#AQM

あ、今日読んだ漫画

#メダリスト 9巻 評論(ネタバレ注意)

現役時代を不完全燃焼で終えた新米コーチ・明浦路 司(あけうらじ つかさ)(26歳♂)が、高い身体能力を持ち競技への情熱を燃やす小学5年生の少女・結束(ゆいづか) いのりと出会う、フィギュアスケートもの。

基本シリアス進行ながらこまめにコメディで空気を抜いてくれて、エモくて泣けるのと同時に読んでて楽しく、読みやすい。

『メダリスト』9巻(つるまいかだ/講談社)

なんだこの集中線はw

夜中に女子小学生とガチ口論して怒鳴る大人、通報されたら逮捕されそうwww

アニメ化決定済み。楽しみですね。

講談社「アフタヌーン」作品であるにも関わらず、「講談社漫画賞」より先に他社の「小学館漫画賞」を受賞してしまう珍現象も発生。

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6年生になり6級に。ノービスへの挑戦権を得たいのりは、全日本への道・ノービスA予選中部ブロック大会に出場、優勝。

前巻から全日本ノービスA。

『メダリスト』9巻(つるまいかだ/講談社)

滑走順、いのりのライバルで大本命の光は11番手、「4回転を跳んで"降りる"らしい」と注目の的となったヒロイン・いのりは28番手と、「まくり」が起こり得る番手。

氷上の熱戦、幼いながらプライドを懸けたバッチバチのガチンコ、「負けてなお強し」な全国の猛者たちの滑走を経て、その大本命の狼嵜 光(かみさき ひかる)の、後続の選手たちと、いのりを応援する読者たちの心をへし折りにきてる圧巻の滑走。

『メダリスト』9巻(つるまいかだ/講談社)

今巻、いよいよヒロインのいのりの滑走、全国デビュー。いのりは狼嵜光を超えられるのか。

そんでノービス編(同時に小学生編)が今巻で終了。

最近は倍速視聴の機能を備えてはいますが、映画やドラマなどの映像コンテンツ・動画コンテンツに対する漫画の利点は、コンテンツの進行速度、「時間の流れ」を自在にコントロールできることです。

早く読むこともゆっくり読むことも、遡って読み返すことも、オプション機能として備える動画コンテンツ以上に、基本機能として自然と、読み手次第。

『メダリスト』9巻(つるまいかだ/講談社)

そう望めば、最後らへんのページに当たりをつけてパパッと数ページめくれば、さっさと結末を知ることが可能です。

「見る専」以下の自分にとってのフィギュアスケートという競技は「(見ていて)失敗を恐れる競技」で、狼嵜光が完璧な滑走を見せた以上、いのりは完璧な滑走、プラスαを積み上げなければいけない状況。

『メダリスト』9巻(つるまいかだ/講談社)

いのりたち選手にかかる重圧はもちろんですが、今巻は読んでる側の重圧も凄かったですね。

重圧から早く解放されたくて、「時間の流れ」を歪めて途中をすっ飛ばして、結末のページに飛ぶ誘惑を抑えるのが大変でした。

自分の手がページをめくっているのに、

「ちょっと待ってくれ」

「心の準備をさせてくれ」

「頼むいのり、転けないでくれ」

と祈りながら読みました。

すごかったねえ、いのり、かっこよかったねえ。

「ストーリー」というより、子どものスポーツの試合やってるだけなんですけどね。

熱いセリフ、鬼気迫る表情、胸に迫るモノローグ、美しく躍動感のある競技描写、涙。

その懸命さに、泣いちゃうんですよね。

『メダリスト』9巻(つるまいかだ/講談社)

あの自信を持てなかったいのりが、こんなに強い子になって…

 

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#だんドーン 1巻 評論(ネタバレ注意)

モーニング誌で連載、TVアニメ化・TVドラマ化もされるなど好評のうちに第一部が完結した、

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『ハコヅメ~交番女子の逆襲~』作者・泰三子の新作。

『だんドーン』1巻より(泰三子/講談社)

幕末、黒船の来航によって徳川260年の治世の太平は破られ、幕府を頂点とした武士階級による国論は割れ、それは将軍位の継承問題にも及んだ。

後の徳川慶喜を推す一橋派の急先鋒、薩摩藩主の島津斉彬は、茫洋とし空気が読めないながら大器の片鱗を感じさせる藩士・西郷吉之助を西洋の英雄・ナポレオンになぞらえ、新時代の日本のリーダーとなってくれることを期待し重用。

動乱の時代の重要人物として徐々に頭角を表し、幕府や他藩からも警戒される存在となりつつあった西郷の、そのサポート役として白羽の矢が立ったのは、

『だんドーン』1巻より(泰三子/講談社)

西郷と同じく賢君・斉彬公に心酔し、目端が効いて空気も読めて、悪いことも考えられちゃうツッコミ役の便利マン藩士・川路正之進。

後の明治政府下における初代の大警視(警視総監)、川路利良その人だった。

動乱の時代、果たして川路は斉彬公の命のもと、西郷吉之助のサポート役として日本を近代化に導くことができるのか…

『だんドーン』1巻より(泰三子/講談社)

薩摩藩士から幕末を経て明治初期に維新政府の要職を務め、「近代警察の父」「日本警察の父」渾名され、その語録が未だ警察官のバイブルとして読み継がれる、史実の人物・川路利良の伝記フィクション。

ja.wikipedia.org

漫画好き向けにメジャー作品を使って説明しようとすれば、『るろうに剣心―明治剣客浪漫譚―』で「斎藤一の上司の警視総監だった人」という説明がわかりやすいでしょう。

『るろうに剣心―明治剣客浪漫譚―』7巻(和月伸宏/集英社)

『るろうに剣心―明治剣客浪漫譚―』7巻(和月伸宏/集英社)

『るろうに剣心―明治剣客浪漫譚―』7巻(和月伸宏/集英社)

小柄で封建的な役人然として描かれてはいるものの、元・新撰組の斎藤一を怒鳴りつけ、喧嘩番長の左之助と胸ぐらを掴み合うなど、レギュラーで武闘派の大男相手に怯む様子のない、気骨のあるおっさんとして描かれました。デコッパゲてw

『だんドーン』では川路は長身の男として描かれているので「どっちなんだろう」と思いましたが、Wikipediaには身長は書かれていませんでした。

『だんドーン』1巻より(泰三子/講談社)

「司馬史観」という言葉があります。

dic.pixiv.net

史実の年表に基づいた伝記フィクションは、エンタメとして出来が良いほど、

「描かれていることはすべて史実である」

と多くの読者の錯誤を引き起こしたり、実在した人間ではなく「キャラ」として「推し」の対象にさせたりする傾向があり、読むにあたって注意が必要です。

史書に残っていない人物の性格や言動のディティールは、作家の癖・好み・エンタメサービス精神に基づいた想像で「面白おかしく」補完されるフィクションです。

面白くないと読んでもらえずに打ち切りですし。

『だんドーン』1巻より(泰三子/講談社)

思うに『だんドーン』は「伝記フィクション」の漫画に過ぎないので、『るろうに剣心』と併せて、身長が高かろうが低かろうが作品間で矛盾があろうが、自分は割りとどうでもよいです。

「ちょっと気になった」という程度の話です。

ただ「司馬史観」ならぬ「泰三子史観」を引き起こしかねないだけの質を伴った作品であるということは、注意が必要だな、と思います。

『だんドーン』1巻より(泰三子/講談社)

語りたいことはたくさんあります。

作者の泰三子はおそらく鹿児島出身・鹿児島在住・鹿児島県警のご出身だと勝手に推察しているんですが、自分も鹿児島出身で、作者に対してちょっと

「どこ中?」「どこ署?」

という気持ちもあったりw

・作者・泰三子が背負う「警察」「鹿児島」の2つのルーツと「幕末」愛

・鹿児島育ちの郷土史事情、「偉人」たちへの距離感と評価

・離れた故郷・鹿児島への愛憎

・なんで川路を『ハコヅメ』のキャラ、源巡査部長の生き写しで描くのか

・斉彬公、西郷、川路のユクスエ、「幕末もの」としての期待

 

あまり一度に張り切って詰め込み過ぎたブログ記事を書くと疲れちゃうし、ちょっと時間も足りません。

焦らず、続巻の感想でおいおい書いていければと思います。

(おそらく作者と)作品テーマが同郷である贔屓目や『ハコヅメ』信者としての贔屓目も入ってしまっているでしょうが、舞台が幕末に変わっても相変わらずシリアス要素とコメディ要素、ご陽気さとダークネスが高速で混じり合って飽きさせない、期待の新作として申し分のない、文句のつけようのない出足の1巻。

『だんドーン』1巻より(泰三子/講談社)

「少し幸福な木曜0時」が帰ってきました。先々が非常に楽しみ。

ブログ記事に「新撰組」タグを付けるのは、まだちょっと気が早いかな。やめときましょう。

 

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#君は放課後インソムニア 14巻 【完】 評論(ネタバレ注意)

進学高の1年生、不眠症に悩む少年と不眠症に悩む少女が、昼寝場所にしようとした学校の天文台で出会うボーイミーツガール。

ラブコメっつより青春恋愛日常もの。まるで美化された過去の思い出であるかのようにピュア度高め。

ヒロインの病気が作品全体に重たく影を落とし、読者にストレスも与え続けてきた作品。

『君は放課後インソムニア』14巻より(オジロマコト/小学館)

「離婚と向き合って子どもに語ること」から親が目を逸らして避けたせいで、子どもが両親の離婚に責任を感じたり、「自分が悪いから捨てられた」とトラウマを感じたりしてしまって、その後の人生の重大な選択を歪めてしまうことがあることは、もっと周知されて良いと思う。

主人公二人に思い入れが深いほど、読んでてジワジワと精神的にダメージが入り続ける、ちょっと意地悪な作りとも言えます。

気がつけば主人公二人、イサキとガンタも高校3年に。

今巻で高校を卒業、そして作品完結。最終巻です。

Amazonの商品紹介には

「アニメ化、実写映画化された
 大ヒット青春物語、ついにハッピーエンド。」

と盛大にネタバレが書かれています。

「バッドエンドだったら最終巻を読みたくない」

と思っていた私のような読者がたくさんいたせいかもしれません。

『君は放課後インソムニア』14巻より(オジロマコト/小学館)

「メメントモリ」と言い、「死は誰にでも訪れる」「死は万人に平等」と言います。

本当に平等でしょうか?

「死」の解釈は人ぞれぞれかもしれませんが、私のとってのそれは、自分の物語が終わり、世界から断絶し、時間がそこで止まって置いていかれることです。

当然、目を逸らしたい。私は「いつかくる死」から目を逸らし、見つめるときも薄目でぼんやり眺めることで心の平穏を保っている、心の弱い人間です。

『君は放課後インソムニア』14巻より(オジロマコト/小学館)

持病による度々の入院と手術を繰り返す本作のヒロイン・イサキはそれが許されず、彼女と恋に落ちたガンタもまたそうでした。

イサキに向かって「死は誰にでも訪れるから」「死は万人に平等だから」と言う気に私はなれませんでした。

本来、「若い」ということは死について考えることを遠ざけることが許されるべきで、また「もう十分生きた」と言うには早すぎるからです。

今巻中でイサキが「健康なみんなはずるい」と泣きじゃくったように、「死」そのものは万人に平等でも、より死に近いところでの「生」を強制されることは、まったくもって平等ではありません。

『君は放課後インソムニア』14巻より(オジロマコト/小学館)

ハッピーエンドであることに、もちろん越したことではありません。本当によかった。

でも誰でもそうなれたわけでも、そうなれるわけでもありません。

でも本当に価値があったのは、二人が最後までに荷物を降ろさなかったことでも、病気から目を逸さなかったことでもなくて、荷物を降ろしたりまた持ち上げたり、目を逸らしたりまた見つめたりしながら、「生きよう」「一緒にいよう」ともがく姿だったんだろうと思います。

『世界の中心で愛を叫ぶ』と同じような話で、同じような結末だったら意味がない、とずっと思いながら読んできた作品ですが、読み終えてみると「ハッピーエンドかどうか」の天秤がどちらに傾くかは、それほど重要ではなかったんだよな、という気がしています。

『君は放課後インソムニア』14巻より(オジロマコト/小学館)

という余裕のコメントできるのも、ハッピーエンドを読み終えた後ゆえでしょうかね。悲しいラストだったらきっと全然違う感想書いているか、もしかしたら感想を書いていなかったかもしれません。

イサキとガンタを通じて、本来私が目を逸らしたいはずの病気と死を見つめ、その上で未来・将来・人生を考えることを強いられる、とてもしんどい、精神的にラクをさせてくれない青春恋愛漫画でした。

私は中年になって少年時代より「死」について考える時間が増えましたが、それでも幸運なことに比較的健康に過ごしています。

でもこの先、病気や怪我を得て「死」について考える時間がより増えた時に、この漫画でイサキとガンタが理不尽に死に近い生を強制される中で、それでも「生きよう」「一緒にいよう」ともがいた姿が、あるいは自分の人生の杖のようなものに、なってくれるかもしれないな、という予感がしています。

『君は放課後インソムニア』14巻より(オジロマコト/小学館)

卒業、おめでとうございます。

次回作も楽しみにお待ちしています。

 

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#ダイヤモンドの功罪 3巻 評論(ネタバレ注意)

小学5年生の少年・綾瀬川次郎は、人格はただのスポーツ好きの遊びたい盛りの子どもだったが、体格と運動神経に優れる素質が災いし、スポーツ競技を習い始める度に、先に始めた子ども達を一瞬で抜き去って傷つけて逆恨みを買い、コーチたちからはより上位のクラブへの転籍を勧められ、漠然と罪悪感と疎外感を感じていた。

『ダイヤモンドの功罪』3巻より(平井大橋/集英社)

弱小ながらコーチと子どもたちが和気藹々と野球を楽しんでいる小学生の硬式野球チーム「足立バンビーズ」に入団を決意。

初めての団体競技で「チームメイト=友人」との関係を楽しみ、

「今度こそ、野球をこそを一生のスポーツにしよう」

と決意していたものの、次郎の才能に目が眩んだコーチが本人の意向を無視してU-12日本代表チームに勝手に応募したことで、次郎のゆるふわ野球人生計画は壊されていく…

『ダイヤモンドの功罪』3巻より(平井大橋/集英社)

「どう描くか」がエグく少年たちの心を抉って傷つけ、そして「何を描くか」はこれまでスポーツ漫画が目を逸らしてきた負の側面を描いています。

ちょっと『タッチ』の原口のこのセリフを思い出しますね。

『タッチ』5巻より(あだち充/小学館)

2巻にして人生初の野球の試合がU-12日本代表エースとしての登板、初試合にしてノーヒットノーラン、そして1巻に続いて大問題だった2巻、の後始末。

エースに起用した次郎に試合経験がないことをわかっていたとはいえ、U-12日本代表の監督が相当の出来物で、超初心者の次郎に欠けているもの、それを補って余りある才能をかなり客観的に見えていて、かつコーチ陣と役割分担して文字通り「指し導く」ことで、未熟な次郎のマインドセット、次郎の存在に動揺するチームメンバー、空中分解寸前だったチーム、「雨降って地固まる」を地で行くいい雰囲気に。

『ダイヤモンドの功罪』3巻より(平井大橋/集英社)

大問題作として始まった漫画とは思えない、小学生のスポーツチームらしい友情・ライバル・切磋琢磨で、かつ仲良きことは美しき、読んでて微笑ましい「普通のスポーツ漫画」な巻。

「フォア・ザ・チーム」と「エゴイスト」のバランスは、まあ天才の出現で定期的に「一人の王様と十人の労働者」が起こりがちなサッカーに、限った話ではないよね、という。

『ダイヤモンドの功罪』3巻より(平井大橋/集英社)

昨年のサッカーW杯のアルゼンチン代表チームなんて

「フォア・ザ・メッシ」=「フォア・ザ・チーム」

で団結して優勝しちゃったんですけど、あれが理想のバランスなんかなあ、と思ったりします。

『タッチ』の21巻でも、ラストバトルを前に主人公が準決勝の大舞台で狙ってノーヒットノーランを達成する展開があったんですけど、同じく圧倒的な才能のピッチャーの「ノーノー」ながら、本作とはまた全然異質な動機や経緯、なのに落とし所としてのチームメイトの反応がどこか似ているのも面白いです。

『タッチ』21巻より(あだち充/小学館)

「フォア・ザ・和也」=「フォア・ザ・チーム」

で天才と凡人のバランスが取れてるという。

野球漫画で主要キャラが死んで退場(ネタバレ)ってのも、いま考えても『タッチ』もスポーツ漫画としてたいがい大問題作だなw

さて本作は、この漫画が普通に青春スポーツものやってると読んでるこっちが却って不安になるというか、

『ダイヤモンドの功罪』3巻より(平井大橋/集英社)

現状「日本代表専用機」の次郎が、居場所を求めてまた一悶着起こしそうな匂いをプンプンさせつつ、次巻に続く。

監督にマインドセットされて多少「健全化」したとはいえ、次郎にとって対戦相手が

「負けて怒られて可哀想な人たち」

であるのは実は変わってないもんな…

 

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#明日ちゃんのセーラー服 11巻 評論(ネタバレ注意)

学年に1人しか児童がいないド田舎の小学校で育った運動神経抜群で天真爛漫な美少女・明日小路(あけび こみち)が、

田舎の私立の名門中学に入学して友達を少しずつ増やしながら過ごす日常をキュートに、フェティッシュに。

夏休み編が終わって新学期に入って、小路は演劇部に入部。

『明日ちゃんのセーラー服』12巻より(博/集英社)

嘘か真か、かの江口寿史はかつて

「可愛い女の子を描きたいんじゃない、可愛い女の子になりたいんだ」

語ったそうです。伝聞なので嘘か真か自分にはわかりませんが、ありそうな話。

本作の作者もその系譜かなと、漫画の文法やお約束を逸脱しているというか無視しているというか、自由気ままに可愛い女の子を描きたいだけの人だと思っていたんですけど。

前巻、ちょっとびっくりしまして、の今巻。

『明日ちゃんのセーラー服』12巻より(博/集英社)

夏合宿の続きと、新学期。

「あの」蛇森さんがとうとう、とうとう人前でギターを弾きました!

もうタイトルを「クソデカ感情物語」にすればいいと思う。

二学期になって文化祭に向けて。

の前に、明日ちゃんは母親自作のセーラー服で登校してるんですが、二学期、秋用に用意したセーラー服は黒セーラー。

『明日ちゃんのセーラー服』12巻より(博/集英社)

いや、「明日ちゃんが黒セーラー服を着た」というだけのエピソードに何話かけんねんwww

って一瞬思いましたけど、この漫画のタイトルは『明日ちゃんのセーラー服』なんで、これでいいんでした。

という、序盤の頃のように

「画集にたまにセリフが付いてるだけでは?」

とは思いませんが、相変わらずやりたい放題というか、ストーリーがないか?と言えば在るんですけど、およそ人間がプロット考えてネームにして下書きしてペン入れして、という工程を踏んでいるとは思えない、

『明日ちゃんのセーラー服』12巻より(博/集英社)

風が吹きやすい方向に吹いていくような、水が流れやすい方に流れていくような、「より自然に近い」と言う意味での非人間的なストーリー展開。

いや、何が描かれていて、何が起こっているのかは読んでてわかるんですけど、何を目指して何を考えて漫画描いたらこういう漫画になるのか全然わからないwww

絵が綺麗で、女の子が可愛くて、あちこちエモい。

『明日ちゃんのセーラー服』12巻より(博/集英社)

これはちゃんと理解するには次巻も読むしかねえな。仕方ねえな。

 

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#夜子とおつとめどうぶつ 2巻 評論(ネタバレ注意)

駆け出しイラストレーター・影野夜子(23)は自他共に認めるコミュ症で、飲食店などの店員の接客でも緊張するタチだった。

引き篭もっての作業中、空腹に耐え兼ねた夜子は久しぶりに外出、地元の商店街に足を運び、おしゃれカフェに勇気を出して入店。

『夜子とおつとめどうぶつ』2巻より(石田万/講談社)

注文に向けて緊張していた夜子を迎えたのは、猫の店員「しまちゃん」だった。

よもぎ町では、様々な動物スタッフが、店員として働いている…

「店員さんが動物で可愛い」というだけの、幼稚園児向けの絵本みたいなコンセプトのちょっとファンタジー日常漫画。

『夜子とおつとめどうぶつ』2巻より(石田万/講談社)

テッシュを配るシロクマ、八百屋のウサギ、和菓子屋のアライグマ、カフェのネコ、パンダの保育士、スーパーのレジ係のリクガメ、交番のミーアキャット、銭湯の番台のカピバラ、魚市場のペンギン、マッサージ店のニホンザル、お寺のワラビー。

コンプレックスとストレスと運動不足の塊のような夜子が動物の接客に癒されて、特に日本語を喋るでもない動物たちが、一生懸命働いてて可愛くて親切でほっこりする、というただそれだけです。

『夜子とおつとめどうぶつ』2巻より(石田万/講談社)

設定自体は誰でも思いつくし、なんだったら似たような先行作品、主に絵本や児童文学で探せばいっぱいある「ただそれだけ」です。

ただ、ちゃんとした漫画家がちゃんと描いた動物の働き様の描かれ方が、物言わぬ動物ごとの愛らしい仕草の特徴を切り取っていて、「ただそれだけ」がクオリティ高くて割りと最強。

『夜子とおつとめどうぶつ』2巻より(石田万/講談社)

美容室のアライグマのシャンプー係は目からウロコだわw

今巻は、駄菓子屋の店番の柴犬、美容室のアシスタントのアライグマ、動物に嫌われる喫茶店マスター代理、保育園のおさんぽで迷子になった保育園児と子パンダ、チベットスナギツネとマヌルネコのアパレルショップ、動物商店街の年末福引セール。

『夜子とおつとめどうぶつ』2巻より(石田万/講談社)

動物にしつこくして嫌われる新キャラ登場したこともあって、全編通じて、動物に怒られたり、動物同士が不仲だったりするエピソードが多い巻なんですけど、それを含めても微笑ましいですねw

動物が人間の言葉を理解して意思疎通して人間社会で働くという、リアルではない漫画なんですけど、動物が人語を理解はしても喋ることはできない、少し不器用な「沈黙の隣人」としたことで、「異種間コミュニケーションの微笑ましさ」のリアリティだけがリアルから延長されているような雰囲気で、良い設定だなあ、と思います。

『夜子とおつとめどうぶつ』2巻より(石田万/講談社)

今巻も癒され面白かった。

 

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#め組の大吾 救国のオレンジ 8巻 評論(ネタバレ注意)

1995〜1999年に週刊少年サンデーで連載され小学館漫画賞・文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞するなどして大好評を博した往年の名作「め組の大吾」の、同作者による続編。

今作は掲載誌というか出版社まで移って、週刊少年サンデー(小学館)から月刊少年マガジン(講談社)に。

『め組の大吾 救国のオレンジ』8巻より(曽田正人/講談社)

旧作の主人公は「朝比奈大吾」でしたが、今作の主人公は「大吾」違い。

個人の才能だけではなく、尖った才能を規律・規範を超えて臨機応変に受容・許容できる組織論的な話に。なるんかしらん。

現場の発生と「ゴーストレスキュー」の登場、なによりオリジナル「朝比奈大吾」の再登場により、読者の興味がどっかに吹っ飛んでしまった「消防救助技術大会」はあっさり終了。

『め組の大吾 救国のオレンジ』8巻より(曽田正人/講談社)

過酷な現場の描写と、その幕間パートでのキャラの掘り下げ・甘粕たち消防上層部が抱える謎のチラ見せ、を交互にという展開が定番化してきました。

謎が謎を呼ぶ展開は、結論をわかってる作者に焦れて「こんなもん作者の自己満足じゃねえか」と思うことも正直多いんですけど、この作品の焦らし方は嫌いじゃないと言うか、スリリングで楽しいですね。

『め組の大吾 救国のオレンジ』8巻より(曽田正人/講談社)

ファンタジスタや。

続編効果というか、「Zガンダムのシャアとアムロ」効果というか、「読者への嬉しいご褒美」が効いてんですかね。

前巻末の予告で「第一部 終了編」とのとおり「第一部 終了編」ですが、今巻でエピソード完結せず、次巻に続きました。

結構エピソードぶった斬りで今巻が終わって「次巻に続く」的な表記もなかったので、

「電子書籍のダウンロードエラーで一時的な落丁が起こったのかな?」

って思ってしまいましたw

『め組の大吾 救国のオレンジ』8巻より(曽田正人/講談社)

「描き急いでる」とは言いませんが、物語を描くというよりは、第二部以降に必要なキャラたちを見せ場を伴って登場させ、駒を揃えて物語を動かす陣容を充実させるダイジェスト感を感じなくもないです。

あのアレ、『ドラクエ4』の1〜4章あるじゃないですか。ライアンとかトルネコとか、5章(本編)で勇者の仲間になるキャラたちの紹介エピソード的な。

「第一部」あの1〜4章な感じ。

『め組の大吾 救国のオレンジ』8巻より(曽田正人/講談社)

あと改めて、この作者が「美女を描くぞ」と決めて描く美女は、誰が描く絵とも違って、それでいてすごい美しいですね。

一貫して「自分の限界を追い求める天才」を描き続けることが芸風で、その凄みのある演出が特長な漫画家ですが、実は一番の強みは

「美女・美少女をとても美しく可愛く描けることなんじゃないか」

とふと思ったりします。

『め組の大吾 救国のオレンジ』8巻より(曽田正人/講談社)

松本零士のメーテル級じゃない? 永田先生の美人ぶり。もっと美人画をたくさん描いて欲しい。

それだけでに、そのおかげで今作を読めているとはいえ、返す返す美少女女子高生を主人公に天才の凄みの描写と美少女の可憐さの描写が両立されていた、

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『Change!』が打ち切りに終わったことが改めて残念でならない。

 

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#それでも歩は寄せてくる 16巻 評論(ネタバレ注意)

2人しかいない将棋部の、おさげデコ部長・八乙女うるし(高2♀)と、好き丸出しのくせに頑として認めない無表情部員・田中歩(高1♂)の、告白前の高校生男女が好き丸出しで部室で将棋指しながら甘酸っぱくイチャイチャしてる、可愛いは正義のショートラブコメ。

『それでも歩は寄せてくる』16巻より(山本崇一朗/講談社)

歩は一応、将棋でうるしに勝ったら告白しようと思ってるみたいです。

マスターランクの絵力(えぢから)とシンプルで力強いセリフ力(せりふぢから)を活かした、ラブコメの王道、正攻法。

日常ラブコメですけど時間が流れる系で、うるしが3年生に、歩が2年生に。歩に中学時代以来の片想いをする新1年生の後輩ちゃんも入部。

『それでも歩は寄せてくる』16巻より(山本崇一朗/講談社)

仲間が増えた将棋部の冬、うるしは高校3年生で受験勉強で将棋部は引退…ではないですけど身を引き気味に。

うるし、高校3年の1月、共通テスト、バレンタイン、二次試験。高校生活も残りわずか。

巻末予告によると、次巻17巻で完結とのことです。

『それでも歩は寄せてくる』16巻より(山本崇一朗/講談社)

うるしに平手(ハンデなし)で勝ったら告白するつもりの歩の棋力の成長は「間に合う」のか。

そしてそんな歩を見守り支えつつ想いを寄せる、凛ちゃんは…

受験とバレンタインを挟んだ日常エピソードを交えつつ、サブヒロイン・凛ちゃんの最後の勝負駆け。

『それでも歩は寄せてくる』16巻より(山本崇一朗/講談社)

別作品についての記事ですし、ちょっとブログの日付的に時空が歪んだ話ですが、先日こんなのを書きまして、

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その中で「メインヒロインを喰ったサブヒロインの系譜」を少し振り返りました。

凛ちゃん、(自分の中の「読者人気」という意味で)うるしを喰いかけていたんですが、

「1年遅かった」

「時間が短かった」

という気もする反面、

「どれだけ時間があっても歩の気持ちは変わらなかった」

という気もします。

『それでも歩は寄せてくる』16巻より(山本崇一朗/講談社)

仮定の話で、詮ないことです。

でも歴代の「メインヒロインを喰ったサブヒロイン」に劣らない、途中ちょっと「この漫画、大丈夫かな」と少し心配になるレベルで、強力に魅力的なサブヒロインでした。

さっきのとは別にこんな記事で、

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こんなことを書いたんですが、

大河系やハードボイルド系の作品で

「死に様は生き様を映す鑑(かがみ)」

のようなことがよく言われますが、それに倣えば

「失恋の涙は片想いの恋の思いの丈を映す鑑」

とでも言うか。

凛ちゃんは、その名のとおり凛としたまま、最後まで泣きませんでした。

泣いた方が偉いとか、泣かない方が偉いとか、そんな話ではないですが、凛ちゃんらしかったし、かっこよかった。

『それでも歩は寄せてくる』16巻より(山本崇一朗/講談社)

次巻、歩、勝てよテメー。

 

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#アナトミア―解剖してわかったことだが、人間は必ず死ぬようにできている― 3巻 評論(ネタバレ注意)

ルネサンス期、15世紀末のミラノ公国。

当時の医療従事者「理髪外科医」を営む父親の助手・見習いを務める少年・サルヴァトーレ(通称・トト)は、しかし1000年前の医術書による旧態依然の医療知識体系や技術に疑問を持っていたところ、同じく人体の構造に強い執着を示す男と出会う。

『アナトミア―解剖してわかったことだが、人間は必ず死ぬようにできている―』3巻より(高城玲/秋田書店)

画家を名乗るその男は、芸術と医療、目的こそ異とするものの、「人体についてもっと知りたい」という同じ強い情動を示すトトに興味を抱き、

「俺と一緒に死体とか盗んで解剖しまくろうぜ!」

と誘う。その男こそルネサンス期の超人として歴史に名を残す、レオナルド・ダ・ヴィンチその人だった。

という、少年トトをワトソン役にしたレオナルド・ダ・ヴィンチの伝記フィクション。

『アナトミア―解剖してわかったことだが、人間は必ず死ぬようにできている―』3巻より(高城玲/秋田書店)

BL匂わせ風味というか、ダ・ヴィンチ青年がトト少年に壁ドンしたりとか、サービスシーンは基本的に女性向けかなと思います。

世界の原理が神から科学に移行しつつある時代、人間主観の知と好奇心の対象の最大単位が「宇宙」であるのに対し、最小単位である「人間(自分)の身体」をテーマに据え、『チ。―地球の運動について―』と対になるような位置付けの作品。

『アナトミア―解剖してわかったことだが、人間は必ず死ぬようにできている―』3巻より(高城玲/秋田書店)

好奇心の超人レオナルド・ダ・ヴィンチと、医療の進化を模索する少年トトの、医療&解剖&芸術&死体泥棒ドラマを通じて、ルネサンス期の個人の「真理と真実を知りたい」という好奇心の渇望と希求、「変えたい」という情熱のドラマが、人類の進歩の歴史に繋がっていく野心的なテーマ。

舞台を解剖医学の黎明期に置いたこと、それをレオナルド・ダ・ヴィンチという超人を通じて芸術と連動させて、医療と芸術の両面から解剖学を攻めてるところが目新しい。

『アナトミア―解剖してわかったことだが、人間は必ず死ぬようにできている―』3巻より(高城玲/秋田書店)

ダ・ヴィンチがメディチ家の仕事を請け負うため、今巻から舞台をフィレンツェに移した、「フィレンツェ編」。

ですが、やってることは相変わらず、ダ・ヴィンチは絵を描き、そして二人でどこかから見繕ってきた死体を解剖する日々。

フィレンツェに来て変わったことというと、メディチ家の本邸があるので肖像画の仕事で通勤しやすいのと、大都市で処刑も多いので解剖用の死体が調達しやすいというw

『アナトミア―解剖してわかったことだが、人間は必ず死ぬようにできている―』3巻より(高城玲/秋田書店)

それだけだったら現フィレンツェ市長から怒られそうですが、その他、芸術・文化の都だけあって画材屋が充実していたりメディチ家の図書館で貴重な文献に当たれるなど。

今巻も作中で当時の医学で常識とされていた知識が描かれますが、医者でもなんでもない自分からみてもトンデモなところが多々あって、

「この医学書を書いた著者は検証・実証をやったわけでもないだろうに

 どういうつもりで本を書いたんだろうか?」

とちょっと可笑しくなります。お前の想像かよ!

その他、外科医療の実践編としてダ・ヴィンチが「あの病気」に罹るの巻き、「ウィトルウィウス的人体図」を描くの巻き、などなど。

いよいよ本格的にダ・ヴィンチらしくなってきた、と思ったらあとがきで、ん…?

『アナトミア―解剖してわかったことだが、人間は必ず死ぬようにできている―』3巻より(高城玲/秋田書店)

おっと、この書き方は…

 

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#あかね噺 8巻 評論(ネタバレ注意)

浅草の阿良川一門の落語家(二ツ目)阿良川志ん太の娘、小学生・朱音(あかね)は父親の落語を誇りに思い憧れていた。

朱音も応援する父親の真打昇進試験、しかしその顛末は予想だにしないものだった。

内密かつ非公認に、父に倣って一門ナンバー2の落語家・阿良川志ぐまに師事して6年、高校生となった朱音は父親の意志と夢を継ぐべく、正式に志ぐまに弟子入りし阿良川一門に入門。

父の叶わなかった夢、真打を目指す朱音の落語家人生が始まった!

『あかね噺』8巻より(末永裕樹/馬上鷹将/集英社)

という、落語をモチーフにした成長譚の青春譚のサクセスストーリー。

週刊少年ジャンプ本誌連載ながらモチーフが落語という変わり種ですが、まあ「なにやってもジャンプ」というか「落語やってもジャンプ」というか。

ジジババイメージが強い伝統芸能の世界の中心で元気で可愛いJKが主人公、というのもギャップがありつつ、いかにも今どきでキャッチーで、世代間コミュニケーションの楽しみや「男社会の中の女」という切り口にも派生できそうで、見た目の印象以上に拡張性が高い作品だな、と。

『あかね噺』8巻より(末永裕樹/馬上鷹将/集英社)

当面の目標を「前座」から「二ツ目」への昇進に定め、阿良川一門の昇進ルールに則って、レベルの高い阿良川一門の「前座」たちがシノギを削る、実質「予選」の錬成会、そして「本戦」の選考会へ。目指すは若手の登竜門「四人会」の最後の一枠。

要するに今巻は「荒川一門前座ナンバーワン決定戦」、その決勝。

朱音とはタイプの異なるライバルたちのスタイルやポリシーを通じて、落語の正道・邪道の手管を見せて、その懐の広さと各キャラの生き様が描かれます。

『あかね噺』8巻より(末永裕樹/馬上鷹将/集英社)

が。

必ずしも、もともと「バトル」ではない「落語」をジャンプらしいバトル展開に落とし込んだ結果、とは一概に言えません。

『ガラスの仮面』『アクタージュ』のような演劇ものでもそうでしたし、現在人気の『メダリスト』をはじめとする芸術系の採点競技も全部そうなんですけど、格闘技や球技のようにルール上、相手を直接妨害することがルールに組み込まれていない「競技」を漫画などのフィクションした際に「バトルもの」の形態を取ると、勝負の行方は得てして

「主人公が要求される成長をしてきたか/本領を発揮できたか/覚醒できたか/正解に辿り着けたか」

で八割がた決まってしまうんですよね。

ライバルではなく自分との戦いに収束するというか。

『あかね噺』8巻より(末永裕樹/馬上鷹将/集英社)

なのでこうした「バトルもの」でライバルがどんなプレイをするかは、実は勝敗にはあんまり関係なかったりします。

主人公が成功したら超えられて、失敗したら超えられない、ライバルの役割は走り高跳びのバーです。

「八割がた」としたのは、残りの二割は「勝負に勝ってルールに負けた」が起こるからです。

ということで、その、朱音。

『あかね噺』8巻より(末永裕樹/馬上鷹将/集英社)

ハタから見ても父親の落語へのこだわりは強力で、ややもすれば朱音の落語は「父親の落語の再生産」で終わりかねないことが暗に危惧されていましたが、志ぐま師匠のおっしゃるとおり、「志ん太のコピー」で終わるのか、「志ん太の落語」すら飲み込んでデカくなる器なのか、その分水嶺。

噺(演目)に関する朱音の選択は、「志ん太」の跡を追う「替り目」。

父が得意とした「替り目」を演じる中で、朱音は父の背中の残像に何を見るのか。

という気になるヒキで、次巻に続く。

『あかね噺』8巻より(末永裕樹/馬上鷹将/集英社)

なんか「勝負に勝ってルールに負けた」が起こりそうな、予感もしますね。

 

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#J⇔M ジェイエム 1巻 評論(ネタバレ注意)

「J」は裏社会で自他共に認める最強の、一匹狼の凄腕の殺し屋だったが、性格はハードボイルドに憧れて形から入るナルシストのおっさんで、本名は純一だった。

恵は小学3年生の少女で、記憶力と学習能力に優れた優等生だったが、家庭では毒親の母親からスパルタ教育ハラスメントを受け、学校では外国人とのハーフの容貌を理由にバカガキ男子からのイジメに遭っていた。

恵が家出してうずくまっていた階段は純一が暮らすマンションで、

『J⇔M ジェイエム』1巻より(大武政夫/KADOKAWA)

ひょんなことから二人は頭をぶつけて「入れ替わり」が起こってしまう。

「自分の身体」を少女誘拐犯にしたくない純一、家庭や学校からの逃避先を得た恵、利害が一致した二人の、協力しながらそれぞれ「相手のふり」をする生活が始まった…

という、『レオン』と『君の名は。』と足して三谷幸喜で割ったような、殺し屋ものギャグコメディ。

『J⇔M ジェイエム』1巻より(大武政夫/KADOKAWA)

『ヒナまつり』で著名な大武政夫の新作は、

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再び「アウトローのおっさん×少女」。

別作『女子高生除霊師アカネ!』との二毛作。

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「殺し屋もの」「一般人のふりして俺TUEEEE」「入れ替わりもの」「見た目は美少女、中身はおっさん」

などの流行りの売れ線要素をテキトーに詰め込んだような初期設定・第1話ですが、

『J⇔M ジェイエム』1巻より(大武政夫/KADOKAWA)

出オチになりがちな奇抜な初期設定のアイデアに依存するタイプではなく、ベタな初期設定をきっかけにシチュエーションのバリエーション豊かに転がす頭抜けた「ネーム力」に本領を持つ作家なので、あんまり問題になりません。

誰でも思いつきそうな設定ですが、ここまで面白おかしく描ける作家はほとんどいません、という作品。

『J⇔M ジェイエム』1巻より(大武政夫/KADOKAWA)

女子小学生が人を殺すのはいかにも絵ヅラが露悪的すぎるせいか、

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保険として「悪人しか殺さない」というリミッターで一応の線引きも、という配慮もw

ガンアクションも見応えアリ、という意外で嬉しいおまけ付き。

『J⇔M ジェイエム』1巻より(大武 政夫/KADOKAWA)

「殺し屋もの」の流行にも流れみたいなものがあって、「殺し屋もの」作品の性格はだいたい3つの路線に分類できそうに感じますが、本作は「コメディ全振り路線」のいきなり筆頭格に躍り出てる感じ。

「躍り出る」って言葉、全力疾走しながら阿波踊りしてるみたいなイメージが浮かんでしまって頭の中で毎回ちょっと笑ってしまうんですが、まさにそんな

「本人たちは真面目に必死なのに、それがかえって滑稽」

というギャグコメディ漫画です。

『J⇔M ジェイエム』1巻より(大武政夫/KADOKAWA)

今作もぜひ、末長く楽しませていただきたい。

 

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#株式会社マジルミエ 9巻 評論(ネタバレ注意)

土刃さん、かわよ。

別のところに焦点を当てられがちな作品ですけど、この漫画の女の子、めっちゃ可愛いですよね。

突如発生し人と社会に害をなし損害を与える怪異を、退治するサービスが「魔法少女」と称され、複数の企業が魔法少女サービスを提供する社会。

就職活動中の女子学生・桜木カナは、面接に連戦連敗の最中、大手金融企業の面接中に会場の会議室で発生した怪異に巻き込まれる。

通報で現場に駆けつけた魔法少女の怪異退治「業務」を手伝った縁で、カナは魔法少女ベンチャー企業「株式会社マジルミエ」にスカウトされ、魔法少女として就職することになった…

という、ジャンプ+の魔法少女お仕事漫画。

『株式会社マジルミエ』9巻より(岩田雪花/青木裕/集英社)

『パトレイバー』の「レイバー」のように、現実社会に「魔法少女」という大きな「嘘」を一つ放り込んで、魔法少女を企業サービスとして現代社会ナイズ。

嘘の周辺を現実的な描写・展開で固めることで、ファンタジー世界観のリアリティラインを部分的に押し上げてシミュレーションして、お仕事漫画のテイに。

現実のお仕事で起きそうなストーリーラインで展開するので、特に本作はIT系のシステム開発屋さんが感情移入しやすい作りに。

「今日も一日がんばるぞい!」が『GS美神』よろしくバケモノ退治する漫画、でざっくり説明できちゃいそうな世界観。

『株式会社マジルミエ』9巻より(岩田雪花/青木裕/集英社)

1巻当初は魔法少女1名、エンジニア1名の小規模ベンチャーだったマジルミエですが、ヒロイン・カナの採用を経て、エンジニアの採用募集を開始。

京都編でいろいろトラブルもありつつも「心は童貞、見た目はヤクザ」みたいな優秀な大学生の兄ちゃんを新入社員としてゲット。

ライトスタッフが揃って、魔法少女業界注目の、名実ともに「最強のベンチャー」になった裏で、しかし業界の暗部では大規模魔法の規制緩和と利権に関わる、官民の癒着・不正と陰謀が進行していた…

『株式会社マジルミエ』9巻より(岩田雪花/青木裕/集英社)

作中にはっきりした記載はありませんが、カバー裏のおまけ漫画に次巻より「第二章」となることが示唆されており、実質的に今巻で「第一章 完」かと思います。

東京・竹芝埠頭に、規制緩和とそれに伴う利権の独占を目論む業界トップのプロデュースによる、人工&最強の大規模怪異が出現。

この官製・狂言の災害の情報を事前にキャッチしていたマジルミエは、規制緩和派の息のかかった大企業による討伐実績作りを阻止すべく、あらかじめ網を張って自力・単独での討伐に着手。

しかし、怪異の想定以上の規模と脅威に加え黒幕自身が戸惑うイレギュラーな怪異のパワーアップ、規制緩和派の思惑の乗っかる魔法少女大手・アスト社の到着・介入もあり、討伐は困難を極める。

『株式会社マジルミエ』9巻より(岩田雪花/青木裕/集英社)

特にアスト社のエース魔法少女・土刃メイは、社命のため、開発中の新型大規模魔法を自らの危険を顧みずに最大出力でぶっ放す覚悟だった。

土刃との間でささやかな友情が芽生えかけているカナちは、土刃と止めつつ未知の大規模怪異の討伐を「業務完了」できるのか…

という、第一章のラストバトルに相応しい、マジルミエの総力戦、ライバル関係の一見クールで無感情なダークヒロインの心の氷を溶かしての熱い共闘。

ただのサラリーマンものではない、幼い頃の憧れや夢を乗せた「魔法少女お仕事もの」の面目躍如なエキサイティングな展開。

『株式会社マジルミエ』9巻より(岩田雪花/青木裕/集英社)

悪役とはいえ業界トップの「虎の尾」、を踏みに行ったとはいえ、ラストの展開は僅かな予兆しかなかっただけにやや唐突な展開のようにも思えますが、それだけに登場人物たちが感じたショックや理不尽、「わけがわからないよ」にすごく感情移入できるなあ、と思います。

実際の歴史上でもそういうことが多いのかどうかは自分は明るくないんですが、フィクションにおいて主に主人公たちのチームや組織が、大功を立てたり宿願を成し遂げた直後に、上位組織から処断・粛清される展開というのは、たまに見ますね。

・『旧エヴァ劇場版』の自衛隊のネルフ殲滅

・『ガンスリ』のイタリア政府による公社への進軍

『GUNSLINGER GIRL』15巻より(相田裕/KADOKAWA)

・その他、軍もの・公安もの・スパイもの・殺し屋ものなどのハードボイルド分野で、漫画に限らずたくさん

だいたい、組織が野合で一枚岩でなかったり権力争いしていたり、もともと「業務上得られる力や情報」が価値を持ちすぎていたり、という、裏切りを互いに警戒する緊張関係を背景に、

・力を持ちすぎた

・情報を知りすぎた

・役割を終えて不要になった

・いずれくる裏切り合戦なら先手必勝

という理由で、突然の裏切りで粛清・処断されるケースが多いです。

それに比べると、『マジルミエ』の場合は鎌倉がわかりやすく悪役なおかげで、全然納得できます。

『旧エヴァ』や『ガンスリ』初見の時は、マジで

「なんで味方だったはずの急に自衛隊がネルフに攻めてくるの?」

『新世紀エヴァンゲリオン』11巻より(貞本義行/KADOKAWA)

「なんで味方だったはずの急にイタリア政府軍が攻めてくるの?」

ってあんまピンと来なかったもんな。

まあ、それはそれとして。

『株式会社マジルミエ』9巻より(岩田雪花/青木裕/集英社)

ダイナミックすぎる展開、「第二章」で何がどうなっているか、楽しみですね。

 

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#かげきしょうじょ!! 14巻 評論(ネタバレ注意)

AKB的なグループで総選挙13位ながら握手会でファンに「キモチワルイ」つって炎上、追放されるように卒業した元アイドル、無表情クールで人嫌いの愛。

すみれの花咲く頃、宝塚的な歌劇団に付属する養成機関・音楽学校への入学を果たし、そこで出会ったのは長身と強い体幹を持ち天然で天真爛漫で天才肌の少女・さらさ。

10代半ばで人生を自分の意思で歌劇に投じた"強い"女の子たちの、清く正しく美しく、熱くてシビアな楽しい青春。

『かげきしょうじょ!!』14巻より(斉木久美子/白泉社)

さらさたち100期生も最終学年である本科生(2年生)となり、新入生(予科生)の101期生も入学し、迎えた二度目の夏。

昨年と同じく、さらさと愛は揃って東京に帰省し、最後の夏休みも共に過ごすが…

ということで夏休みの実家編、再び。

前巻でさらさの母親もついに登場。

『かげきしょうじょ!!』14巻より(斉木久美子/白泉社)

この後の母親のリアクション、今まで見た中で最低で爆笑してしまったw

さらさのルーツを巡るエピソード、ネタバレしちゃうとまあ、爽やかに「先延ばし」なんですが、不穏で確実に爆発する伏線も仕込まれて、もう一波乱ありそう。

読んでて類推される背景を考えると、何も知らされていない子どもの側のさらさの「お父さん」と呼んではいけない理由は、大人の側の「お父さん」と名乗ってはいけない理由、

『かげきしょうじょ!!』14巻より(斉木久美子/白泉社)

そこまで隠すほどの、自分達の思春期の娘がモヤモヤを抱えさせたまま大人にならなければないらないほどの、現に今後スキャンダルに巻き込んで傷つけてしまわなきゃならないほどの、大した話か?と思わなくはないです。

正直、さらさの父親も母親も実績と名声ばかりが強調されて、肝心の才能を人生に捧げた仕事の中身が描かれないだけに、「良い話」風の雰囲気を纏ってるだけで中身が空っぽな、ややもすればただ保身に見えなくもありません。

『かげきしょうじょ!!』14巻より(斉木久美子/白泉社)

さらさがそう実感したとおり、二人ともさらさを愛しているのは間違いないんですが。

前巻なかった番外編、今巻は101期生でさらさのメンティーの澄栖 杏。

クール無愛想な王子様系女子の過去話。

杏もさることながら、彼女を導いた大木先生がかっこよくて良いですねw

『かげきしょうじょ!!』14巻より(斉木久美子/白泉社)

こんなあからさまな「メガネを取ったら…」、久しぶりに見たわw

さて。

本作は宝塚歌劇をモデルにしつつもフィクション漫画なので、現在宝塚歌劇にまつわるスキャンダルというか醜聞について、その実態に対するドキュメンタリズムや改善案や解決策を求めるのは筋違いというものでしょう。

自分も宝塚歌劇に詳しいわけでもないので、特に偉そうなことを言えるわけでもありません。

が、経営・運営・演者・ファン含めて関わるみなさんは、宝塚歌劇を好きになったきっかけや抱いた夢を杏のように思い出して、初心を忘れないでいていただきたいなと思います。

他人もまた同じようなきっかけや夢を歌劇に抱いていて、それは別の誰かが壊してはいけないものなんだという、ということを。

『かげきしょうじょ!!』14巻より(斉木久美子/白泉社)

余計なお世話な上に、やっぱり何か、偉そうですね。

 

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#メイドは恋する蜂谷くん 2巻 評論(ネタバレ注意)

高1の少年・蜂谷くんは、入学式で漫画のように運命的に出会った隣の席の女子・花園さんが好きで、意を決して告白したものの、「婚約者がいるから」とフラれてしまった。

『メイドは恋する蜂谷くん』2巻より(小森チヒロ/小学館)

花園さんの婚約者は、爽やかイケメン・人格良好・成績優秀・スポーツ万能・良家の御曹司の五拍子ぞろいと学校内で有名な池貝くんだった。

「イケ(メン&ナイス)ガイ」で池貝くんなんかしらん。

花園さんと池貝くんの婚約をぶち壊すため、意を決した蜂谷くんは女装してメイドとして池貝家に潜入し、池貝くんをメロメロにさせることを決意したのだった…

「婚約者」という現実には今やなかなか古風な風習も、ラブコメ漫画の中では現役です。

『メイドは恋する蜂谷くん』2巻より(小森チヒロ/小学館)

「日々がんばっている」じゃないが。

という女装メイド男子ラブコメ。連載誌は少女漫画誌「ちゃおデラックス」です。ちょっと狂ってる。

「ちゃお」系は伝統的に?たまに女装男子ラブコメやるらしいです。

「正体隠してラブコメやる」、自分が勝手に命名したところの「マスカレード」ラブコメでもありますね。

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あんまり詳しいジャンルではないけど、「女装男子ラブコメ」と「マスカレード」はセットで運用されることが多い気もしますね。こういうのって広義の「BL」に含まれるのかな?

蜂谷くんは萌え萌えメイドとして池貝くんにポンコツアピールしまくるものの、純粋な池貝くん相手に散々スベり倒し、

『メイドは恋する蜂谷くん』2巻より(小森チヒロ/小学館)

でも徐々に「面白れー女」として認知され始め、蜂谷くん自身もまんざらでもないという。

1巻は「作品の名刺がわり」主人公の少年・蜂谷くんをメインヒロインとした「男の娘メイド×美少年ドキドキラブコメ」中心で、本来ヒロインだったはずの花園さんの出番はとても少なかったんですが、2巻はその「本来ヒロイン」の花園さんにもスポットが。

『メイドは恋する蜂谷くん』2巻より(小森チヒロ/小学館)

オイ、こっちも面白れー女じゃねえかwww

「自分の恋路のために、他人の恋路を崩壊させる」

という、とても悪辣な目的で女装しメイドとして恋敵の屋敷で働く蜂谷くんですけど、「性善説世界観」というのか、池貝くんも本当に誠実でいい奴で(そしてラブコメ力も高く)、1巻で目立たなかった「本来ヒロイン」も天然気味ながら一生懸命で面白れー女、また蜂谷くんがお人よしで当初の目的を忘れてついつい池貝くんと花園さんのアシストをしてしまう、というとても優しい世界観。

『メイドは恋する蜂谷くん』2巻より(小森チヒロ/小学館)

「漢(おとこ)」だな蜂谷くん、女装して見た目は可愛いけど。あと花園さんの鬱の原因、カニだけど。

作品の最後に決着なんかつけずに、可愛い三人で一生おかしくて優しい変則三角関係を続けて欲しいような気もしてきます。

女装蜂谷くんがヒロイン力高いというか、普通に可愛いんだよね。

近年ラノベや「なろう」で流行の「見た目は美少女、中身はおっさん」の亜種なんかな。

ネタバレとしてはだいぶ気が早いですけど、次巻予告。

『メイドは恋する蜂谷くん』2巻より(小森チヒロ/小学館)

あー、「事故チュー」って名前がついてるのか、というのと、花園さんクソワロタ。

 

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#ベルセルク 42巻 評論(ネタバレ注意)

大剣を携えた黒衣の剣士・ガッツを主人公にしたダークファンタジー。

ファンタジーRPGゲームで例えるなら、ドラクエ・FFなどが代表するJ-RPGではなく、完全に洋モノ。

猫と虎の赤ちゃんを見分ける上で、将来体躯がデカくなる虎の赤ちゃんの手足は既にぶっといので一目で見分けがつくように、最初っから一目で手足のぶっとさが理解できた作品。

『ベルセルク』42巻より(三浦建太郎/スタジオ我画/森恒二/白泉社)

デカいスケール、緻密な作画、恐ろしい展開、残酷な描写、「周りに誰もいないところを走っている」漫画の一つ。

2002年、第6回手塚治虫文化賞マンガ優秀賞。

遅筆で休載が多いことでも知られながらも、「あの作画じゃしょうがねえ」と作画の精緻さによって遅筆が理解され許されてきた稀有な作品。

それと引き換えに冗談混じりに「完結前に作者か読者が死にそうな漫画」の話題の度にリストに名を連ねてきた作品ですが、ご存じのとおり作者の三浦建太郎が死去。

『ベルセルク』42巻より(三浦建太郎/スタジオ我画/森恒二/白泉社)

前巻が遺稿、作者本人の筆による最後の巻になりました。

未完。

前巻の感想で

「死んだらあの世でベルセルクの続きが読める」と思って、楽しみにしています。

と書きましたが、

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親友であり三浦から『ベルセルク』の結末までを伝え聞いていた漫画家の監修のもと、編集とアシスタント陣の執念で刊行続行。

前巻の続きから、42巻。

「よくぞ継いでくれた」

という気持ちと、

「三浦(作者)と自分(読者)の『ベルセルク』に触るな」

という気持ちで、千々に乱れてどういう心持ちで読めば良いか、まだ整理もつきませんが。

『ベルセルク』42巻より(三浦建太郎/スタジオ我画/森恒二/白泉社)

漫画作品を構成する要素って、

「あらすじやキャラの運命、結末が知れれば良い」

という、ファスト映画的な興味だけで構成されているわけではないですしね。

三浦が描いていた頃から鬱展開が長く続く暗い作品でしたが、同時にそんな暗さの中を新展開のワクワク感や三浦独特のセンスによるギャグコメディ、フェティッシュなヒロイン描写、何よりも精緻な描画が「ご褒美」として作品を牽引してきた漫画。

今巻は、一同で訪れていた妖精島へ突如グリフィスが降臨したことによる、この作品何度目かのカタストロフ。

『ベルセルク』42巻より(三浦建太郎/スタジオ我画/森恒二/白泉社)

「展開が駆け足」との批判も目にしましたが、もともとカタストロフ描写にじっくりページを割きがちだった三浦本人が描いていたとしても、ギャグコメディなどの「ご褒美」を差し挟む余地のない展開で、三浦本人が抜けたことの影響は自分には正直判断つきません。

平たく言うと、

「誰が描いても暗くて重たい『大崩壊』エピソード」

で、主人公たちに感情移入した目線から見て、そんなに面白い巻ではないです。

『ベルセルク』42巻より(三浦建太郎/スタジオ我画/森恒二/白泉社)

新制作陣の真価の見極めは次巻以降に持ち越しかな。

とりあえず、死んであの世に行かずとも『ベルセルク』の続きを読めることをまずは言祝ごうかと。

迷っただろうし、批判もされるかとは思いますが、始めた以上は完走を期待しています。

『ベルセルク』42巻より(三浦建太郎/スタジオ我画/森恒二/白泉社)

願わくば、今度は自分(AQM)が死んでしまう前に、完結しますように。

長生きするぞう。

 

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