた…

「ウマ娘」の人気キャラ、メジロマックイーンはじめとするメジロ軍団や樫本トレーナーが登場するファンサービスがありつつも、

『ウマ娘 シンデレラグレイ』18巻より(久住太陽/杉浦理史/伊藤隼之介/Cygames/集英社)

明らかにキナ臭く残酷に加熱していく「オグリフィーバーの光と影」と併せるように、

「オグリキャップが安田記念ゴールの瞬間に覚えた違和感」

に関する、奥歯に物が挟まったようなモヤモヤする描写が続きます。

曇らせ期に入ることは知ってはいつつも、

「『シングレ』のオグリに一体何が起こったのか」

気になったまま、ラストイヤー第2戦、宝塚記念に続く。

『ウマ娘 シンデレラグレイ』18巻より(久住太陽/杉浦理史/伊藤隼之介/Cygames/集英社)

なんなの!? バナナが犯人なの!?

 

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#GROUNDLESS 12巻 -使い捨ての英雄達- 評論(ネタバレ注意)

このサブタイトルにこの表紙、フラグにしか見えないのよ…

ラジオや映画、自動小銃はあるけど、TVやネットはなく、空軍はプロペラ機ぐらいの時代設定、島国アリストリアが舞台の架空戦記。

『GROUNDLESS : 12-使い捨ての英雄達-』より(影待蛍太/双葉社)

大陸政府の支配下で体制側である中央合議会とその正規軍の「島軍」、これに反旗を翻した「解放市民軍」による内戦。都市防衛を第一義とするも島軍に従属する「自警団」。

ヒロインは、島軍と解放市民軍の間で武器商の夫を殺され子を失い、復讐を誓う隻眼の未亡人。

秘蔵の狙撃銃で自警団に参加し開花した天才狙撃手。

民族間の断絶から終結が見えない内戦の中で、状況に流されながら生き残るために戦うヒロインたち。

『GROUNDLESS : 12-使い捨ての英雄達-』より(影待蛍太/双葉社)

見せ場はヒロインの狙撃シーン。局地戦を舞台に劣勢の戦局をチート気味にひっくり返すカタルシスとともに、高性能スナイパーの怖ろしさ、残酷さ、罪深さ、「人間に向けて銃を撃ったら人間が死ぬ」という当たり前のことをこれでもかと描写。

もともと自主制作だった作品を編集担当が見初めて、という経緯でブレイクした作品ですが、数巻前のあとがきによると、編集担当と折り合わず担当を外れてもらって、双葉社の場を借りての編集なしの自主制作のような制作体制になって、今巻も特に状況は変わっていないようです。

もともとのやり方に戻っただけとも言えますが、編集担当がついたり外れたりした経緯の結果、編集担当がいた方が面白いのか、いない方が面白いのか、図らずも作品に編集担当が関わるメリット・デメリットの試金石みたいな作品になっちゃったように思われました。

『GROUNDLESS : 12-使い捨ての英雄達-』より(影待蛍太/双葉社)

が。

一冊で中編エピソードのスタイルですが、編集担当が付いていた頃から、不躾な言い方をすると巻ごとの(私の感覚での)当たり外れが割りと極端に出る作品でしたが、編集担当がつかなくなっても、巻ごとの(私の感覚での)当たり外れが大きいのは相変わらずで、編集担当の居る居ないの問題ではないのか、とw

大手漫画誌の新人の投稿や持ち込みだったらNG喰らいまくるような、「売りたい漫画」だったら絶対やらないような表現手法がてんこ盛り。

『GROUNDLESS : 12-使い捨ての英雄達-』より(影待蛍太/双葉社)

大きな作戦に勝利し、各地を残党狩りで転戦するようなフェースに移行したダシア自警団。

長かった内戦も終結に向かい、ダシア自警団も解散の方向へ、平和が見えてきたかと思われたが…

長い内戦の中で島国・アリストリア政府は密かに新兵器を開発、これの実用化が目前となっていた。

アリストリアの新兵器のローンチを敏感に察知した島外の大国・スタインブルグ共和国は、アリストリアの兵器工廠になりふり構わず空挺部隊を電撃派遣。

友軍たる上陸部隊も補給部隊も持たない、「決死隊」であった。

かくして島国の小国と、島外の大国との、大きな戦争の、小さな局地戦が始まった…

今巻も激戦ですが、少数で浸透してきた単独の空挺部隊の撃滅という、先頭規模は小規模なものでした。

ただ冬山で、夜間戦闘で、敵の部隊には空挺戦車も。

『GROUNDLESS : 12-使い捨ての英雄達-』より(影待蛍太/双葉社)

あと雪山での夜間戦闘という劣悪な環境での激戦の緊迫感はありつつも描写としては局地戦ながら、展開としては「大国・スタインブルグとの開戦」の嚆矢、となりそうな、ストーリー上の重要な転換点。

島国・アリストリアの開発した「新兵器」が気になります。

大国・スタインブルグがこれだけなりふり構わず実戦配備を妨害してくるって、核兵器でも作っちゃったんかしら。

並行して、島国・アリストリア自体が140年前の敗戦国で在り、スタインブルグ主導の統治下で復興した国で在ることが語られます。

現実で喩えるのはたぶん不適切なんですが、架空戦記的に言えば内戦(架空)状態が治まりつつあるかつての敗戦国・日本に、かつての戦勝国・アメリカが軍事介入してくる感じでしょうか。

今巻はとても嫌な予感のする巻タイトルでしたが、想像していたよりは今巻自体の内容はだいぶマシでした。

重要ながら、「章と章の繋ぎエピソードの巻」という感じ。

『GROUNDLESS : 12-使い捨ての英雄達-』より(影待蛍太/双葉社)

「どうだ明るくなったろう」の人に似ているw

ただ、終戦かと思いきや政治の都合による新たな開戦、ダシア自警団が次巻以降、「使い捨て」にされる展開の始まり、という意味で、「よかった」とはとても言い難いですが。

 

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#気になってる人が男じゃなかった 3巻 評論(ネタバレ注意)

陽キャでギャルな女子高生・大沢あやは、しかし洋楽ロックバンド趣味が周囲の友人とは合わず、音楽は独りで聴くことにしていた。

『気になってる人が男じゃなかった』3巻より(新井すみこ/KADOKAWA)

ある日の帰り道、あやが立ち寄った新しいCDショップのバイトのお兄さんは、細くてスタイル良くて黒ずくめのパーカーとマスクで音楽のセンスも良いイケメンで、あやの運命の「推し」になった。

あやの運命の「推し」のお兄さんは、洋楽好きでユニセックスなファッションが好きで叔父のCDショップでバイトをしている、実は学校であやの隣の席の陰キャでメガネで目立たず過ごしている女子高生・古賀みつきだった。

みつきは、隣の席の陽キャギャルの片想い相手がバイト時の自分であることに早々に気づいたが、自分の「正体」をあやに打ち明けられずにいた…

『気になってる人が男じゃなかった』3巻より(新井すみこ/KADOKAWA)

という、どこか孤独を抱えた二人の「ガール・ミーツ・ボーイ(ガール)」から始まる、青春マスカレード百合(?)コメ漫画。

「マスカレード」は、「片方もしくは両方が正体を隠して恋をする話」を意味する、自分の造語(?)です。

あと、「百合」かどうかはあなたのハートに訊いて各自、自分で好きなように決めてね!

ということで、男装(?)少女の変身かっこよさ感、恋するギャルの可愛い感、未満百合のドキドキ感、マスカレードなニヤニヤ感とドキドキ感など、いろいろ尊くてTwitterで話題になって、単行本化。

『気になってる人が男じゃなかった』3巻より(新井すみこ/KADOKAWA)

絵も作品テーマにマッチしてどこか静かなのにどこか華やかで、ラブリー。

自分はkindleで読んでてキミドリ色の画面が印象的ですけど、これ紙書籍もキミドリ色なんかな。

バズありきのTwitter発の漫画は構成というか構想の「背骨が薄」くて連載長期化に耐えられない作品が前は多かったんですけど、最近はこなれたというかライク・ア・ローリングストーンというか、どう転がっていくのかわからないライブ感を逆手にとった、面白い漫画が増えてきたように思います。

とはいえ。

メタ情報がノイズになっているのか、

「萌えシチュだけ考えてバズって、オチを考えていなかった」

故の迷走を幻視してしまう気もします。

反面、

「走りながら考えている」

ライブ感もw

最初からエンディングが決まってたらごめんなさいw

『気になってる人が男じゃなかった』3巻より(新井すみこ/KADOKAWA)

作中、割りとあっさり高3に進級、卒業後の進路が気になる時期に。

スマッシュヒットの割りに引き伸ばしするつもりはないんだな、とも。

・百合未満恋愛の話

・「好きを貫く」話

・もしかしたら「音楽に選ばれた人」に恋した少女の話?

それもこれもひっくるめて、「青春の話」と言ってしまえば、それはそうなんですが。

3巻、少しずつその才能と魅力が「世界に見つかっていく」古賀さん。

同時に、あやから見た彼女が

「音楽でしか救われない人間であること」

「音楽に選ばれた人間であること」

がより鮮明に描かれていきます。

実は読者からは

「音楽とあやでしか救われない人間」

に見えていて、「叔父と元カノが犯した失敗」も含めて、最後の答えはもう見えているようなものなんですけど。

『気になってる人が男じゃなかった』3巻より(新井すみこ/KADOKAWA)

時制もテンポよく進んで、高3のクリスマスに。

「高校の教室の狭さ」も必要な要素である漫画に見えますが、普通に考えたら4巻で完結なんですかね?

音楽もの漫画において「ビッグになること」はアクセサリーではあっても必ずしもゴールでないことを、我々は40年近くも前に経験していて、

『TO-Y』10巻より(上條淳士/小学館)

気になるのはやっぱり結局、そのラベルが恋愛であるかどうかはともかく、古賀さんとあやの関係に収束していく感じでしょうか。

音楽に選ばれた人間の作品であっても、聴いてくれる人がいないと成り立ちませんしね。

そういえば、在るのか無いのか未だによくわからない(でも作品によってはキッチリ線が引かれる)「恋愛の片想い」と「推し感情」の境界線が、ここまではフワフワした漫画だなあ、と思います。

『気になってる人が男じゃなかった』3巻より(新井すみこ/KADOKAWA)

最期まで既製のラベルを貼らないのも、それはそれで正解かもね、と。

 

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#ベイビー車中ハッカーズ 1巻 評論(ネタバレ注意)

夜凪富士、16歳、高2。

カメラマンだったが数年前に他界した父の影響で車中泊が大好きだが、車の運転免許がないので庭に停めたクルマで車中泊する日々。

『ベイビー車中ハッカーズ』1巻より(たびれこ/集英社)

高2の新クラス、新しいクラスメイトで家が近所でギャルっぽい一ノ瀬朝日。

ひょんなことから庭で車中泊している富士のもとを訪れた朝日は、実は入院が原因で留年、休学中に運転免許を取得した「運転できるJK」。

車中泊好きでクルマ持ちながら運転免許がない少女と、運転免許はあるがクルマがない少女のガール・ミーツ・ガールから始まる趣味もの、「車中泊もの」。

平たく言うとクルマと免許がある「ゆるキャン△」風。

『ベイビー車中ハッカーズ』1巻より(たびれこ/集英社)

ちょっと調べたら「オートキャンプ=車中泊」とは限らないみたいね。

www.google.com

車中泊はサイトのルールとマナーを守って行いましょう。

道の駅の駐車場も、「車中泊禁止」のとこ、ちょいちょい見ますね。

「クルマもの」と「キャンプもの(含グルメ)」のいいとこ取り、という感じ。

ネタ的には、

・キャラ

・何に乗るか

・どこに行くか

・何を(作って)食うか

がキモなんですかね。

『ベイビー車中ハッカーズ』1巻より(たびれこ/集英社)

クルマはこれハスラー?クロスビー? 詳しくないのでよくわからんw

www.google.com

1巻作中で地域が明言されてないっぽく思いましたが、作中の背景に度々富士山が登場しているので、山梨か静岡ですかね。

ダブルヒロインの1人の名前も「富士」だし。

『ベイビー車中ハッカーズ』1巻より(たびれこ/集英社)

キャラは前述のとおり流行のとおりダブルヒロインが女子高生。

「車中泊」というモチーフ上、大学生のがいろいろ融通利きそうですけど、

「高校生だけど免許持ってて運転できる」

のプレミアム感あって、これはこれで。

高校生の時にクルマ運転できてたら楽しかっただろうなあw

主人公たちを敢えて高校生に据えた、少し捻った設定のせいで、「あるある性」にちょっと負荷がかかってんですけど、

『ベイビー車中ハッカーズ』1巻より(たびれこ/集英社)

「クルマ持ってるけど運転できないヒロイン」

「JKだけど運転できるヒロイン」

の個性や、それぞれの事情、「そこに至った人生」、「そこから至る経験と境地」などのドラマ作りにも一役買ってます。

「JKヒロインのおじさん向け趣味もの日常もの」

は「ユルい・可愛い・楽しい」な脳天気な日常コメディが多い印象ですけど、本作もご多分に漏れず。

一匹狼というか「孤高のネコ」体質の富士、「よく懐くイヌ」体質の朝日。

自分も昔、初代のスズキ・ワゴンRと初代のトヨタ・bBに乗ってたので、後席をフラットにできるミニバン大好きです。

『ベイビー車中ハッカーズ』1巻より(たびれこ/集英社)

「どこにでも行ける移動秘密基地」感、ロマンですよね。

ワクワクしちゃう。

 

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#ストランド 2巻 評論(ネタバレ注意)

岐阜県H市(羽島ですかねw)の高校2年のクラスメイト4人は、読書感想文や開発したアプリの表彰、学級委員としての付き添いなどで、新幹線で東京に行くことに。

IT知識と投資式に長け、お年玉を株式投資に回して資産2,000万円に達し、開発したアプリも表彰される真中(♂)。

家庭の事情で貧しくスマホもケータイも持ってないながら、『ハンター』のゴンのように野生児気質で真っ直ぐな性格の朝比奈(♂)。

クラス委員でいい人そうな美白イケメンの白根(♂)。

同じくクラス委員でK-POP大好きな、紅一点の成澤、「心ちゃん」(♀)。

駅に集合し乗車した4人を乗せた新幹線が品川駅付近に達したところ、新幹線が停止、乗客たちのスマホなどの電子機器類も全て故障。

停車した新幹線のドアをこじ開けて降りた東京は、信号も照明も消え、自動車があるいは停まりあるいは衝突事故を起こし、末は航空機がボコボコ墜落し炎上する地獄絵図だった。

『ストランド』2巻より(益子リョウヘイ/NUMBER8/小学館)

日本列島は、軍隊風の謎の集団が飛ばした気球群に覆われ、それらが発したEMP攻撃によりあらゆる電子機器が破壊・無力化された世界となった…

というディザスターもの。

映画で言う、「パニック映画」「ディザスター映画」「災害映画」。

パニック映画(パニックえいが)、またはディザスター映画(ディザスターえいが)、災害映画(さいがいえいが、英: disaster film)は[2]、災害や大惨事など突然の異常事態に立ち向かう人々を描く映画のジャンル。

日本では「パニック映画」という名称が長く用いられてきたが、近年では英語圏の呼び名の直訳である「ディザスター映画」の使用が増えている。英語圏以外ではカタストロフィ(fr:Film catastrophe)が使用されることが多い。

様々な人間の行動を描くためにグランド・ホテル形式が用いられる。異常事態を描くために大掛かりな特撮(SFX)が使われることが多い。 

ja.wikipedia.org

「ゾンビもの」とか『ゴジラ』とかの一部の怪獣ものも広義の「ディザスターもの」に含まれる感じなんですかね?

漫画で言うと『ドラゴンヘッド』とか。

『ストランド』2巻より(益子リョウヘイ/NUMBER8/小学館)

なんで特に映画において「ディザスターもの」が多いかって、「生き残れるか」という単純ながら強力なストーリーの引力が強いのと、事故・災害・破壊の描写の映像としての「映え」が強いんでしょうね。

不謹慎ながら、見ちゃうもの。

ボンカレーがどう作っても美味いように、ディザスターものはディザスターものであるという時点でもう少し面白い。

本作はディザスターの原因がEMP攻撃による、という変わり種。

SFやミリタリー好きだと頻出するんで「EMP」で通じますけど、アレです、『MATRIX』の一作目でタコロボット群を電磁波で壊すやつ。

www.google.com

まあ、太陽フレアなどを除くと、兵器ですね。本作も兵器によるEMP攻撃。

なので自然災害ではなく、戦争攻撃、もしくはテロによる人為災害。

「ディザスターもの」の主人公たちの行動目的は、サバイバルと脱出。

今回は日本社会そのものが被害を受けているので、敵性勢力の排除とインフラ復旧までが視野に入るのかしらん。

まあその辺は主人公たちの仕事じゃないっぽく、まだ詳細があまり語られない「敵性勢力」と、日本政府や自衛隊の動きも背景として描写が挟まれます。

『ストランド』2巻より(益子リョウヘイ/NUMBER8/小学館)

1巻はとりあえず、主人公たちが

「東京来たら新幹線止まった」

「新幹線から脱出したら品川の街が阿鼻叫喚だった」

というところまで。

人口密集地で事故やトラブルも多そうな東京を脱出して、岐阜羽島への帰還、もしくは朝比奈の弟がいる富山への到着が勝利条件、という感じでしょうか。

主人公たち4人グループが、「IT特化型の頭脳派オタク」「IT不要のゴン型の野生児」「薄着の女」と、EMPディザスター状況に対してそれぞれ役割が尖ってて良いですね。

イケメンの白根くんだけ、まだ役割がよくわからん。

「腹黒の裏切り者」枠?

2巻はホームセンターで物資調達、奇跡的に営業している町中華、最初の一泊、目的地設定、飛行機墜落現場に遭遇、などなど。

本格的なサバイバル行程開始、まずは東京脱出を目指して。

『ストランド』2巻より(益子リョウヘイ/NUMBER8/小学館)

災害で余裕がなくなって怒りっぽくなったり、世紀末ヒャッハーになったりする大人が多い中、まだ余裕を保ってる大人、そしてまだ余裕を保ってる主人公たち。

「災害がもたらす非日常」が、すぐ終わるのか、永遠に続くのか、どれぐらいでインフラや治安などの社会機能が回復するのか。

先がわからない中、人によって倫理観の壊れ方や速度のバラつきというか「ヒャッハー化」に濃淡があるのが妙に生々しいですねw

主人公チームはベビーフェイス路線、「良い人縛り」で行くようです。

若さなのか、客気なのか、まだ余裕があるのか、4人組故の余裕か、「好きな子が見てる」からなのか。

この状況下で、目標を地元の岐阜から、朝比奈の弟がいる富山に変更することに全員があっさり賛成したり。

『ストランド』2巻より(益子リョウヘイ/NUMBER8/小学館)

全体的に、主人公たちにしろ、MOBたちにしろ、行動と動機がなんかフワフワ浮ついてるというか、

「そうはならんやろ」

と一見リアリティがないように見えるんですけど、前述のとおり災害状況がどれだけ長引くかも不透明な中、また災害に動揺する中、

「どう振る舞うべきか」

理性で決めかねて感情的に振る舞ったり、周囲に流されたり、

「やっぱ、そういうもんかも」

と思ったり。

焦ったくも人助け路線で寄り道多そうな主人公チームの旅はまだ東京、俺たちの旅はまだ始まったばかりだ!

『ストランド』2巻より(益子リョウヘイ/NUMBER8/小学館)

と次巻に続く。

 

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#放課後メタバース 2巻 【完】 評論(ネタバレ注意)

口下手な陰キャを自認する少年・二宮は、クラスの図書委員でペアになった、クラスメイトの荻野目さんが苦手だった。

『放課後メタバース』2巻より(秋★枝/KADOKAWA)

荻野目さんはスクールカースト上位の陽キャなギャルで、住む世界が違うと感じていた。

しかし根っからの陽キャで話好きの荻野目さんは、そんな劣等感を抱く二宮の陰キャ性など気にすることなく、気さくにぐいぐい話しかけてくる。

荻野目さんを眩しく思い、自分を引き比べて劣等感に苛まされながらも、二宮は彼女に惹かれ、

『放課後メタバース』2巻より(秋★枝/KADOKAWA)

人気のない放課後の図書館で図書委員として二人で過ごす月曜と金曜の放課後を心待ちにするようになる…

という、秋★枝先生の新作の青春ラブコメ。

Twitterのbioを見る限り、ご出産・育児で休業からの復帰っぽい。

陰キャ少年と陽キャギャル、という、ラブコメ漫画としては今どき珍しくもないというか、令和の世においてはもはや定番・スタンダードと言っていい初期設定。

『放課後メタバース』2巻より(秋★枝/KADOKAWA)

タイトルに含まれる「メタバース」がバズワードとして目を惹きます。

「教室とは別の世界」ぐらいの意味でしょうか。

今巻で完結。

喋りが苦手な代わりにモノローグの多い主人公の少年、との対比なのか、1巻では口数が多い代わりにモノローグがなかったヒロインでしたが、2巻で若干モノローグ解禁。

モノローグを全部消したらすごくシンプルなラブコメ、ラブストーリーだったと思います。

『放課後メタバース』2巻より(秋★枝/KADOKAWA)

なんかこう、いろいろ思い出します。

頭で考えてる100分の1も口に出せないもんだよなとか、中高生の「恋愛未満の時間」はすぐ〆切がやってくるんだよなとか、告った時・返事を聞く時の時間が伸び縮みするような感覚とか。

短くシンプルで、隠キャとギャルのありふれたボーイ・ミーツ・ガールの日常ラブコメ。

『放課後メタバース』2巻より(秋★枝/KADOKAWA)

誤解を恐れず言えばこれより面白いラブコメ漫画はいろいろ思い至りますが、読んでこの作家の作品より

「自分もなんか恋をしたくなるラブコメ漫画」

は、なかなか見当たらないような気がします。

『放課後メタバース』2巻より(秋★枝/KADOKAWA)

次回作もとても楽しみです。

 

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#平和の国の島崎へ 8巻 評論(ネタバレ注意)

30年前、国際テロ組織「LEL(経済解放同盟)」により羽田発パリ行きの航空機がハイジャックされ、機はテロリストによって中東の空港に降ろされた。

乗客は全員、殺害されるか、もしくは洗脳され戦闘員としての訓練を施されLELの構成員、テロリストに育て上げられた。

『平和の国の島崎へ』8巻より(濱田轟天/瀬下猛/講談社)

30年後、当時児童だった島崎真吾はLELの拠点を脱出して日本に帰国、同様に脱出した同じ境遇の「日本人」たちと、日本国内で公安警察の監視を受けながら「コロニー」で生活。

喫茶店の店員や漫画家のアシスタントのバイトをしながら、日本語の漢字や現代の日本の文化に少しずつ馴染もうと努力していた。

しかし、LELは脱出者への厳しい報復を身上としており、島崎たちの身辺にもテロリストの追手が少しづつ忍び寄っていた…

というハードボイルドもの。

『平和の国の島崎へ』8巻より(濱田轟天/瀬下猛/講談社)

「足を洗った殺し屋が一般人として生活」という雑に括る限りにおいて、建て付け『ザ・ファブル』によく似ています。

組織が「幻の殺し屋組織」から実在のモチーフを想像させる「国際テロ組織」に置き換わったことで、より血生臭く生々しい作品になりました。

「カタギになったアウトロー」は能力がある漫画家が真面目に描けば面白くなるに決まっている建て付けで、昔から『静かなるドン』やら最近だと『島さん』やら、その他ハードボイルド小説などでも定番の設定。

『平和の国の島崎へ』8巻より(濱田轟天/瀬下猛/講談社)

今巻は出版社も作風も全然異なりつつも、奇しくも同じく「不殺の殺し屋」を主人公にした『リコリス・リコイル』コミカライズの新刊と同日発売。

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不殺の殺し屋の元祖ってなんでしょうね。

『るろうに剣心』?『シティハンター』の方が古い?

って、真面目に考えたら割りとあっさり時代劇や古典文学に行きつきそうですね。

島崎は1年以内に戦場に復帰してしまうことが『100ワニ』方式のカウントダウンで作中で予告されています。ある意味、日本を去って戦争に復帰してしまう『シティーハンター』。

前述の『リコリス・リコイル』も含めて、連載現役の「殺し屋漫画」はたくさんあるんですが、その中で最も「救いのない」作品のように見えます。

『平和の国の島崎へ』8巻より(濱田轟天/瀬下猛/講談社)

や、やめろ…

「普通の人」になりたい主人公、でも追っ手をかける古巣の組織と、自身の信念のようなものがそれを許さず、一度囚われた憎しみの連鎖・暴力の連鎖から逃れられない。

今巻はアクションシーンはほとんどなく、「日本帰国後、エピソード・ゼロ」の続きの回想と、島崎の現在の生活は新展開。

能力が高いが善良な島崎のお人好しにつけ込んで利用しようとする、平和な日本の民間社会における「悪意・害意のようなもの」、「善意を装った搾取」。

『平和の国の島崎へ』8巻より(濱田轟天/瀬下猛/講談社)

島崎が過去に戦場で経験してきた「敵意」「殺意」と比べれば、本人的には取るに足らないことかもしれませんが、彼を守ろうとするマスターや社長たちと同じく、小悪人にやすやすとつけ込まれる島崎のお人好しぶりに、読んでて悶々とストレスを感じる展開。

暴力で解決するべきではない問題ながら、

「島崎が暴力を振るうことを正当化するに足る、尻尾を早く出せ」

と、「悪役」に対してつい物騒なことを思ってしまいます。

同時に、親身になって島崎の身を案じて心配してくれるマスターたちの得難さや、平和な社会での立ち居振る舞いの「壁」にぶち当たっている島崎の悩みのレベルが少し上がってきている「成長」も感じる展開。

ピュアな敵意・殺意が飛び交う戦場とは異なる「平和」なはずの社会の、欲望や悪意を巧妙に善意に見せかける姑息さ・濁った醜さに嘆息しつつも、マスターや社長の、島崎の身を案じるが故の彼への苦言に、むしろ「捨てたもんじゃねえ」と救いを感じてしまいます。

『平和の国の島崎へ』8巻より(濱田轟天/瀬下猛/講談社)

続きが気になりつつ次巻に続きますが、冒頭の「日本帰国後、エピソード・ゼロの続き」も、この作品らしい良いエピソードでした。

 

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#リコリス・リコイル 6巻 評論(ネタバレ注意)

近未来(?)の日本、孤児を集めて女子高生エージェント「リコリス」に仕立て上げ、凶悪犯を捕まえたり殺したりする公的機密機関「DA」。

『リコリス・リコイル』6巻より(備前やすのり/KADOKAWA)

きゃわわ。

DA本部のリコリス"たきな"は、現場で命令無視して凶悪犯に人質の味方ごとライトマシンガンをぶっ放し、味方こそ無事だったものの逮捕・取り調べ予定だった犯人たちを全員射殺し、左遷。

新たな配属先はDAの潜伏サイト、喫茶店「リコリコ」だった。

「リコリコ」先任の千束は「東京一のリコリス」と高名だったが、千束とバディを組むことになった たきな を待っていたのは、「町のなんでもお助け屋さん」の日々だった…

という美少女ガンアクション・ハードボイルド?

『リコリス・リコイル』6巻より(備前やすのり/KADOKAWA)

きゃわわ。

『ガンスリ』や『デストロ』に『攻殻』と『シティーハンター』を混ぜて4で割って、最後に『ごちうさ』で仕上げた感じです。

出版社も作風も全然異なりつつも、奇しくも同じく「不殺の殺し屋」を主人公にした『平和の国の島崎へ』の新刊と同日発売。

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自分は本作の1巻を読んだ時点ではTVアニメを未視聴だったんですが、1巻読んで続きが気になったのでサブスクで全話観ました。面白かった。

可愛い女の子がカッコよくて可愛くて眼福だったので、その後ゲームしながらとかのBGM代わりに5周ぐらいかな?観ました。

『リコリス・リコイル』6巻より(備前やすのり/KADOKAWA)

きゃわわ。

大変「出来物」のコミカライズで、ストーリーや原作アニメに忠実に、たまに補完的な追加描写あり、リコリスたちの描写も原作に忠実に可愛くアクションはかっこよく、描写や演出は漫画らしくアレンジ。

反面、純・日常ものスピンオフのコミカライズも並行して別作品が展開されている関係で、

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アドリブ・深掘りは「そっち」に譲っているのか、日常シーンについては却ってオリジナル要素をちょっと入れにくくなっちゃいましたかね、という感じ。

でも希少な追加シーンは「在りそうなシーン」「言いそうなセリフ」で、ちょっと「おっ!」となります。

『リコリス・リコイル』6巻より(備前やすのり/KADOKAWA)

アラン機関も認める「ギフテッド」なテロリスト・真島によるリコリス狩りと千束に伸びる魔の手、先生のスマホの不審なメールを目にしてしまった千束とたきなの潜入捜査。

DAと真島が互いを公然と「敵」と見定めて抗争する展開に。

今巻はバーの潜入から「ヨシさん」の正体(半分)、そして名エピソード「喫茶リコリコの経営改善」とたきなの新メニュー、真島との二度目の遭遇(というか来襲、というか訪問)、そしてストーリーを左右する、千束の健康診断。

『リコリス・リコイル』6巻より(備前やすのり/KADOKAWA)

忍者が「出されたものを飲食しない」という話がありますが、

『HUNTER×HUNTER』1巻より(冨樫義博/集英社)

千束が注射を怖がっていたのも、それに何か通じるものを感じます。

結果的に注射を怖がる千束がただしかったというか。

今巻はガンアクション・シーンは控えめながら、シリアス・日常コメディ・またシリアス、と展開の振れ幅の大きく、なによりキャラたちが相変わらず可愛らしい、読み応えのある巻でした。

話もここまでくると終盤が見えてきた気がしてきて、ちょっと気が早いですけど、このコミカライズの終わりも意識してしまって早くも少し寂しいです。

『リコリス・リコイル』6巻より(備前やすのり/KADOKAWA)

コミカライズ・オリジナルで続きを描いてくれても、いいのよ。

 

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#灰仭巫覡 3巻 評論(ネタバレ注意)

 

双頭ヒロインを差し置いて、この子が先に表紙を飾るんだ。

まあ、内容的に、そうなるな。

『灰仭巫覡』3巻より(大暮維人/講談社)

現代から少し未来?、何らかの理由で科学が衰退?した代わりに、巫覡(ふげき、シャーマニズム)によって?それまで見えていなかったものが視えるようになった?世界。

 

それまで「天災」としか認識されていなかった現象が、神(あるいは化物?あるいは妖怪?)の怒りの顕現であることが、暗闇を伴って人間に視えるようになった。

「夜」と呼ばれるようになったソレと、人類は科学技術に替わる新たな技術体系・巫覡(など?)で闘う。

大英帝国の第3皇子・ガオは、英国・イーストボーン、オルドナス要塞での「颱の夜・キャサリン」との戦闘から、母に逃がされる形で脱出。

母の最期の言葉に従い日本に向かったSF宇宙艦風の武装タンカー艦は、しかし、颱の夜の追撃を受けて田舎の平野部に不時着。

『灰仭巫覡』3巻より(大暮維人/講談社)

そこで出会ったのは、理不尽を引き寄せる「巫覡魂」という霊質と強い巫覡力を持ち、怒れる神を祓う「燠火の神楽兵」の巫覡(パイロット)を務める少年・仭(じん)と、その仲間の少女たちだった。

艦の不時着事故が仭の母親を死なせてしまったガオ一行は、そのまま日本に居つき、仭たちの高校に通いつつ、仭たちと共に次々に現れる「夜」と闘っていく…

オリジナルの用語と設定の上に更にオリジナルの用語と設定が積み重ねられ、「パルスのファルシのルシがパージでコクーン」みたいになってて意味がわからないかもしれませんが、まとめるとこういう感じです。

絵が綺麗!女の子可愛い!絵がもの凄い!バディもの!神楽の舞がかっこいい!田舎の夏!青空!入道雲!美少女!フェチ!猫!変なギャグセンス!絵がもの凄い!

で、とりあえず変身ヒーローもののように楽しんで良いかと思います、まだ。

『灰仭巫覡』3巻より(大暮維人/講談社)

前作『化物語』コミカライズに続いて「オカルト・バトル」分野ですが、「災害」を受肉・顕現させて折伏・調伏すべき敵?に定めているのが、大震災などを経た21世紀的、と言っても良いかもしれません。

あと主人公の少年2人とも、直近に母親を喪失してますね。

西洋的で物質的で電子的で戦闘的な世界観思想の限界、再興する東洋的で精神的で量子的で融和的な世界観を目指す思想。

近年は「スピリチュアル」というと悪用する人間のせいで少々イメージ悪いですが、「言魂(言霊)」「厄」「荒魂」「祟り」「鎮めと祓い」「舞・神楽」、「神道的」と呼んでいいのかな、そういう感じです。

「邪と戦うのではなく、鎮め祓う」

東洋的なファンタジーは往々にして精神的な禅問答に行き着いて、漫画映えしにくいことがあるんですが、バトル描写の代わりに本作で描かれるのは大暮維人の作画による、美少年・美少女たちによるド派手で美麗な「舞・神楽」描写!

『灰仭巫覡』3巻より(大暮維人/講談社)

「ダンス漫画」とカテゴリしても差し支えない、というより、ダンス漫画の「ムラサキ」が神事の再現としての側面が描かれたのに対し、

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本作はファンタジーを口実にダンスを直球の神事そのものを描いてます。

巫女も踊り子も、神秘的で美しい、その両方、みたいな。

夏休み映画のような牧歌的で美しい田舎を舞台に、SFメカとオカルトクリーチャーがカオスに共存、エロ美しい美少年・美少女たちがド派手に美麗に舞い踊る、オカルトバトル&ダンス、大暮維人の筆によるエンタメ大作な王道青春漫画。

大量の登場人物、スピリチュアルでカオスで作者の匙加減次第の世界観、序盤で「絵は綺麗だけど厨二病的で難解で衒学的でごちゃごちゃしてて何やってるかよくわかんない作品」と受け取られ「ついていけない」と敬遠されかねない危惧は感じます。

今巻は、前巻の続き、封印した夜たちを浄め祓う「大祓の祭り」本番。

『灰仭巫覡』3巻より(大暮維人/講談社)

巫覡見習い・縁の気の迷いが原因で祭り直前に脱走した特定危険指定災害「鎌鼬の夜」、魂を刈り取られ連れて行かれたフユ。

「大祓の祭り」の裏で、縁は命を賭けて「鎌鼬の夜」を再び封神し、フユの魂を取り戻すことを誓う。

今巻も相変わらず超絶ビジュアル、美男美女の少年少女たちがエロくフェチく踊りたくるアクション展開。

その他、「かまいたちの夜」の名前被せにいってんねとか、人間にツンデレなかまいたちが『うしおととら』のかまいたちを思い出すねとか。

ああ、「牧歌的な日本の田舎」と思っていた仭たちの町が滅びた後の●●だった、プチ・ポスト・アポカリプス設定とか。

超絶ビジュアルに押されるように深読み・裏読みしたくなる漫画ですけど、ストーリー自体はシンプルで、

「神事の美しさを自分の技量の粋を極めて再現したい」、

割りとピュアな動機で描かれてる作品のように思います。

自分は楽しく読んでます。

『灰仭巫覡』3巻より(大暮維人/講談社)

「考えるな、感じろ」

はまあ、感想を語る上で作品と向き合って言語化する責任の、放棄かもしれませんがw

人間は結局、男女を問わず美しく描かれた人間に惹かれるというのは、なんかちょっと種族的ナルシシズムなのかなあ、などとトンチキなことを少し考えた。

 

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#猫を処方いたします。 1巻 評論(ネタバレ注意)

「京都市中京区麸屋町通上ル六角通西入ル富小路通下ル蛸薬師通東入ル」という暗号のような住所に営まれる、精神科クリニック「中京こころのびょういん」。

『猫を処方いたします。』1巻より(石田祥/ふじもとまめ)

仕事や家庭の人間関係で心が疲れた人々がやってくるこの病院は、しかし処方箋として「猫を処方」する、一風変わった病院だった。

おかしな処方に首を傾げながらも、患者たちは猫を自宅に連れて帰り、決められた期日を猫と共に過ごすことをきっかけに、人生がちょっぴり変わるのだった…

という、現代日本(京都)を舞台にした少し不思議なんかメルヘンでアニマル・セラピーな精神科もの、猫漫画。

と、簡単に紹介するとそういう話ですが、「アニマル・セラピー」を名乗るほど合理的ではなく、「精神科もの」というほど病院が舞台ではなく、表紙の医者の出番も多くはありません。

猫を預けられた患者たちのヒューマンドラマが中心。

『猫を処方いたします。』1巻より(石田祥/ふじもとまめ)

むしろ患者の方にスポットを当てて、猫に癒される、猫が起こすトラブルに巻き込まれる、猫に情が移って人生が変わる、そういう様子を少しのファンタジー?を交えながら。

割りと偶然頼りというか結果オーライというか、気まぐれな猫まかせのラッキーご都合展開ではあると思います。

「アニマル・セラピー」や「猫の癒し効果」の科学的・医学的・精神病理学的な合理性に基づいたうんちくを期待して読むと少々肩透かしを喰らうかも。

1巻はブラック企業の上司のパワハラで病みかけている若手の金融サラリーマンの話と、職場の人間関係の変化に馴染めず家では妻や娘との関係が冷え切っているおじさん係長の話。

『猫を処方いたします。』1巻より(石田祥/ふじもとまめ)

「アニマル・セラピー」というよりは、単純に「子は鎹(かすがい)」効果、という感じもしますね。

自分はタイトルと表紙から、前述のように

「イケメン医師の猫セラピー、その精神病理学的な合理性のうんちく」

を期待して読み始めたので、ファースト・インプレッションは

「なんかちょっと思ってたんと違う…」

でした。

思ってたより、まぐれでうまくいってる話だな、と。

『猫を処方いたします。』1巻より(石田祥/ふじもとまめ)

すごく面白いと思ったわけではないんですけど、にも関わらず妙に続きが気になる漫画だな、と。

弱ってる人は人生が好転してほしいし、猫は優しくされて欲しいし、という期待に応える優しい漫画ではあるんですけど。

なんかちょっとファンタジー要素というかミステリー要素?もしかしたらホラー要素?

まだちょっと、どういう漫画か、どういう話を読ませたい作品なのかよくわかってないんですけど、本筋じゃないながらとりあえず

『猫を処方いたします。』1巻より(石田祥/ふじもとまめ)

「猫を捨てる人間たち」

「猫を死なせる人間社会」

に対する強い憤りは感じます。

あとは

「猫はいいぞ」

ですかね…

なんなんだ、この漫画w

ヒューマンドラマの形はしているものの、難解なわけではないのにディティールがいろいろ不可解で、かといって不愉快な作品でもなく、

「この漫画をもうちょっと理解したい」

という動機で、2巻読むしかないな、こりゃ。

『猫を処方いたします。』1巻より(石田祥/ふじもとまめ)

なんか、変な漫画w

クール無愛想な看護師さんのキャラが良いですねw

 

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