#AQM

あ、今日読んだ漫画

#宝石の国 13巻 【完】 評論(ネタバレ注意)

「平成の大合併」を眺めていて当時、冗談で

「そのうち全部『日本市(にほんし)』になるんじゃないのw」

と笑っていたことを思い出しました。

「平成の大合併」ご存知ないお若い方用にググっておきました。

www.google.com

「先生」と呼ばれるお坊さんと28人の宝石たちが暮らす地球。

『宝石の国』13巻より(市川春子/講談社)

彼らは月から宝石を攫いにくる「月人」たちを撃退しながら数千年の時を過ごしていた。

宝石たちの中で最も若年のフォスフォフィライトは戦いで身体を欠損する度に、記憶と人格を少しずつ失い、別の宝石で補修したパーツの記憶や能力で、先生と月人、世界に対する疑いを強めていく…

そそのかした8人の宝石たちと一緒に月に移住したフォス、残された宝石たちに真実を語る先生。

願いの成就の為に硬軟あらゆる策で繰り返し月から地球へ出撃するフォス。

終末に向けてキャラ同士が傷つけ合う描写が延々と続く、複雑に類似するデザインとややこしい名前を持つキャラクターたちによる二転三転の複雑な展開の果て。

『宝石の国』13巻より(市川春子/講談社)

今巻で完結。

終盤、キャラ同士だけでなく作者も読者も傷つけるような展開や描写が続き、もはや「見守る」すら通り越して「見届ける」心境。

自分が読み始めて好きになった頃の『宝石の国』ではなくなってしまっていますが、

「これは『宝石の国』か?」

と言えば、『宝石の国』以外のなにものでもありません。

冒頭の「登場人物紹介」が出オチというか、「出オチショッキング」というかw

『宝石の国』13巻より(市川春子/講談社)

最終巻刊行を記念して過去全巻読み放題的なキャンペーンもやっていたそうですが、初読なら良いと思いますが、

良くないかw

過去全編を一読した経験があって断片的にうっすらざっくり憶えていれば、この最終巻のためにあらためて過去巻を読み返す必要はないように思います。

フォスフォフィライトも今までを鮮明に憶えてはいる様子ですが、うっすらとしか思いださず、ざっくりとしか振り返りません。

悲しい歴史があった。

『宝石の国』13巻より(市川春子/講談社)

それぞれキャラの個々の想い、それぞれの出来事やテーマは、すべてフォスに背負われ吸収され収斂していき、一つになっていく。

「傷つけ合い苦しみ続けずには居られない私たち」

「それを救う特殊な力と永遠に等しい孤独」

「その果て」

類似のテーマに取り組んだ過去の作家や漫画、アニメ、映画、あるいは宗教思想を思い起こさずにはいられませんが、自分は大して詳しくもない割りにキリがないので個別に名前を挙げません。

ただ、地球が滅びるときに、人間だけカウントしても70億人だかが悲しんで苦しんで死んでいくのと、独りが死ねば済むのと、どっちがマシなんだろうか、とは思いました。

ましてやその独りが滅びを望んでいるのであれば。

『宝石の国』13巻より(市川春子/講談社)

前述のとおり、自分が読み始めて好きになった頃の『宝石の国』ではなくなってしまっていますが、まごうことなき『宝石の国』の最終巻で、しかも自分は単品で見てこの巻が割りと好きみたいです。

終息に向かってシンプルになっていった世界、童話やお伽話のように深くはあっても理解を拒むものではなく、それでいて、くらむぼんがかぷかぷ笑いそうな詩情、80年代〜90年代の思春期に触れた作品群に培われた、真っ暗闇の宇宙や惑星表面に独り取り残された原初的な永遠の孤独感、なんだか子どもだった頃の感覚を思い出しました。

こんなに「等身大」という形容からかけ離れた漫画も滅多にないですが、奇妙に懐かしくどこか個人的な親近感。

正面切って

「面白かったか」

「他人に勧めるか」

と訊かれると、件の「後輩ちゃん」の反応も「さもありなん」で正直微妙なんですけど、自分は読んでよかった、見届けられてよかった、美しかった、と思います。

『宝石の国』13巻より(市川春子/講談社)

こんな漫画描いちゃって、次どんな漫画を描くんでしょうね。

 

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#平和の国の島崎へ 7巻 評論(ネタバレ注意)

30年前、国際テロ組織「LEL(経済解放同盟)」により羽田発パリ行きの航空機がハイジャックされ、機はテロリストによって中東の空港に降ろされた。

乗客は全員、殺害されるか、もしくは洗脳され戦闘員としての訓練を施されLELの構成員、テロリストに育て上げられた。

30年後、当時児童だった島崎真吾はLELの拠点を脱出して日本に帰国、同様に脱出した同じ境遇の「日本人」たちと、日本国内で公安警察の監視を受けながら「コロニー」で生活。

『平和の国の島崎へ』7巻より(濱田轟天/瀬下猛/講談社)

喫茶店の店員や漫画家のアシスタントのバイトをしながら、日本語の漢字や現代の日本の文化に少しずつ馴染もうと努力していた。

しかし、LELは脱出者への厳しい報復を身上としており、島崎たちの身辺にもテロリストの追手が少しづつ忍び寄っていた…

というハードボイルドもの。

「足を洗った殺し屋が一般人として生活」という雑に括る限りにおいて、建て付け『ザ・ファブル』によく似ています。

「カタギになったアウトロー」は能力がある漫画家が真面目に描けば面白くなるに決まっている建て付けで、昔から『静かなるドン』やら最近だと『島さん』やら、その他ハードボイルド小説などでも定番の設定。

『平和の国の島崎へ』7巻より(濱田轟天/瀬下猛/講談社)

組織が「幻の殺し屋組織」から実在のモチーフを想像させる「国際テロ組織」に置き換わったことで、より血生臭く生々しい作品になりました。

島崎は1年以内に戦場に復帰してしまうことが『100ワニ』方式のカウントダウンで作中で予告されています。ある意味、日本を去って戦争に復帰してしまう『シティーハンター』。

連載現役の「殺し屋漫画」はたくさんあるんですが、その中で最も「救いのない」作品のように見えます。

「普通の人」になりたい主人公、でも追っ手をかける古巣の組織と、自身の信念のようなものがそれを許さず、一度囚われた憎しみの連鎖・暴力の連鎖から逃れられない。

『平和の国の島崎へ』7巻より(濱田轟天/瀬下猛/講談社)

ハードボイルドな展開と並行して、島崎とSATAを通じて「普通に暮らしていく人間として当たり前で大切なこと」を学んでいく過程が描写され、自分の過去を回想する島崎。

そんな中、島崎たちが暮らすコロニーの情報が、公安警察内部の内通者によりLELに漏洩している、不穏な気配があった…

公安からの情報流出に端を発するLELの脱走者狩り、コロニーと公安の不和、公安内部の内通者の内偵調査、とスリリングな展開に、一発かましたったスカッと燃える展開と暗闘バトルアクションもあり、ラスボス?っぽいのも顔見せ。

と、「人助け人情もの」の定型にハマりがちな「抜け忍もの」としてはダイナミックに話が動いて、満足度の高い巻でした。

『平和の国の島崎へ』7巻より(濱田轟天/瀬下猛/講談社)

島崎が持つ因縁がグローバルに拡大しつつパーソナルに深掘りされていくのも、良い意味で「世界系み」があって燃えますね。『エリア88』におけるシンと神崎の因縁というか。

反面、顔が見えなかったラスボスが姿を見せると、漫画脳的に「ラスボスの寿命も長くない」と同時にどうしても「作品のゴールがチラ見えした」気が、してくるもんですね。

こう、島崎が平和な社会の市井としての人間性を獲得していったり、回想シーンで心温まる人とのふれあいが積み重ねられていくのと同時並行で、組織や国家というシステムの非人間性がそれを許さず、「まともなはず」の人々の保身や腐敗などの悪い意味での個々の人間性がそれを推進する展開が描かれ、

「人間なんてラララ〜ララララ〜ラ〜」

という感じで、やるせないですね。

そういう漫画なんでしょうがないんですけど。

「そういう漫画なんでしょうがない」ついでに、島崎、『名探偵コナン』ばりに事件や暴力沙汰に巻き込まれちゃうなw

『平和の国の島崎へ』7巻より(濱田轟天/瀬下猛/講談社)

過去の罪を背負いつつ学んで成長し、私欲や我執などの俗を飛び越えて聖人に近づいていく島崎。

島崎が私欲や我執にたどり着く前の無垢ゆえとも言えますし、フィクションならではのファンタジーとも言えます。

陰謀劇やバイオレンスと交互に語られる「島崎の人間性パート」のギャップで、「巡礼の旅」というより巡礼される側、聖人が悟りを求める旅のように見えてきますね。

島崎が求めているのは聖人たちの理想郷じゃなくて、俗な悲喜交々に満ちた故郷で平和に暮らすことなんで、そこまで本気でアレじゃないんですけど、

ずっと日本の社会で平和に暮らしてほしいと願う反面、なんだか

『平和の国の島崎へ』7巻より(濱田轟天/瀬下猛/講談社)

「あなたの過去の労苦や、現在の境地、真摯な人生に報いられるような、理想郷じゃなくてすみません」

という気持ちにも。

 

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#乙嫁語り 15巻 評論(ネタバレ注意)

19世紀の中央アジアを舞台に、エピソードごとに主人公が移り変わる「夫婦」「嫁入り」をキーワードにした群像劇として続いて15年目ぐらいの15巻。

見てきたかのように当時の文化の活き活きとした描写し、衣類やタペストリーの刺繍類の変態的なまでに美しい精緻な書き込みが特徴。

『乙嫁語り』15巻より(森薫/KADOKAWA)

いい絵。

『ドラクエ3』リメイクをクリアしたばかりなので、ドラクエの船のBGMが脳内に流れてしまうw

3巻以降、まとまった物語というよりは中央アジアを舞台にしたいろんな夫婦の群像劇な作品ですが、イギリス人・スミスがそれらの人々と出会う旅が、紀行ものとして一応作品の縦軸っぽい感じに。

その後、スミスの中央アジアの旅は折り返して帰路に差し掛かり、旅の途上で出会った未亡人・タラスを伴侶に迎えた彼は、アミルとカルルクと夫婦に再会することをすごく楽しみにいたんですが、ロシアの中央アジア侵攻で情勢が急激に悪化したことで、案内役兼ボディガードの強い勧めもあり、再会を断念して海路でイギリスに帰らざるを得なくなりました。

ロシアの版図拡大を意図した侵攻によりきな臭くなった中央アジアの情勢は一旦置いておいて、今巻はイギリスに帰国したスミスと、彼と結ばれついて行ったタラスにスポット。

『乙嫁語り』15巻より(森薫/KADOKAWA)

ワロタ。

船旅での猫と馬のエピソードや、新居で飼い始めた羊のエピソードなど、動物ネタに癒されつつも、中央アジアから乙嫁を連れ帰ったスミスが家族の反対に遭う、曇らせ展開の巻。

一定の理解を示しつつも渋い顔の父親や兄、激烈な拒否反応を見せる母親。

自分は子どもがおらず、子どもが意に沿わない恋人や婚約者を連れ帰ってきた経験もない、無責任な物語読者なので、割りと簡単に

「親、捨てればよくない?」

と思いがちですが、まあ親の情って、一般論的な知識で語ると、そういうものでしょう。

『乙嫁語り』15巻より(森薫/KADOKAWA)

母親の言動が割りとダイレクトで差別的ですけど、植民地が生み出す富にしか興味がない19世紀のイギリス本国人も、こういうものでしょう。

逆に一族にタラスが両手をあげて大歓迎される展開だったら嘘くさすぎるし、「約束された曇らせ展開」というか、描かざるを得ない展開というか。

優しい作品なので母親をはじめ結婚に反対している家族にもなんらか救済が入るでしょうけど、なによりスミスとタラス、本人たちが家族の反対に遭ってもまったくブレておらず、スミスが無職?なおかげで家を空けることもなくタラスが孤独でもないので、曇らせ展開の割りに安心感あります。

『乙嫁語り』15巻より(森薫/KADOKAWA)

あんまタラスがつらい目に遭う展開みたくないので、正直

「スミスが中央アジアに土着した方がよくね?」

とは、15巻の読前も読後も思ってしまいますけどw

自分は「親じゃない」以上に「女じゃない」ので、

「恋人以外まったく未知のアウェイの土地・環境に嫁に行く」

女の勇気や強さや逞しさを信じられない思いで見てしまいます。

自分は転勤多くて割りと日本語さえ通じれば「住めば都」ですけど

「仕事以外まったく未知のアウェイの土地・環境に転勤する」

とは、違いますよねw

『乙嫁語り』15巻より(森薫/KADOKAWA)

それとも、「女の勇気・強さ・逞しさ」ではなく、「恋する人間の勇気・強さ・逞しさ」なんでしょうか。

何はともあれ、スミスはタラスより1日でも長生きしなきゃあかんね。

スミスとタラスの前途多難な「ハネムーン」は次巻に続きつつ、今巻の途中では舞台が少しだけ中央アジアに戻って、スミスの案内人も務めたアリの結婚、もう一人新たな乙嫁のエピソード。

人生で初めて彼女が出来た時、「好きな人と恋人同士になれたんだ」というフワフワした気持ちの記憶を、少し思い出してしまいます。

『乙嫁語り』15巻より(森薫/KADOKAWA)

可愛いな。羨ましいな。

 

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#海が走るエンドロール 7巻 評論(ネタバレ注意)

65歳にして連れ添った夫を亡くした、うみ子。

『海が走るエンドロール』7巻より(たらちねジョン/秋田書店)

夫とデートで行った映画館の記憶に触発されて20年ぐらいぶりに映画館を訪れる。

上映中に昔からの癖で客席を振り返って見回すと、先ほどロビーで肩が当たって挨拶した美しい若者と目が合ってしまう。

その若者は名を「海(かい)」という実は男性で、話すうちにうみ子に「あなたは映画を作る側では?」と指摘する。

海の言葉で「映画を撮りたい」気持ちに火がついたうみ子は、海が学ぶ美大の映像科を受験して入学。

『海が走るエンドロール』7巻より(たらちねジョン/秋田書店)

かくして齢65のうみ子の、映画人生が始まった…

という、老境のご婦人を主人公に置いた青春もの。

主人公に老境のご婦人を置いていて必ずしも読者層ターゲットが少女なのかどうかはわからないものの、ヒロインが「王子」と「自分の運命」とに同時に運命的・衝動的に出会う導入、多用されるヒロインのモノローグ、ガワは違っても骨格自体は純然たる少女漫画であるように、自分には見えます。

「『65歳で映画監督を志して美大入学』で起こりそうなこと」を奇を衒わずに丁寧に描写。

『海が走るエンドロール』7巻より(たらちねジョン/秋田書店)

高尚そうなテーマ、俗っぽいキャラ萌え、擬似恋愛的にも見える人間関係を織り交ぜつつ、地に足のついた丁寧な展開と描写で、いろんな切り口で楽しめそうな作品。

順風満帆とまではいかなくとも、気力充実して映画制作に取り組んでいたうみ子は過労で倒れ、モチベーションががっくり下がり、そこから再起。

気がつけばうみ子は3年生に、そして海は4年生に。

『海が走るエンドロール』7巻より(たらちねジョン/秋田書店)

周囲の学生たちは就職活動を控えて戦々恐々とする中、うみ子と海はそれぞれ監督作品を「ぴえフィルムフェスティバル」、略してPFFに出品。

うみ子の作品が落選する中、SORAが入選、海はグランプリを獲得。

海やSORA、周囲の学生たちの若さと自らを比較して、残された時間の差、自分の持ち分の少なさに理不尽さや焦りを感じるうみ子。

今巻はそんなうみ子に海からの誘い、海の作品が出展されるカナダの映画祭への招待。

作品自体がそうですが、人から人への影響を「波紋」「波」として液体で形容する表現が強調された巻でした。

『海が走るエンドロール』7巻より(たらちねジョン/秋田書店)

美大に限らず、志の方向や分野を同じくする者を同じ環境に集める効能って、こういうことなんでしょうね。

「なるべく良い影響を受けたい」ではなく、波はただの波で良い悪いではない、というか。

うみ子が置かれる状況は前巻から何も変わっていないというか、むしろ時計は進んでいるんですが、映画祭の雰囲気やリスペクトされたことだけが理由ではなく、少し展望が拓けた気が、うみ子ではなくただの読者である自分が勝手に感じています。

残された時間の少なさに理不尽を感じる気持ち、海が起こす波に焦らされる気持ち、無責任なことを言えば、それを映画にすればいいだけの話、みたいな。

『海が走るエンドロール』7巻より(たらちねジョン/秋田書店)

それがこのように漫画になるなら、映画にだって、ねえ。

それにしても、ネガティブな感情の蓄積がないと創作できないが、ポジティブも褒められないとモチベが上がらない、という、クリエイターというのは難儀な稼業ですねw

 

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#灰仭巫覡 2巻 評論(ネタバレ注意)

現代から少し未来?、何らかの理由で科学が衰退?した代わりに、巫覡(ふげき、シャーマニズム)によって?それまで見えていなかったものが視えるようになった?世界。

それまで「天災」としか認識されていなかった現象が、神(あるいは化物?あるいは妖怪?)の怒りの顕現であることが、暗闇を伴って人間に視えるようになった。

「夜」と呼ばれるようになったソレと、人類は科学技術に替わる新たな技術体系・巫覡(など?)で闘う。

『灰仭巫覡』2巻より(大暮維人/講談社)

大英帝国の第3皇子・ガオは、英国・イーストボーン、オルドナス要塞での「颱の夜・キャサリン」との戦闘から、母に逃がされる形で脱出。

母の最期の言葉に従い日本に向かったSF宇宙艦風の武装タンカー艦は、しかし、颱の夜の追撃を受けて田舎の平野部に不時着。

そこで出会ったのは、理不尽を引き寄せる「巫覡魂」という霊質と強い巫覡力を持ち、怒れる神を祓う「燠火の神楽兵」の巫覡(パイロット)を務める少年・仭(じん)と、その仲間の少女たちだった。

艦の不時着事故が仭の母親を死なせてしまったガオ一行は、そのまま日本に居つき、仭たちの高校に通いつつ、仭たちと共に次々に現れる「夜」と闘っていく…

『灰仭巫覡』2巻より(大暮維人/講談社)

オリジナルの用語と設定の上に更にオリジナルの用語と設定が積み重ねられ、「パルスのファルシのルシがパージでコクーン」みたいになってて意味がわからないかもしれませんが、まとめるとこういう感じです。

絵が綺麗!女の子可愛い!絵がもの凄い!バディもの!神楽の舞がかっこいい!田舎の夏!青空!入道雲!美少女!フェチ!猫!変なギャグセンス!絵がもの凄い!

でとりあえず楽しんで良いかと思います、まだ。

前作『化物語』コミカライズに続いて「オカルト・バトル」分野ですが、「災害」を受肉・顕現させて折伏・調伏すべき敵?に定めているのが、大震災などを経た21世紀的、と言っても良いかもしれません。

あと主人公の少年2人とも、直近に母親を喪失してますね。

『灰仭巫覡』2巻より(大暮維人/講談社)

前巻の感想で

この作品は人を選ぶと思いますが、自分は面白かったです。

でも理解ってるかというと、全然理解ってないですw

分野として競合する現役作品は…『チェンソーマン』や『ダンダダン』あたりになるんですかね?

と書いたんですが、2巻になって、世界観のシステムや、それに対する「巫覡」の思想や仕組みも、言葉だけでなく美麗なアクションを伴う、読者に対するチュートリアルのようなエピソードもあいまって、だいぶ雰囲気を理解できるようになりました。

西洋的で物質的で電子的で戦闘的な世界観思想の限界、再興する東洋的で精神的で量子的で融和的な世界観を目指す思想。

近年は「スピリチュアル」というと悪用する人間のせいで少々イメージ悪いですが、「言魂(言霊)」「厄」「荒魂」「祟り」「鎮めと祓い」「舞・神楽」、「神道的」と呼んでいいのかな、そういう感じです。

『灰仭巫覡』2巻より(大暮維人/講談社)

この作者のもとの作風を自分は知らないのでアレですが、コミカライズ作画した前作『化物語』の作品テイストの

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因子の発展形にも見えます。

「邪と戦うのではなく、鎮め祓う」

東洋的なファンタジーは往々にして精神的な禅問答に行き着いて、漫画映えしにくいことがあるんですが、バトル描写の代わりに本作で描かれるのは大暮維人の作画による、美少年・美少女たちによるド派手で美麗な「舞・神楽」描写!

前巻の感想にこう書きましたが、

ちょっと『ジョジョ』5部のギャング・ダンスを彷彿とさせる描写、「巫覡と神楽」に絡めてミニスカ女子高生をフェティッシュに踊らせる良い口実になっていて、かっこ可愛くて眼福。

今巻更に「舞・神楽」の描写が激増して、眼福なことこの上ない。

「ダンス漫画」とカテゴリしても差し支えない、というより、ダンス漫画の「ムラサキ」が神事の再現としての側面が描かれたのに対し、

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本作はファンタジーを口実にダンスを直球の神事そのものを描いてます。ずるいなw

『灰仭巫覡』2巻より(大暮維人/講談社)

アニメにすんの、振り付けと作画・動画的な意味で、大変だなコレw

各エピソードも、上記のような要素を盛り込みつつも、大量にいる美少年・美少女たちに一人ずつスポットを当てた青春期の成長物語を織り込んだものになっていく、のかな?

まだ実質一人目なんですけど、今後、全員分やっていくんだとしたら楽しみですね。

夏休み映画のような牧歌的で美しい田舎を舞台に、SFメカとオカルトクリーチャーがカオスに共存、エロ美しい美少年・美少女たちがド派手に美麗に舞い踊る、オカルトバトル&ダンス、大暮維人の筆によるエンタメ大作な王道青春漫画。

大量の登場人物、スピリチュアルでカオスで作者の匙加減次第の世界観、序盤で「絵は綺麗だけど厨二病的で難解で衒学的でごちゃごちゃしてて何やってるかよくわかんない作品」と受け取られ「ついていけない」と敬遠されかねない危惧は感じます。

タイトルからしてパッと見、漢字が読めませんw

それらを補うべく硬軟の展開とビジュアルで開幕からフルスロットルのこの作品の、しかし本領はずっと先でしょう。

『灰仭巫覡』2巻より(大暮維人/講談社)

それを見てみたいし、10年20年がかりでずっと見ていたい。

 

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#めんつゆひとり飯 8巻 評論(ネタバレ注意)

黒髪おさげで八重歯で面倒くさがりで何でも麺つゆで食う女・面堂 露(めんどう つゆ・26歳独身)、略して"めんつゆ"がヒロインの、お料理・グルメ4コマ。

『めんつゆひとり飯』8巻より(瀬戸口みづき/竹書房)

八重歯アピールのためかほぼ口半開きでアホの子みたいで可愛い。

その他、社長秘書で味噌も自家製の料理上手で料理警察な人妻の十越さん、カツサンドをおかずに白飯を食う主任の元イケメンのデブ、元イケメンのデブに片想いのヘルシー派のストーカー後輩OL、なぜか単語でしか喋れず秘書の通訳なしでは社員と会話が成り立たない女社長など。

大丈夫かこの会社。

『めんつゆひとり飯』8巻より(瀬戸口みづき/竹書房)

可愛い、見やすい、わかりやすい、美味しそう、参考になる、とても楽しい、とお料理4コマ漫画の要件を完璧に満たしてる作品。

基本はズボラ飯系の露と正統派家庭料理の十越さんの料理に向き合うスタンスの対立・もしくはボケツッコミ。

キャリアも長く毎回テーマを持った4コマ作品を描く、職人肌系の4コマ漫画家の、現在その頂点あたりにいる面白さの漫画家さんかなと思います。

『めんつゆひとり飯』8巻より(瀬戸口みづき/竹書房)

この人の別作『ローカル女子の遠吠え』と合わせて最近何度も読み返してます。

王道ネタも面白いのと、最近めっきり女子高生に占拠された4コマ界において、キュートでチャーミングな社会人女性たちを描き続ける漫画家さん。

王道4コマとして楽しみつつ、(いわゆる「きらら系」ではないんですが)キャラ萌え・関係性萌えも楽しめるという、一粒で二度美味しいタイプの作風。

実写ドラマが好評で現在2期を放映中とのこと。

『めんつゆひとり飯』8巻より(瀬戸口みづき/竹書房)

巻を重ねて8巻、めんつゆ&十越さんのダブルヒロイン以外の脇キャラ達の深掘りも進んで、どのキャラにスポットが当たっても嬉しい、どのキャラも可愛い、めんつゆのお父さんすら可愛いという、眼福なネタ4コマに。

自分は後発組だとお父さんの部下で偶然めんつゆの隣の部屋に住むラーメンOLがめっきりお気に入りです。

『めんつゆひとり飯』8巻より(瀬戸口みづき/竹書房)

 

十越さんアラサーの人妻ながら巻が進むごとにどんどん可愛くなるな。

連載自体は雑誌の休刊であっちに行ったりこっちに行ったりしてますが、ドラマ化の影響か今年2冊目、来月には『ローカル女子』の新刊も出るという、やー今年はいい年だな。

百合フレーバー表現も相変わらずですが、

『めんつゆひとり飯』8巻より(瀬戸口みづき/竹書房)

十越さんはめんつゆとどうなろうとしているの?

ちょっとずつ保ヶ辺さんに対する舞ちゃんみたいになってきてんですけどwww

 

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#クマ撃ちの女 14巻 評論(ネタバレ注意)

熊狙いのライフル持ち*1女性猟師・チアキ(31)に密着取材を申し込むフリーライター・伊藤。

2人は熊を求めて日々、北海道の山中に入る。

『クマ撃ちの女』14巻より(安島薮太/新潮社)

伊藤が取材を始めて2回目の猟期。伊藤も体を鍛え知識を蓄え、チアキの足を引っ張る事なくむしろアシストさえしながら同行取材できるように。

チアキにとっての因縁・宿命のヒグマ個体「牙欠け」との対峙を通じて、伊藤はチアキの「牙欠け」への妄執と狂気、人間性の欠如に疑問を持ち離れていく。

牙欠けが再び人を殺したとの一報に、チアキは地元の猟友会・市職員・警官隊からなる捜索隊に加わり、ヒグマ「牙欠け」と2人の行方不明者を追ったものの、「牙欠け」を自分の手で仕留めたい、という妄執は、チアキの能力を鋭敏にした反面、突出したその能力は捜索隊のチームワークを乱し、結果、捜索隊に複数の犠牲者が出る大惨事となり、猟友会で世話になった北見さんも犠牲となった…

『クマ撃ちの女』14巻より(安島薮太/新潮社)

伊藤と再会・復縁し再び二人で「牙欠け」を追い始めたものの、多数の犠牲者を出した「牙欠け」駆除失敗は大事件として日本中に報道され、チアキの責任を巡って週刊誌の記者が動き始めていた…

ということで、今巻は「炎上編」。

現実の方でも野生のクマの駆除問題はローカルな話ながら、近年は社会的な関心や「炎上性」も高いですもんね。

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週刊誌の記事を皮切りに、SNS、地上波の全国放送、YouTuberの凸と、複合的に炎上していく、「牙欠け」被害と駆除失敗に関するチアキの責任論。

『クマ撃ちの女』14巻より(安島薮太/新潮社)

皮肉にもその炎上の情報源の一つは、チアキを伊藤が取材し出版した実名ドキュメンタリー本だった…

「山の人」とはいえチアキは普通にスマホも持ってるし東京でOL経験もあって、「ネットリテラシー」は人並みだとは思うんですが、山の中では図太くタフな性格とはいえ、「ネットの人」ではないので「炎上耐性」でいえば防御力ゼロというか。

もともと猟師としても一匹狼でキレやすくて協調性もあんまないし、山の中で自然相手・動物相手だからこそ世間に表面化しなかっただけで、「炎上しそうな性格」ですしね。

『クマ撃ちの女』14巻より(安島薮太/新潮社)

防御力ゼロのところに人生初の、しかも全国規模・地上波テレビレベルの大炎上でメンタル凹みまくりですが、長かった曇らせ展開も今巻で悪材料も出尽くして底を打ったかな、という感じ。

ここからは「牙欠け」を仕留めるクライマックスと完結に向けて昇っていくだけ、なのかな?

メンタルも既に復調の兆し。

『クマ撃ちの女』14巻より(安島薮太/新潮社)

現場の大勢は「チアキ支持」、ネット世論の趨勢は「牙欠け駆除」次第でどうにでもひっくり返せそうですが、作者がそもそもネット世論の価値に重きを置いてなさそうっぽい感じもしますね。

あとはアレ、「『人』という字は…」という道徳論とはちょっと違う、

「結局、一匹狼より集団で連携した方が効率いいよね」

という。

チアキの強みも、射撃よりも、場数とセンスによるレーダー・センサーとしての(クマの)索敵の「頭脳労働」なので、メンバーを操る現場リーダー向きですよね。

『クマ撃ちの女』14巻より(安島薮太/新潮社)

性格以外はw

 

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*1:猟銃免許取得後、散弾銃所持10年以上が必要

#スーパーカブ 10巻 評論(ネタバレ注意)

自分は漫画を描かないし描いたことないし漫画家として商業誌デビューする予定もないんですが、

「モノクロの漫画を描くプロを目指して研鑽した身が、

 『単行本の表紙用にカラーイラスト描いてくれ』

 と急に言われて、塗りの練習なんかしてないのに、

 そんなすぐにカラーイラスト描けるものなんだろうか?」

と、自分にまったく関係ない他人事ながら、たまに不安にかられます。

『スーパーカブ』10巻より(蟹丹/トネ・コーケン/KADOKAWA)

その点、この作品の表紙のスタイルの存在は安心感を与えてくれます。

万が一自分が将来、商業漫画家として単行本デビューする際は、マネさせてもらおうw

父親は事故で他界、頼れる親戚もいないところに母親に失踪された大人しい女の子が通学用に中古のスーパーカブを買って乗る話。

1巻冒頭で出てくる「日野春駅」をググると、舞台は山梨県北杜市らしい。

『スーパーカブ』10巻より(蟹丹/トネ・コーケン/KADOKAWA)

原作は角川スニーカー文庫、小説の表紙絵は「明日ちゃんのセーラー服」の人。

このコミカライズの人も、デビュー作より気持ち絵柄を原作表紙の人に寄せてていい雰囲気。

ヒロインたちも高校3年生になり、進路が気になる、というより「進路を気にしろ」と時間にせっつかれるお年頃。

奨学金による東京の大学への進学も内定。

『スーパーカブ』10巻より(蟹丹/トネ・コーケン/KADOKAWA)

特待価格で設備と環境の整った大学寮の斡旋は、バイク禁止だったことから蹴っ飛ばして、更なる自立とカブとの生活を選んで、大学入学前の高3の身で食い扶持を自分で稼ぐ自活の道へ。

働いて稼ぐことは決して楽なことではないですが、腹を括って動き出した小熊、あとはバイク便のバイトの勤しみつつ、高校卒業と大学進学・東京への引っ越しを待つだけ…

かと思ったんですが、今巻は高校で懇意にしている後輩からの相談事。

生来の虚弱な体質で、日々の学校への通学だけで体力を使い果たして寝込み、家に引き篭もりがちな後輩。

『スーパーカブ』10巻より(蟹丹/トネ・コーケン/KADOKAWA)

しかし彼女は小熊のようにタフになりたいと願い、そして彼女の家の蔵には祖母から受け継いだものの動かなくなった小さなバイク「モトラ」が眠っていた。

彼女の願いを意気に感じ、また何よりバイクに目がない小熊と礼子は、自分たちと同じくバイクを杖に人生を歩むことを望む彼女の願いを叶えるべく、動かなくなった小さなバイクの「起こし(修理・レストア)」の臨むのだった…

という、他人に構う余裕はそんなにないはずながら、バイク沼に臨んで飛び込んでくる後輩の願いを無碍にできるわけもなく、世話焼き編。

『スーパーカブ』10巻より(蟹丹/トネ・コーケン/KADOKAWA)

彼女たちはいわゆる「バイク部」ではないんですが、小熊と礼子の卒業と進学・引っ越しの後も、バイクにかけた想いがバトンタッチされていきそうな気配。

バイクやクルマみたいなパーソナルな乗り物って、「ここではないどこか」に繋がって連れて行ってくれる扉であり鍵、みたいなとこありますよね。

強くなった小熊が「いつかの自分」な他人を支え与える側になっていることも感無量ですが、想いを継ぐ者へのバトンタッチ展開は、否応なく卒業や作品の完結を予感させて、

『スーパーカブ』10巻より(蟹丹/トネ・コーケン/KADOKAWA)

少々寂しくもありますね。

 

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#僕の心のヤバイやつ 11巻 評論(ネタバレ注意)

『みつどもえ』の作者の現作。

ラブコメ漫画は数あれど、WEB連載で既読にも関わらず新刊が一番楽しみな作品。

TVアニメも2期放映済み、2クールもやられると、単純に接触時間の長さで余計に愛着が湧いてしまいます。

『僕の心のヤバイやつ』11巻より(桜井のりお/秋田書店)

主人公は、雑誌の専属モデルもこなす陽キャ美少女・山田、を殺す妄想をする中二病で陰キャでぼっちな男子中学生・市川。

図書館で偶然見かけた彼女は、一人でおにぎりを頬張りながらゴリラのような鼻歌を歌う、意外と割りと残念な感じだった…

コメディの皮をかぶせた、エロで独りよがりで優しい中学生の、初恋の繊細な機微の描写。

8巻かかってお付き合い開始、「未満恋愛ラブコメ」あらため「おつきあいラブコメ」に入って3冊目の11巻。

『僕の心のヤバイやつ』11巻より(桜井のりお/秋田書店)

中3の夏、市川と萌子はそれぞれ難関校の受験を決意、山田は女優の卵として着々と知名度を上げ、市川と山田の「おつきあい」はタイミングが合った「信頼できる少数の友人」だけが知っている夏。

山田のSNS動画の500万バズ、山田の誕生日、忘れた頃のサプライズ・フラッシュモブによる強制告白イベント、浴衣と花火の夏祭りとナンパイ・カミングバック、萌子の志望校の文化祭見学、予想を超えたスピードで有名になっていく山田に所属事務所が下した決断、受験を控えた市川の決断。

『僕の心のヤバイやつ』11巻より(桜井のりお/秋田書店)

と、今巻もイベント・事件がてんこ盛りながら、「難関校の受験」と「有名芸能人との内緒のお付き合い」という宿題を背負った、作品全体における「曇らせパート」に入ったかな、という気はします。

僕の心のヤバイやつ 【最新コミックス6巻1月7日発売 !】 | 桜井のりお | Karte.86 僕はキモい

好きな子がメディアの有名人って結構しんどいよね…俺も何回か想像したことあるからわかるわ…

2021/03/23 11:31

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人気芸能人の彼女と難関校受験生の彼氏の、目指す将来の方向が違って、生活のすれ違いも多そうな組み合わせ、

『キラキラ!』kindle版3巻より(安達哲/講談社)

『キラキラ!』kindle版4巻より(安達哲/講談社)

どうしても『キラキラ!』思い出しちゃうんだよね。『キラキラ!』は自分の青春恋愛漫画のベンチマーク、教科書の一つ。

『キラキラ!』ほど重たい作品ではなく、80年代の青春漫画の主人公達と比べても、損得勘定もできてクレバーでエラー修正能力も高く、現代的な「ラブコメ安定感」の高い主人公2人なので、どう乗り越えるかが楽しみではあるんですけど、反面、やっぱり中学生カップルが背負うにはちょっと重たい曇らせ要素だよなー、という。

リアルだったら、高確率で別れますよねコレ。

『僕の心のヤバイやつ』11巻より(桜井のりお/秋田書店)

しょっちゅうシコってるし成長もしたとは言え、受験生としてただでさえ普通にストレスのかかる市川、山田は割りと自爆型というか、ストレスを内に溜めてそれが行動に露骨に表れちゃうタイプだし。

平たく言うと、山田ってストレスに対して市川とのスキンシップで精神充足しようとして行動がエロくなりがちで、毎回その結果、一部の読者からの好感度が下がりますよねw

市川とオープンにつきえあえないのと、「お家デート」などの人目を忍んだ密室に篭りがちになる分、

『僕の心のヤバイやつ』11巻より(桜井のりお/秋田書店)

それに拍車がかかりそうだなあ、とw

男性読者を代表するつもりは毛頭ないけど、この漫画にそこまでエロとか求めてないんですけど、いつかのあとがきにあったように

「思春期男子・思春期女子の性欲の存在を描くことから逃げたくない」

という作者の意向もあって、バランス取りの難易度高ぇ局面だなあ、という。

 

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#ヤニねこ 6巻 評論(ネタバレ注意)

ボロアパートで暮らすヤニねこは猫耳で美少女だったが、ぐーたらでだらしなくて下品で臭くて汚いヤニカスだった。

『ヤニねこ』6巻より(にゃんにゃんファクトリー/講談社)

そんな彼女の、ぐうたらでだらしなくて下品で臭くて汚くて可愛くてちょっとエロい日常。

という、Twitter発のショート漫画。

かつて自虐・他虐のための蔑称だった「おたく」や「腐女子」がそうなったように、「クズ」という自虐・他虐のための蔑称が

「(愛称としての)自称・他称」

として特にネット界隈でカジュアルになりつつあるような気がするんですが、それを象徴するような漫画。

『ヤニねこ』6巻より(にゃんにゃんファクトリー/講談社)

ルックスがおっさんだったらたぶん売り物になりませんが、ちょいエロ猫耳美少女であることで商品になったというか、

「見た目さえ美少女であれば、どこまで許されるか」

という「おっさんの美少女(※ケモナー)擬人化」の実験みたいな。

受け入れられているのは、ルックスの愛らしさ故なのか、自分の内なるクズ性の共感なのか。

『ヤニねこ』6巻より(にゃんにゃんファクトリー/講談社)

「マイルドなノワール」というか、ある種のクズ文学というか、原義の意味での「カタルシス」というか。クズと文学は昔から相性良いですしね。

www.google.com

自分の怠惰や意志の弱さと向き合って、そして負けて、共感を誘う「ダメ人間漫画」がヒットする事例、近年静かに増えてる気もします。

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「ヤニカス」ネタ以外のクズネタ要素として、うんこネタ・おならネタ・ちんこネタ・火事ネタwww やたら何かが燃えます。

一般論的に長続きしやすい日常ものであるにも関わらず、作品として初期に「出オチ漫画かな」と思ったんですが、早や6巻。

『ヤニねこ』6巻より(にゃんにゃんファクトリー/講談社)

出オチ漫画と思った理由は、

「普通、クズネタばっかりそんなに続かない」

と思ったからです。

現に焼き直しのネタ(定番ネタとも言う)も多いですが、ヤニカス以外にも増えたキャラにそれぞれダメ人間属性を割り振って、どうにかこうにか面白さが延命しています。

「みんな違って、みんなクズ」

というか、クズでダメなキャラたちが互いに少しずつ許し合って(「妥協しあって」とも言う)大らかに回る群像劇、意外と現代人に対して示唆に富んだ作品と言えるかもしれません。

『ヤニねこ』6巻より(にゃんにゃんファクトリー/講談社)

正しい者同士でギスギス暮らすより、正しくない者同士で許し合って暮らす彼女たちを、羨ましく思う人たちも意外と多いかもしれない。

モノは言いよう、理屈は何にでもくっつく、というやつですね。

ちなみに自分が

「現実にヤニねこ達と許し合って暮らせますか?」

と訊かれたら、

『ヤニねこ』6巻より(にゃんにゃんファクトリー/講談社)

絶対イヤです^_^

 

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#ダンダダン 17巻 評論(ネタバレ注意)

霊媒師の家系(かけい)のギャルと、いじめられっ子気味で孤独なオカルトオタクの少年の同級生ガールミーツボーイから始まる、オカルトバトルなバディもの。

『ダンダダン』17巻より(龍幸伸/集英社)

「ボーイ・ミーツ・ガール」、「オタクに優しいギャル」、「ラブコメ群」、「ちょいエロ」、「呪術廻戦、チェンソーマンなどの最近のジャンプのオカルトバトル漫画群」、「うしおととら」、「東京入星管理局」、「GANTZ」、「メン・イン・ブラック」、「漫☆画太郎」、

あたりを足して適当に割ったような感じ。

いろんなジャンルのごった煮、カオスな闇鍋みたいな漫画。クリーチャーも宇宙人から妖怪から幽霊から割りとなんでもあり。

『ダンダダン』17巻より(龍幸伸/集英社)

ちょっと奥浩哉的とでもいうか、「描きたい画」が先に在って、そこから逆算してエピソードを繋げていってる作り方?と思わなくもないですが、よくわからんねw

倒すべきラスボスも、辿り着くべき約束の地も、提示されないまま、ただただ降りかかり続ける火の粉を払い続け仲間が増え続け経験を重ね続けてより強く成長していき続ける、ステージ制のタワーディフェンス・ゲームのようにエピソードが重ねられます。キンタマ以外。

「海賊王を目指す」でもなく「ひとつなぎの大秘宝」を求めるでもなく。

作品を貫く縦軸、キンタマしかない。あとラブコメ。

『ダンダダン』17巻より(龍幸伸/集英社)

躍動感あふれる見応えのあるアクション描写、奇想天外な風景を緻密に描画する画力。

に対して、ストーリーテラーとしてはおそらく短中編に特化した作家さんなのかな、と思うようになってきました。

金玉を一つ取り戻した「バモラ&カシマレイコ編」、もう一つの金玉の手がかりを得た「委員長編」を経て、現在の金玉の所有者である「頭間雲児(ずまうんじ)編」。

自分は映画『ジュマンジ』?を観ていないんですが、それのオマージュらしいです。

キーマンの名前も「頭間雲児(ずまうんじ)」≒『ジュマンジ』。

『ダンダダン』17巻より(龍幸伸/集英社)

ジオラマめいた中世RPGのゲームの中に閉じ込められた桃ちゃんと、先に入ってた頭間の冒険。

作中作ゲーム、舞台やクリーチャーのデザインもゲームルールも作者の創作で、PvPでルールの公平な制約と駆け引き・頭脳戦要素が求められた『ハンター』の「GI編」と違ってPvEゲーということもあり、描きたい絵・描きたい展開に合わせてチートやご都合主義もアリのやりたい放題。

ちょっと「クソゲーのゲーム実況」ぽいよねw

『ダンダダン』17巻より(龍幸伸/集英社)

なにこれ、クソゲーじゃねw、でもちょっと面白そう、お、グリッチ発見。

あとはアレですね、数十〜数百人の合戦(乱闘)展開とか壮観なかわりに漫画家が一番描きたくないシーンだと思いますが、逃げずに描けるのは強みというか、ドヤ顔で展開をそっちに寄せに行ってますよねw

ヅマ編のクライマックス近し、順調にロードムービー・ラブコメ展開中の桃ちゃんとズマに、遅ればせながらオカルンが助けに入って割って入ったところで次巻に続く。

『ダンダダン』17巻より(龍幸伸/集英社)

流れ的には次巻はズマの能力の本領発揮しつつラスボス対決かな。

 

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#ふつうの軽音部 4巻 評論(ネタバレ注意)

高校新入生の鳩野ちひろ(15・♀)は、高校に入ったら軽音部に入ろうと、ど素人の陰キャながら意を決して高価なフェンダー・テレキャスター(ギター)を購入。

軽音部に入部したものの、待っていたのは微妙ながら確実に存在する、「思ってたのとちょっと違う……」の連続だった……

という青春部活もの。

『ふつうの軽音部』4巻より(クワハリ/出内テツオ/集英社)

原作漫画(?)に、メジャー化にあたって作画担当を付けて、という感じらしいです。

三白眼気味、『パプワくん』の柴田亜美を彷彿とさせる、作中でも「美少女」然としては描かれないヒロイン造形。

「なのに」というか、「だからこそ」というか、はとっち可愛カッコいいんですよね。

素人ながら陽キャの唯、凄腕ながら陰キャのぼっちちゃんに対し、「素人で陰キャ」という負の要素で固められたスタートの主人公ヒロイン。

『ふつうの軽音部』4巻より(クワハリ/出内テツオ/集英社)

「ぼっち具合」「陰キャ具合」というか、高校デビューの噛み合わなさ、思いどおりにいかなさ、それでいてどこか達観して己を知っててタフな「めげない陰キャ」感、ちょっと『スキップとローファー』を思い出しますね。

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「好きなもの同士で自由にバンドメンバーを組め」という陰キャには厳しすぎるバンド編成、下手くそな自分に相応しいイマイチなバンドメンバー、男女関係のもつれで続々と退部していく部員たち……という、嫌な意味でリアリティあふれる軽音部の描写。

こんだけ「普通の軽音部」の負の面を強調しつつも、ウェットなはずの出来事なのに、描かれ方の湿度が低くてカラッとしてんですよね。

『ふつうの軽音部』4巻より(クワハリ/出内テツオ/集英社)

ここまで軽音部の1年生たちとはとっちに起こっていることとしては、

・とりあえずで組んだバンド群(とカップル)が「思ってたのと違う」で破綻し

・破綻を反省に新たなバンド群が組まれ直し

・はとっちが屈辱を通じて「自分の現在地」を思い知り

・それをよそに幾人かがはとっちの才能の片鱗を見い出し

というところ。

「学園バンドものの華」文化祭に向けて、はとっち自身の挫折と成長、バンドの人事体制が着々と噛み合っていき、今巻でついに文化祭本番。

『ふつうの軽音部』4巻より(クワハリ/出内テツオ/集英社)

バンドメンバー厘ちゃんの暗躍・策謀もあって、オーディションを勝ち抜いた他の1年生バンドや補選のバンドを蹴落として、はとっちたち「はーとぶれいく」も文化祭のステージに見参!

軽音部入部・文化祭のステージなど夢のまた夢だった頃の回想も交えながらの、未熟ながらも4巻にして初めてのはとっちと「はーといぶれいく」の本領発揮。

体育館の舞台、制服のままのライブ、どこの高校の文化祭でも見られそうな「どこにでもある風景」の素朴さながら、はとっちの資質と高揚感を示す力強いパフォーマンスの表現。

『ふつうの軽音部』4巻より(クワハリ/出内テツオ/集英社)

「文化祭は青春バンドものの華」というか、高校生バンドの甲子園というか、バンド人生で武道館や東京ドームで演る回数制限はなくても、高校の文化祭のステージは人生で3回しかこないんだよねえ、という。感無量。

ですが…

それだけに、他人の恋愛感情を道具のように操り、オーディションを経ることなく他のバンドのその貴重な機会を盗んだ厘ちゃんの一連の流れが、後ろめたさを伴うノイズに感じます。

『ふつうの軽音部』4巻より(クワハリ/出内テツオ/集英社)

願い、不屈、努力、情熱、念願、そして「はい 一丁上がり」。

この子、嫌いだわw

繰り上がりどころか描かれることもなく終わった

「オーディションに挑んで次点で涙を飲んだ一年生バンド」。

特に単行本で連続して読むと、このシーンの数分後、このシーンの印象引きずったままライブのシーンなんですよね…正直ちょっとサめる…

厘ちゃんの従兄弟が事情に勘づいてるようにも見えるのが後々効いてくる、この策謀劇そのものが後の伏線なんですかね。

解散も脱退もそれもまた、バンドにゃつきものの「ふつう」ではあるんですが。

 

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#ウィッチウォッチ 19巻 評論(ネタバレ注意)

『SKET DANCE』『彼方のアストラ』の作者の現作。

乙木守仁は、超人的な身体能力を持つ鬼の末裔であることを隠して普通に暮らしていた。

守仁の高校入学を控えた春休み、長期出張で海外へ出発する父と入れ替わりに、魔女の聖地に修行に出ていた幼馴染のニコが帰還。

両家の同意のもと二人は一緒に暮らし、守仁はニコの使い魔として彼女を予言された災いから護衛することに。

6年ぶりに再会したニコは可愛らしく、しかし強力ながらどこかポンコツな魔女に成長していた…

『ウィッチウォッチ』19巻より(篠原健太/集英社)

という、幼馴染の鬼ボーイ・ミーツ・魔女ガール・アゲインに、ニコの使い魔となる同居仲間が守仁以外にも天狗、狼男、吸血鬼と増えて、同居日常ギャグ学園ラブコメたまにシリアスバトルな漫画に。

シリアスなバトルもので人気を博したカッコよ可愛いキャラたちの、ギャグだったり緩かったりする日常や恋愛・ラブコメをもっとじっくり見てみたい、というのは人気作であれば多かれ少なかれ発生して、多くの場合その役割は公式スピンオフや二次創作に託されることになるんですが、

「一次創作内で自分で全部やっちゃおう!」

「バトル・ギャグ・コメディ・ラブコメ・日常・ホラー・ファンタジー、少年漫画のジャンルを全部一作品内でやっちゃおう!」

という作品。

『ウィッチウォッチ』19巻より(篠原健太/集英社)

ギャグコメディな日常をやりつつ、シリアスに悪役と対峙するバトル要素と、ニコと守仁のラブコメ要素が大きな縦軸。

でしたが、「友情・努力・勝利」なジャンプ王道のシリアス・バトル展開、「災いの日」編の決着を経て、守仁を救うためにニコが幼児化。

そのまま第二部「小さな魔女の冒険」編に。

予言によると、「ニコが幼児の間は敵もやってこない」とのことでバトル要素は一旦休止、ラブコメ要素はニコの幼児化により、『よつばと!』のよつばや『SPY×FAMILY』のアーニャに代表される鉄板ジャンル「幼児ヒロインの父娘育児もの」に味変。

一見力づくなように見えて、シリアス要素、能力やニコの献身・自己犠牲と絡めたスムーズな味変展開。

『ウィッチウォッチ』19巻より(篠原健太/集英社)

幼児化したニコの世話役使い魔として新キャラ・ドラゴンのバンも登場。

魔法のおかげで日常ギャグコメディに無茶なネタを許容できる幅があって良いですね。

魔法・超常・同居・学生と本当に便利な設定だなw

アニメ化も決定、

witchwatch-anime.com

今巻はそれをいじったアニメ化メタネタも。

『ウィッチウォッチ』19巻より(篠原健太/集英社)

今巻は全編、日常のギャグコメ巻、単話完結の小ネタ集。

ド脇役含めてキャラごとに一話もたせられる定番持ちネタがあるので、エピソードの引き出しが多い多い。

今巻もド安定の面白さ。

今巻は幼児化したニコの魔女の先輩 兼 家庭教教師役として、新キャラ・チャミーが登場。

『ウィッチウォッチ』19巻より(篠原健太/集英社)

えらい可愛いな。

TVで有名な天才子役 兼 喋るスタンド「魔神」を使役する召喚の魔女。ニコを中心としたパーティにスタープラチナ持ちの新戦力加入。

シンプルながらバトルになると実際強そうね、というのと、えらい可愛いな。

いつか来るシリアスバトルの再戦に向けて、着々と布石が打たれつつも、日常ギャグコメの引き出しも着々と増えていく。

『ウィッチウォッチ』19巻より(篠原健太/集英社)

このまま10年ぐらい日常回やってくんねえかな。あとチャミーの出番増やして!

 

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#ヘテロゲニア リンギスティコ ~異種族言語学入門~ 6巻 評論(ネタバレ注意)

師事する異種言語学の教授が腰をやっちゃったので仕事を引き継いだ人間の青年・ハカバ。

『ヘテロゲニア リンギスティコ ~異種族言語学入門~』6巻より(瀬野反人/KADOKAWA)

調査のために気球で魔界へ。

まずはワーウルフの集落へ。

ワーウルフと人間のハーフの女の子・ススキをガイドに魔界調査旅行。

モンスターたちのおおらかでいい加減でのほほんとした社会。

見てたら実は魔界の中でも種族が違うと言葉あんまり通じてないんだけど、「まあ、なんとなくでいいか」的なテキトーなコミュニケーションが異文化交流の初期っぽくて全体的になんか可愛い。

『ヘテロゲニア リンギスティコ ~異種族言語学入門~』6巻より(瀬野反人/KADOKAWA)

冬の村にススキと共に滞在したハカバは村に住む様々な種族とのコミュニケーションに悪戦苦闘しつつ、教授の残した手記から、無意識に目を逸らしていたある事実に気がついてしまう。

気づいた事実と将来起こるであろう事態を重ね合わせて、ハカバは暗澹たる気持ちを抱くが…

引き続き、種族の違う者同士がなんとなく同行する旅と、着いた先で出会う新たな種族。

『ヘテロゲニア リンギスティコ ~異種族言語学入門~』6巻より(瀬野反人/KADOKAWA)

ハカバの案内役を買って出て、彼を「センセイ」と呼んで慕う、人狼族と人間のハーフの少女・ススキの体調不良。

ハカバはススキを診せるべく、医者的な「良くなり方を多く知っている者」を求めて更なる旅へ。

しかし、「良くなり方を多く知っている者」は、「悪くなってるのを見るのが好きな人」として、あまり評判がよくないようだった…

『ヘテロゲニア リンギスティコ ~異種族言語学入門~』6巻より(瀬野反人/KADOKAWA)

再びわけのわからない新キャラ・羊に人が登場。

こう、コミュニケーションエラーのもどかしさというのは表現によっては人をイライラさせますねw

ススキの生命がかかってるハカバもイライラしてましたけど、読んでるこっちもイライラしましたw

下手に相互にコミュニケーション取ろうとしているのがわかるだけにというか、まったく断絶してただ同じ方向に歩いてるだけの方がマシというか。

『ヘテロゲニア リンギスティコ ~異種族言語学入門~』6巻より(瀬野反人/KADOKAWA)

現実の「言葉が通じるだけで話が通じない」人にイライラさせられるのに少し似ているように思いました。

1巻からずっと「言語と概念、コミュニケーション」の話をしている作品なんですけど、前巻あたりから自分は

「コミュニケーションを取れるのが必ずしも双方にとって幸福・有益だろうか」

とおかしな思考に囚われるようになりました。

やけくそとか厭世とかじゃなくて、シンプルに「口は災いの元」というか。

『ヘテロゲニア リンギスティコ ~異種族言語学入門~』6巻より(瀬野反人/KADOKAWA)

というこっちの思いをよそに、非常に気になるヒキで次巻に続く。

 

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#多良さんのウワサ 1巻 評論(ネタバレ注意)

『東京入星管理局』、『冒険には、武器が必要だ!~こだわりルディの鍛冶屋ぐらし~』の窓口基の、

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新作、というよりは、あとがきによると

「コツコツ描いてたら1巻が出ました!やったー!」

とのことです。すごい精力的に新作出すなあ、と思ったわw

『多良さんのウワサ』1巻より(窓口基/ジーオーティー)

怪談の、噂に尾ひれがついて強化され拡散され、噂は力を持って実体化し、「生き噂(ウォーク・ロア)」となって、人間に害を及ぼす。

厚生労働省 国立超常研究所の調査員(学生バイト)の女子高生・挫十字からめ(ひしじゅうじ からめ)は「噂殺し(ロア・ハンター)」として、日夜、怪異と化した噂の退治に勤しんでいた。

ある日、からめが駆けつけた現場で「生き噂」に襲われかけていたMOBと思しき女子高生は、からめが救おうとした刹那、

『多良さんのウワサ』1巻より(窓口基/ジーオーティー)

しかし、「生き噂」に話しかけ、「生き噂」の懐に入り込んで友達になり、「生き噂」の願望を満たしてしまうことで無害化してしまった。

「生き噂」に襲われかけていたMOBと思しき女子高生の名は、多良さん。

ただの一般人の陽キャなギャルだったが、天然で天真爛漫で好奇心旺盛な「人たらし」で、天然の「怪異たらし」だった。

それ以来、からめが「生き噂」退治に向かう先で偶然ばったり出会う多良さんは、毎回からめの眼前で「生き噂」と友達になっては、拍子抜けするぐらいあっさりと怪異を無害化してしまうのだった…

『多良さんのウワサ』1巻より(窓口基/ジーオーティー)

という、怪異ハンターと「怪異に優しいギャル」のバディ未満もの。

「人の思念や噂(主に恐怖)が怪異を強化する」のは『チェンソーマン』の悪魔のようでもあり、そうした怪異に力で対抗・討伐するよりその願望を満たす形で祓うやり方は『化物語』のようでもあり、天然で優しい純粋さがそうさせるのは『千と千尋』の千尋と「御腐れ様」の関係のようでもあります。

「先行作品の何かに似てる」というよりは、「八百万の神」「付喪神」「祟り神」の国の、神と怪異が表裏一体の伝統的・普遍的な世界観、という気もします。

『多良さんのウワサ』1巻より(窓口基/ジーオーティー)

『東京入星管理局』の感想に

なんというか、設定や作劇の思考のスタート地点が「主人公が悪い宇宙人をどう捕まえるか」じゃなくて、「どんな宇宙人になりたいか」「その宇宙人になったら地球でどんな犯罪をやりたいか」をまず考えて、それに対してようやく「じゃあ主人公たちはその宇宙人をどうやって捕まえるか」を考えてるように見えます。作者の過去の同人作品からの偏見かもしれません。

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と書いたんですが、本作も作者の作劇の視点が明らかに人間ではなく、怪異たる「生き噂(ウォーク・ロア)」に寄っています。

「自分が●●な怪異(陰キャの極北)だったとして、ギャルJKになんて言われたら嬉しいか」

「自分が●●な怪異だったとして、ギャルJKになんて言われたら友達になるか」

『多良さんのウワサ』1巻より(窓口基/ジーオーティー)

近年の(主に男性向け)漫画における「ギャル」の役割は

なぜギャルが出てくるマンガは魅力的なのか

エロ可愛い美少女からの承認とリビドー充足、破天荒な言動で既存の価値観を破壊し閉塞的な日常・人間関係から連れ出してくれるヒーロー性、「実は初心で処女で動物とオタクに優しい」という聖母のようなファンタジー

2019/06/04 13:45

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かな、と思うんですが、その極北の一つかもしれませんw

ギャルの優しさ、怪異をさえも「ここではないどこか」へ。

満を持しての新連載!というわけでもない作品の経緯のためか、重厚な世界観設定が売りの過去作とは対照的に、肩の力が抜けているというのか、怪異サクサク登場、からめサクサク現着、多良さんサクサク怪異に襲われつつサクサク友達になって、サクサク無害化、エピソード完結、という、非常にテンポ良く軽いエピソード進行。

即オチ2コマ漫画みたいw

厨二病世界観デザインのハンターからめのかっこよさと拍子抜けのギャップ、多良さんの天然ポジティブ陽キャな天真爛漫な軽さ、バディヒロインが二人とも軽妙で可愛いらしい。

千尋と同じく多良さんの「怪異たらし」は、まだ畏れを知らない子ども故の純粋さ故で、古代は神様と子どもの距離が近かったのかもしれない、と改めて思う反面、多良さん、このまま大人になりそうというか、たまにこういう大人いますよねw

妖怪ハンターもので、妖怪の願いを叶えるエピソードがたまに混じることは過去作品群でも決して珍しくはなかったんですが、ここまで「力勝負」「バトル」「直球勝負」を避ける妖怪ハンターものは相当の変化球。

『多良さんのウワサ』1巻より(窓口基/ジーオーティー)

「怪異に優しいギャル」多良さんの「怪異たらし」が小気味よく、「他にどんな球種を持っているのかな」と続きが楽しみになります。

しかしこう、

「陰キャ(オタク)に優しいギャル」という存在そのものが、漫画界において「フォークロア化」「都市伝説化」している最たるものじゃないか

という気もしてきますねw

 

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