#AQM

あ、今日読んだ漫画

#幼女戦記 31巻 評論(ネタバレ注意)

サラリーマンがリストラ逆恨みで殺されて、成仏の際に神に反抗した罰で、近代欧州っぽい異世界、WW1前のドイツそっくりな帝国の魔導師の素質持ちの女児に転生。

戦勝と栄達と安穏な後方勤務を夢見つつ、少佐の階級、エース・オブ・エース「白銀」「ラインの悪魔」の二つ名、第二〇三遊撃航空魔導大隊大隊長として、戦場の空を支配する主人公ターニャ・デグレチャフ11歳。12歳になった。

『幼女戦記』31巻より(東條チカ/カルロ・ゼン/KADOKAWA)

ちなみに、初期巻で度々描かれた「後世の記者が十一番目の女神の謎を追う」後世のエピソードは、同じ作者が描くスピンオフに移行したようです?

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北のレガドニア、西のフランソワ、南の南方大陸ときて、お次は東のルーシー連邦。

帝国(擬ドイツ)東方に国境を接するルーシー連邦、言わずもがなにソビエト連邦をモデルにした国家。

参謀本部の指令でターニャたちがルーシー連邦へ侵入を果たしたまさにその時、ルーシー連邦は帝国に対する宣戦を布告。

第二〇三遊撃航空魔導大隊、魔導師とはいえたった48人で大国・ルーシー連邦の首都・モスコーへの浸透作戦、蹂躙、敵国首都の首脳を心胆寒からしめることに成功。

次いで、前線を支える重要補給拠点ながら、ルーシー連邦首脳部にいる一人の変態の剛腕によって変態的な目的で大戦力を投入されたルーシー連邦軍に包囲され窮地に陥る、ティゲンホーフ市防衛戦。

『幼女戦記』31巻より(東條チカ/カルロ・ゼン/KADOKAWA)

前巻では

・西暦を識るターニャの予測を上回るルーシー連邦の攻勢

・航空機・戦車の進化・発展に伴って、相対的に機動力・火力の価値が下がっていく「航空魔導師」という兵科

・遊撃航空魔導大隊の大隊長に納まっているターニャの裁量権限の限界

が語られました。

西暦と違う経緯を辿りつつあるのがスリリング。

今巻は突然開催された、ターニャに対する査問会議と、その後の「ターニャの身の振り方」に関わる人事面談。

『幼女戦記』31巻より(東條チカ/カルロ・ゼン/KADOKAWA)

バトルシーンが一切ない、一部の戦記もの作品名物の「会議巻」。

これまでの、ターニャとレルゲン大佐、ターニャとゼートゥーア中将との会話は、ターニャの後方勤務志望の意図が相手に勝手に裏読みされて戦闘狂と曲解される、作品通じてのすれ違いコメディの強力なパターンでした。

今回もすれ違いっちゃすれ違いなんですけど、前述のとおりターニャが西暦の知識のアドバンテージに限界を感じ始めていることと、もう一つの理由もあって割りとシリアスです。

『幼女戦記』31巻より(東條チカ/カルロ・ゼン/KADOKAWA)

プクーって可愛いなw

ターニャはこれ、

「もっと戦略的な権限と裁量が大きい、参謀本部の『頭脳』になりたい」

という野心ゆえなのか、

「物理的・社会的なリスクの低い後方で楽をしたい」

なのか、今巻ではちょっとわかりにくい。というより両方なのか。

当初からずっと

・危険は避けたい

・帝国は勝たせたい

で、今巻も一貫はしてんのか。

なんか昔は参謀系じゃなくて事務屋になりたがってたイメージありますよね。

出世させると大隊長でいられない、という事情はあれど、素人目には正直、軍大学を出て戦時に戦功・大功を重ねた割りにはずっと少佐のままで、「出世しなさすぎ」にも見えます。こういうもんかな。

『幼女戦記』31巻より(東條チカ/カルロ・ゼン/KADOKAWA)

もう一つの理由は、とある政治体制やその後継国家に対する、原作者の深刻な不信と痛烈な批判、になるんでしょうかw

これ、原作、いつ描かれたのかなあ。

もしくはコミカライズにあたって、原作からアレンジが入ってんのかしらん。

ターニャの口を通じて語られる「深刻な不信と痛烈な批判」が、ルーシー連邦の向こう側の、現実のとある国やその軍事行動を痛烈に批判しているようにも見えますね。

「ルーシー連邦の、西暦の経過の超越」の原因は、漫画的には例の変態1名が負ってる部分ですけど、どう処理するんだろう。

次巻からちょっと新展開でしょうか。

帝国の戦局というより国運としては、ターニャの活躍で保ってる反面、その活躍でリスクの風船が先延ばし・温存どころか膨らみ続けて、割れた時の被害がデカそうというか。

『幼女戦記』31巻より(東條チカ/カルロ・ゼン/KADOKAWA)

今巻の政治と軍事、首都と前線の空気感の乖離の描写を見ても、ターニャがいなくて傷が浅いうちに早々に「敗戦」しといた方が、(負け方にもよりますけど)帝国にとっても世界にとっても幸福だったように見えますね。

初期から、というか「未来回想」で帝国の敗戦が規定されている以上、作品コンセプト自体そうかw

 

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#朱のチーリン 2巻 評論(ネタバレ注意)

『三国志』蜀の後期に活躍した武将・姜維の、オリジナルキャラが結構活躍する、創作性の強い伝記フィクション。

『朱のチーリン』2巻より(向井沙子/小学館)

中国歴史もの漫画は、『封神演義』、『蒼天航路』、『キングダム』のようにハネる作品があったかと思ったら、早期に打ち切りの憂き目に遭う作品も多く死屍累々で、博打要素の強い不安定なジャンルという印象があります。

読んでる自分は横山光輝の漫画『三国志』とコーエーのゲーム『三國志』シリーズを通っておらず、社会人になって以降にゲーム『真・三國無双』シリーズ、北方謙三の小説『三国志』全13巻、漫画『蒼天航路』で触れた程度、「史書」も「演義」も直接触れていない、近年のフィクション・エンタメを通じてしか『三国志』に触れていない「にわか」で、歴も浅いです。

本作の主人公は姜維。

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作品タイトルの「チーリン」はたぶん「麒麟」、「天水(地名)の麒麟児」と号される姜維を指し、「朱」は本作における姜維のイメージカラーかな。

北方『三国志』では、魏から降って諸葛亮に師事し、その遺志を継いで北伐に執念を燃やすことになる武将。

『三国志』の錚々たる英雄たちが退場した後に現れた「遅れてきた青年」で、諸葛亮の頭脳と趙雲の武勇のいいとこ獲りで足しっぱなしにしたチートキャラ、ゲームなどのビジュアルの影響で源義経・沖田総司と並んで「美少年に描かれがちな歴史上の三大非業イケメン」というイメージ。

『朱のチーリン』2巻より(向井沙子/小学館)

本作でも例に漏れずイケメンで、既に諸葛亮から資質も認められています。

1巻、姜維の背景や因縁が語られるプロローグ的な1〜3話で幼少期・ローティーンぐらいの年齢、4話で時間が15年ほど飛んで青年期になって本格的に話が転がり始めますが、既に曹操も劉備も関羽も張飛も馬超も没後。

才知と武勇とルックスを兼ね備えたチート主人公、みたいなスペックの割りに語られることが少ないのは、この時代的な「『三国志』終わりかけ感」のせいでしょう。

残ってるのは諸葛亮、魏延、司馬懿、確か趙雲と孫権はまだ生きてるか、馬謖は今巻冒頭で死にました。周瑜は確かもう死んでる。

『朱のチーリン』2巻より(向井沙子/小学館)

姜維を主人公にすると、この「スター不足」に陥るんですが、この作品はそれを三つの別の要素で補っています。

一つは「宗教と民族」。

漢の時代に国教化された儒教をアイデンティティにマジョリティとして振る舞い、羌族などの異民族・少数民族を逼塞させる漢民族。

孔子の時代から既に数百年が経過したこの時代、価値観の異なる異民族への差別を正当化するツールに悪用される儒教。

二つ目は姜維のルーツに関するフィクション要素。

漢民族として価値観が儒教の影響下にある姜維ですが、羌族を祖先に持つ可能性が示唆されており、アイデンティティが揺らいで煩悶する様子が描かれます。

三つ目はオリジナル・キャラ。

姚宇という、姜維と同世代の羌族の少年〜青年が、「敵なのか、友なのか」という、姜維の対になる重要キャラとして登場し、ルーツとアイデンティティに揺らぐ姜維に「お前はそれで良いのか」と命題を突きつける役割を負っています。

『朱のチーリン』2巻より(向井沙子/小学館)

今巻は第一次北伐の敗戦撤退の直後から、第三次北伐まで。

配下の武将となった姜維に、諸葛亮は羌族の取りまとめを期待するが…

「蜀=多民族国家」に着目し、重要なオリジナルキャラを配置してるだけあって、儒教・中華の歴史と絡めて、異民族間の軋轢の描写が非常に多いです。

割りと成り行きで状況に流され気味、「親を殺されたのでその仇をとる」というシンプルな行動原理の姜維の動機が、今巻で早くも崩壊? ちょっと迷子気味。

『朱のチーリン』2巻より(向井沙子/小学館)

親の仇のはずの姚宇が味方になり、また漢民族のアイデンティティである中華史と儒教に対する疑問もかず多く呈されます。

オリジナル・キャラの姚宇の方がキャラとしての動機・目的意識やゴールが明確に定まっていて今のところ、主人公っぽい。

逆にアレですね、姚宇はオリジナル・キャラな分、姜維やその他史上の人物と違って、生殺与奪が作者の匙加減次第なところもありますね。

諸葛亮を継いで生涯を北伐に捧げた謎多き姜維の、動機に絡んでくるんでしょうかというか、もう絡んでるというか。

『朱のチーリン』2巻より(向井沙子/小学館)

『三国志』ものの割りに戦争の描写は淡白で、司馬懿も孫権も未登場。

姜維の動機と身の振り方、その背景となる情勢の描写を中心に、ある意味『三国志』らしくなく、でも読ませるなあ、という。

 

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#IDOL×IDOL STORY! 6巻 評論(ネタバレ注意)

『NEW GAME!』の

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得能正太郎の新作は、アイドル・オーディション・リアリティショーもの。

デビューの座とアイドルの高みを目指して、仲間&ライバルとしてシノギを削る少女たち。

『IDOL×IDOL STORY!』6巻(得能正太郎/芳文社)

渚 美海(なぎさ みみ)、22歳。通称「ミミ助」。

かつてインディーズ・アイドルとして舞台に立っていたが、向上心が低いメンバーに『スラムダンク』の赤木のようにゲキを飛ばす勇気を出せず、グループはそのまま芽が出ないまま解散。

現在は就職活動を控えた大学生、趣味はドルオタ、推しアイドルはインディーズ・アイドル「シュガースマイル」の七種依吹。

七種 依吹(ななくさ いぶき)、高校生。

かつてインディーズ・アイドルだったミミに憧れ、自分も「シュガースマイル」の一員としてインディーズ・アイドルデビュー。

向上心が低いメンバーに『スラムダンク』の赤木のようにゲキを飛ばしたことでメンバーに嫌われ、追放同然に脱退。

『IDOL×IDOL STORY!』6巻(得能正太郎/芳文社)

そんな彼女たちの目の前で、メジャー資本による新アイドルグループのオーディションが開催されることに。

ミミ助と依吹は互いを励まし合いながらオーディションに挑戦するが…

という、『スラダン』のゴリのように夢と向上心を持ちながら『スラダン』のゴリ(1年生時)のようにメンバーに恵まれず、というかアイドル活動への温度感が合わずに挫折した二人の元アイドルによる、オーディション・サバイバル漫画。

『IDOL×IDOL STORY!』6巻(得能正太郎/芳文社)

『NEW GAME!』は4コマ漫画でしたが、今作は非4コマの…「通常漫画」って呼び方、変よね。「非定型コマ割り漫画」?

よくわからん。「ふつー形式の漫画」です。

彼女らが受けるオーディションは作中でTV番組化されリアリティ・ショー仕立て。

サバイバル・オーディション、要するに「人が死なないハンター試験」みたいなもんなんで、主催者の性格が悪ければ悪いほど面白くなりますね。

あと予想はしてましたが、16人の候補者全員の「アイドルを目指す理由」、バックグラウンドをそれぞれ深掘りしていくようです。

『IDOL×IDOL STORY!』6巻(得能正太郎/芳文社)

予選を通過し、巨大クルーズ船に隔離された16人のアイドル候補者たちを待っていたのは、一次審査・二次審査ごとに1名が脱落していくサバイバル・レースだった。

1名が脱落して迎えた2次評価は、ポイント上位の白組・下位の黒組に分かれて、同一曲・同時ステージのパフォーマンスを審査員と観客の判定で競い、先鋒・次鋒・中堅・副将・大将の5戦で争われるチーム戦。

ストーリーとしてはアイドルのオーディションをやってるだけの話ですが、ディティールや見せ方の、『NEW GAME!』の作者らしい泥臭さが白眉で、16人それぞれにバックボーンを背負わせつつ、優れた青春ものになっています。

「友情、努力、勝利、そして誰かの敗北」。

『IDOL×IDOL STORY!』6巻(得能正太郎/芳文社)

これ本当にここで誰か1人落とすのか? 最終5人しか残らないのか? もう16人グループでデビューすればよくね?

と、つい思ってしまいます。

作品序盤、自分は「主催者のアリアがだいぶ感じ悪いなあ」と思いながら読んでたんですが、前巻あたりからただの「解説役」に納まらない、だいぶ「師匠筋」らしいムーブやセリフ。

今巻に至っては、高みからリスペクトを込めて下界を見下ろす、

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「幽★遊★白書」18巻より(冨樫義博/集英社)

『幽白』の名シーン・名ゼリフの軀みたいでしたねw

今にしてみると、軀のセリフ、リアリティショー視聴者そのものみたいなセリフだなw

エモい以外にもちょっとした頭脳派ルールハック?もありつつ、テンポよく副将戦まで。

登場人物が多い分、それぞれドラマを抱えていて、「エモい」「これもエモい」「こいつもエモい」と、情緒の情報量がとても多いまま2次審査の終盤戦へ、

『IDOL×IDOL STORY!』6巻(得能正太郎/芳文社)

というところで次巻に続く。

 

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#スキップとローファー 11巻 評論(ネタバレ注意)

岩倉美津未(いわくら みつみ)、15歳(その後16歳)。

「石川県のはしっこ」、学年8人の中学から、東大法学部卒・中央省庁官僚を経て地元の市長となる大志を抱いて、叔父の住む東京の「高偏差値高校」に進学。

同級生8人の中学とはまったく違う大都会・東京の高校の人間関係、クラスメイトたちの「珍妙な田舎者」という視線が突き刺さる、予定に反してあまり順風満帆とは言えない高校デビュー・東京デビューと、思われた、が。

東京のクラスメイトたちは思ったより優しい良い人たちだった…

という学園青春もの。

「楽しい日々が始まったよ」

「きっと素敵な高校生活が待ってるよ」

と、まるで誰かを励ましているかのようで、タイムスリップして高校生活をもう一度過ごすのも悪くないなあ、なんて思ってしまいます。

『スキップとローファー』11巻より(高松美咲/講談社)

「若い・狭い・本人の苦悩はそこにはない」とは言え、これ「持たざる者」のつもりで他人に言葉をぶつけてる側の子も、健康に東京有数の進学校で学ぶ、相対的・世間的には「とても恵まれてるエリート」の側なんですよね…

「生きづらさは人それぞれ」

ならば、彼には恵まれて見える志摩くんだってそうだろうに、面と向かって「傲慢」て。

さて。

高校2年生、夏休みが終わり、今巻は中高生主人公の青春ラブコメ漫画の華、修学旅行編。

なんですけど、本作、恋愛要素はあれど「ラブコメ」ってほど恋愛要素が真ん中じゃねえしな、という。

『スキップとローファー』11巻より(高松美咲/講談社)

美津未たちの「一生に一度の高校の修学旅行」、そして夏休みの能登半島への帰省でも楽しむみんなの輪の中でどこかぎこちなかった志摩くんと、クラスのモテ女子・八坂にスポット。

演劇部の「フランケンシュタインの怪物」役に、手応えと、他人の評価に依らない満足を感じる志摩くん。

そんな志摩くんとミカのクラスは、修学旅行の班割りでの志摩くんを巡る、女子の政治的駆け引きでめんどくさいことになっていた。

一方、美津未のクラスでは、美津未は親友のメガネ女子・誠や馴染みのメガネ男子・氏家と同じ班だったものの、謎多きモテ女子・八坂ちえりも同じ班だった。

そこそこ面倒くさかったクラスのラブ相関図は、「ラブコメの華」修学旅行の舞台で美津未と関係あったり関係なかったり、様々に弾けてだいぶ面倒くさいことに…

という修学旅行巻。

アレですね、「モテ側の精神病理」みたいなw

『スキップとローファー』11巻より(高松美咲/講談社)

結月もモテますが、容姿と素でモテ過ぎて生きづらさになってる結月と違って、処世術のついでに容姿と合わせてモテてそんなに支障もない志摩くん、容姿と合わせてモテ目的でキャラ作ってモテてる八坂、の二人の「モテ側」の内面を覗く巻。

美津未への未練?でもやもやしっぱなしの志摩くんは、

「自分を偽らないと愛してもらえない」

「偽った自分を愛されても満たされない」

のやつなんかな。赤坂アカもライフワークのようにしつこく擦ってるテーマですね。

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八坂はなあ…

「自分もモテ側です」と言うつもりはないんですけど、ある意味、自分が一番感情移入できるの八坂なんですよね。そういう読者、実は多いんじゃないかな。

反面、二人ともあまりにも「自分中心で世界が回ってる」のが見え透いてしまっていて、クラスにいたら、ミカじゃないけどちょっと距離を置きたい、深く関わりたくない。

『スキップとローファー』11巻より(高松美咲/講談社)

『ハッピー・マニア』に限らず、恋愛・性愛で他人に求められる・チヤホヤされるのって、「恋は盲目」で欠点にも目を瞑って自分の良いところだけを見てくれて(冷めたら反動で欠点ばっか目につくんですが)、「親の無償の愛」と並ぶ究極の「他者からの承認」の一つですよね。

こっちはたとえ

「恋をしたい」「彼氏/彼女が欲しい」

と繋がってなくても、異性からチヤホヤされる・モテる・求められるのは、心の深いところで気持ちがいいし。脳汁出ますよね。

もちろん度が過ぎると、結月のように生きづらさになってしまうんですが。

志摩くんと八坂が、親に問題ありそうなのが、また…

『スキップとローファー』11巻より(高松美咲/講談社)

「青春の内面の葛藤の禅問答の答え、他人からしたら意味不明」問題。

高校生の美津未が全面的にそうだとは言いませんが、他人の評価より自分の軸を貫くって、大人になってもなかなかできねーですからね。

正直、読んでて、今巻で志摩くんが自覚したように、美津未に今の志摩くんがふさわしいとも、すぐくっついて二人が幸せになるとも思わないし、美津未については安定感や信頼があってあんまり先々を心配してないんですが、志摩くんと八坂については

「もうちょっと自分で自分を褒められる人間に、

 そのぶん他人に目を向けられる人間に成長して欲しい」

と願ってしまいます。

いったい何様のつもりなのかwww 自分も!自分もそうなれるようにがばります!

あと単純に「顔が良いキャラが好き」というのもあるんですけど。

さて。

『スキップとローファー』11巻より(高松美咲/講談社)

本作の主人公ヒロイン・美津未の出身地は石川県の架空の町「鈴市凧島町」、モデルは富山出身の作者の母方の実家がある石川県珠洲市。

ご存知のとおり大きな地震がありました。

ja.wikipedia.org

作者は前巻のあとがきで自身の過去のスピーチを引用して

人生が後悔と喪失との戦いのように思えた時、

そればかりではなかったと思わせてくれる友人のような

ただ寄り添える作品になれたら幸せ

と記していました。

「スキップとローファーと能登」と題したチャリティーサイトが先日開設されたようです。よろしければ是非。

skiloa.kodansha.co.jp

第1話、志摩くんはあんま変わらんけど、美津未の顔けっこー違うなw

 

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#ウマ娘 プリティーダービー #うまむすめし 5巻 評論(ネタバレ注意)

実在の競走馬を美少女擬人化した育成ソシャゲ『ウマ娘』の派生コミカライズ。

『ウマ娘 プリティーダービー うまむすめし』5巻より(浅草九十九/Cygames/小学館)

タイトルのとおり「ウマ娘×ごはん(グルメ)」の日常もの。単話ごとにエピソード主人公が替わっていくオムニバス形式。

愛すべきキャラたちのほのぼの可愛らしい日常が垣間見える、まあ公式(商業)二次創作。

「グルメもの」と「学園もの」は人気作品の公式スピンオフの定番です。

美味しそうな食事と、それを美味しそうに食べる人、というのはなにかこう、心が癒されるものがありますね。

『ウマ娘 プリティーダービー うまむすめし』5巻より(浅草九十九/Cygames/小学館)

『ウマ娘』ファン以外から見たら毒にも薬にもならないような他愛のない漫画なんですけど、毒にも薬にもならないような他愛のない『ウマ娘』の漫画をお金を払って読んで癒されたい読者というのは居て、例えば私です。

大事に預かったウマ娘たちを丁寧に、とてもキュートに活き活きと描かれる漫画家さん。

「一読者としてウマ娘のファンアイテムの公式グルメスピンオフに求めること」

は、ぶっちゃけ

・ウマ娘たちを可愛く描くこと

・(世界観やキャラ属性を壊すような)余計なことをしないこと

で、そういう意味でこのコミカライズは、深いキャラ理解が支えるクオリティの高い画面、超当たり作画。

『ウマ娘 プリティーダービー うまむすめし』5巻より(浅草九十九/Cygames/小学館)

ハイレベルでプロフェッショナルな「普通」。

大阪でのレースを終えたアストンマーチャンとウォッカは、連れ立って大阪の街に名物を食べにいく。「肉吸い」。

ライバルの成長に気は焦りつつもクラス委員長のナリタトップロードに、アドマイヤベガが差し入れ。「お弁当」。

応援上映鑑賞の予定を友人にドタキャンされたジャングルポケットは映画館でフジキセキと遭遇。「ポップコーン」。

『ウマ娘 プリティーダービー うまむすめし』5巻より(浅草九十九/Cygames/小学館)

ヴェニュスパークの自宅に、料理を教えにモンジューが訪問。「フランス式ポトフ」。

雨で自主トレの予定が流れた、寮で同室のサトノクラウンとドゥラメンテは昼食を自分たちで用意することに。「冷やし中華」。

ダンツフレームは苦手なプールでの訓練でヘロヘロのヒシミラクルを「頑張った自分へのご褒美」に誘う。「お好み焼き」。

売店で大量の鯛焼きをもらってしまったダイイチルビーはミスターシービーと一緒に学園中に配って回ることに。「たい焼き」。

トーセンジョーダンが風呂上がりに部屋に戻ると同室のウィニングチケットがなんか絶叫・号泣・悶絶していた。「ぶどう」。

『ウマ娘 プリティーダービー うまむすめし』5巻より(浅草九十九/Cygames/小学館)

テイエムオペラオーが風呂に浮かべる用の薔薇の花束を買った帰り道、ケーキ屋の前でハルウララが呼び込みをしていた。「オペラケーキ」。

トレーニング後、お腹が空いたサクラローレルにサクラローレルがおすすめ料理を振る舞う。「さくら印のウマ水餃子サラダ」。

スペシャルウィークが遭遇した「歩くダンボールの山」の正体はダイスシャワーだった。「学園の畑で獲れたお野菜さんのポトフ」。

『ウマ娘 プリティーダービー うまむすめし』5巻より(浅草九十九/Cygames/小学館)

そういえば最近お好み焼き食べてないな、というのと、肉吸い食べたくなりました。

 

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#ウマ娘 シンデレラグレイ 17巻 評論(ネタバレ注意)

実在の競走馬を美少女擬人化した育成ソシャゲ『ウマ娘』の派生コミカライズ、「プリティダービー」がつかない『ウマ娘』。

日本の競馬史に残る名馬・オグリキャップの現役時代をモチーフにしたスピンオフ。

『ウマ娘 シンデレラグレイ』17巻より(久住太陽/杉浦理史/伊藤隼之介/Cygames/集英社)

1〜2巻で地方レース(カサマツ)編が終わり、3巻から中央に移籍。

ウマ娘世界観でいう「中央トレセン学園」に編入し、並み居る名バ達と本格的にシノギを削る展開に。

モチーフとなった史実が日本競馬史上最大級のシンデレラストーリーにして、トウカイテイオーと並ぶ日本競馬史上最大級の復活劇というドラマで、かつ現役時代を通じて魅力的なライバルにも恵まれていた馬のお話なので、更にifを加えた作話の骨組みの時点で優勝です。ありがとうございました。

『ウマ娘 シンデレラグレイ』17巻より(久住太陽/杉浦理史/伊藤隼之介/Cygames/集英社)

タマモクロスが去ったターフで新たなライバルたちとの激闘が開幕、題して「第三章 永世三強」編。

ja.wikipedia.org

dic.pixiv.net

前巻でその「永世三強」編、終了。

今巻から新章、題して

『ウマ娘 シンデレラグレイ』17巻より(久住太陽/杉浦理史/伊藤隼之介/Cygames/集英社)

普通に考えれば「最終章」でもおかしくないタイミングにタイトルですが、あえて「第四章」、どうでしょうか。

史実になぞらえれば残り5戦、残り1年、残すはラストイヤー。

遅くても2026年、早ければ2025年には完結してしまうんではないかな。

モデルとなったサラブレッドの現役引退、死去に続いて、オグリキャップとの三度目のお別れの時間が刻々と近づいています。

『ウマ娘 シンデレラグレイ』17巻より(久住太陽/杉浦理史/伊藤隼之介/Cygames/集英社)

ラストイヤー、第1戦はマイル戦G1、ヤエノムテキやバンブーメモリーなどの名うての名マイラーたちがてぐすね引いて待ち構える安田記念。

今巻のトピックはなんといっても、北原がようやく再登場、オグリと相思相愛で念願の再タッグ。

待つの長かったなあ、オイ。

オグリがすごい嬉しそうで可愛いね。

『ウマ娘 シンデレラグレイ』17巻より(久住太陽/杉浦理史/伊藤隼之介/Cygames/集英社)

ちなみに現実での方では、初めて鞍上に武豊を迎えてのレースだったとのことです。

刮目しましょう。

 

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#【推しの子】 16巻 【完】 評論(ネタバレ注意)

読者の

「【推し】を幸せにしてくれなかった作家を恨む気持ち」

は、物語の美しさを読者に納得させられなかった作家の力量不足の産物でしょうか。

それとも、物語を差し置いて【推し】の幸せだけを最優先でピンポイントに願う読者のエゴでしょうか。

「【推しの子】」5巻より(赤坂アカ/横槍メンゴ/集英社)

地方の病院に務めるアイドルオタな産婦人科医師・ゴローのもとに、双子を妊娠したお腹を抱えて訪れた少女は、彼が熱狂するアイドル・アイ(16)だった。

驚きショックを受けたゴローだったが、身近に接するアイの人柄に魅了され、彼女の出産を全力でサポートしようと決意する。

『【推しの子】』1巻より(赤坂アカ/横槍メンゴ/集英社)

だが出産予定日の当日、ゴローはアイのストーカーに殺害される。

そして驚くべきことに、ゴローはアイが出産した男女の双子のうち一人として転生する…

 

『かぐや様』の赤坂アカの作話を『クズの本懐』等の横槍メンゴが作画、という期待作。

要約すると二周目人生は伝説のアイドルの双子の子どもだった転生チートな芸能界サクセスストーリー、サスペンス・ミステリー付き、復讐劇。

サスペンスでミステリーな復讐劇の縦軸はありつつも、横軸は主人公の2人が芸能界の様々な仕事を渡り歩いて、作者が見知った芸能仕事の裏側の機微を描写していく建て付けに。

アイドル編、リアリティショー編、2.5次元舞台編、バラエティ編、スキャンダル編、映画編、そして最終章。

作品を彩った様々な枝・葉・花、エンタメ要素・人間関係も少しずつ決着がついていき、作品全体の幹、縦軸たる復讐劇に収斂。

 

「許すか、許さないか」、カミキヒカルが受ける「報い」の形。

「死ぬか、生き残るか」、うまく想像がつかない、10年後、20年後のアクア。

「くっつくか、くっつかないか」、恋愛絡みはアクアを中心にした四角関係。

ルビーの夢、あかねの献身、かなの純愛。

【推し】が吐く嘘、【推し】が与えてくれる力。

【推す】という生き方、「アイドル」という生き方。

アイの真の願い。

 

前巻、15巻の感想にこう書きました。

正直、アクアとカミキが刺し違えて両方とも死ぬことが、哀しく美しく「すっきり」するとは思いますが、バッドエンドは既に1巻でやっていて、それを繰り返すことにどんな意味があるのか、という気がします。

なにより、「死んで清算した方が良い」というほど、アクアの手はまだ汚れていない。

緻密に丁寧に拡げた風呂敷の、畳み方が少し雑な作家なのではないか、と少し疑っています。

『推しの子』のせいで、大好きだった『かぐや様は告らせたい』の終盤が雑になったのではないか、

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と、正直この作品を恨む気持ちも少し在ります。

 

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今巻で完結。

『【推しの子】』15巻より(赤坂アカ/横槍メンゴ/集英社)

 

 

赤坂アカ代表作のキャラ造形の共通点

フィクション、特に漫画の主人公の少年・少女の環境が「親の不在」であることは珍しくありません。

未成年の主人公においては、生活や進路、行動の自由の裁量権が広く与えられ、キャラが動きやすく話が動きやすくなる、「物語に対する設定の合理性」です。

異性と同居してラッキースケベが起こったり、自宅にたむろしてモラトリアム空間を作ったり、悪と戦って世界を救ったり、善と戦って世界を滅ぼそうとしたり。

自分は

「フィクションにおいて、子どもと両親が揃って同居する家庭で成人まで養育される割合と、そうでない割合」

「現実において、子どもと両親が揃って同居する家庭で成人まで養育される割合と、そうでない割合」

を調査・検証したことがないので、フィクションに限った話なのか、現実と相関しているのか、わかりません。誰か調べて。

『【推しの子】』1巻より(赤坂アカ/横槍メンゴ/集英社)

(みやこさん、きれいだな)

Wikipediaによると現時点での赤坂アカの著作は以下の5作、

・『さよならピアノソナタ』全3巻 ※作画担当

・『ib インスタントバレット』全5巻

・『かぐや様は告らせたい〜天才たちの恋愛頭脳戦〜』全28巻

・『【推しの子】』全16巻 ※原作担当

・『恋愛代行』全4巻 ※原作担当

そのうち「大ヒット」と呼べる作品は

・『かぐや様は告らせたい〜天才たちの恋愛頭脳戦〜』

・『【推しの子】』

の2作ですが、この2作の主人公(級のキャラ)たちを並べてみると、ある点で共通しています。

『かぐや様は告らせたい〜天才たちの恋愛頭脳戦〜』

・母親に置いていかれた白銀御行

・幼児期に母親と死別した四宮かぐや

 

『【推しの子】』

・誕生時に母親と死別したゴロー

『【推しの子】』12巻より(赤坂アカ/横槍メンゴ/集英社)

・収監された母親が釈放されても施設に迎えに来ず、そのまま施設で育って二度と会わなかったアイ

・母親に見捨てられたさりな

『【推しの子】』12巻より(赤坂アカ/横槍メンゴ/集英社)

・幼少期に母親を殺害されたアクア

・幼少期に母親を殺害されたルビー

赤坂アカの代表2作の主人公たちは全員共通して「母親の喪失」が人格形成や人生に強い影響を与えています。

ちなみに父親はハナから不在で何の期待もされてないか、「敵」として認識されてるケースが多いです。貧しいながら同居して父として子どもたちと苦労を共にした白銀パパは、数少ない例外でした。

前述のとおり、フィクションの主人公たちには「親の不在」になりがちな「物語に対する設定の合理性」は在るにせよ、7人中7人が10代以前で「母親の喪失」を経験しているのは、「ワンパターン」や「ステレオタイプ」を通り越して偏執的にすら感じ、

『【推しの子】』7巻より(赤坂アカ/横槍メンゴ/集英社)

現時点での赤坂アカの作家性の一つと呼んでいいのかもしれません。

「家族の喪失」「家族の崩壊」「家族の解体」「家族の再生」をテーマにしたフィクション作品は枚挙にイトマがないのは確かです。

赤坂アカにとっての「父親の不在」と「母親を喪った子どもたち」は、現代的なテーマとして社会から感じ取っているものなのか、キャラの動機づけにおける必須条件なのか、キャラを自由に動かしたい故のただの手癖なのか。

『恋愛代行』4巻より(赤坂アカ×西沢5ミリ/集英社)

『恋愛代行』4巻より(赤坂アカ×西沢5ミリ/集英社)

『ib -インスタントバレット-』1巻より(赤坂アカ/KADOKAWA)

『ib -インスタントバレット-』1巻より(赤坂アカ/KADOKAWA)

『ib -インスタントバレット-』2巻より(赤坂アカ/KADOKAWA)

『ib -インスタントバレット-』2巻より(赤坂アカ/KADOKAWA)

『ib -インスタントバレット-』3巻より(赤坂アカ/KADOKAWA)

『ib -インスタントバレット-』5巻より(赤坂アカ/KADOKAWA)

「作家性」というより「業」だろこれ。

『【推しの子】』は外形的には、血統上の父親と母親と息子と娘の4人の血族の、「父による母殺し」「父による子殺し」「子による父殺し」によって3人までが命を落とす、まるでギリシャ神話のような凄惨な物語に、結果的になりました。

 

結末の賛否

連載時、この作品の結末は割りと賛否両論でした。

b.hatena.ne.jp

b.hatena.ne.jp

作者のやりたかったことと、ファンの期待の、すれ違いに起因するものでしょうか。

作者とアクアのゴールはルビーの救済でしたが、私を含む欲張りな読者が望んだゴールは、結局のところアクア自身の生命と将来も含めた救済だったように思います。

「ラブコメの名手」赤坂アカが生み出すキャラの持ち味は今のところ「青春ラブコメ漫画」適性が高く、反面、バッドエンドが似つかわしくありません。

「青春ラブコメ漫画」用の彼ら彼女らを使った「王道シリアスの復讐劇の悲劇性」、その「向いてなさ」のギャップは、連載企画段階から狙ったものだっただろうと思いますし、結末の賛否両論も、作者からしたら、ある程度までは織り込み済みだったんでしょう。

『【推しの子】』16巻より(赤坂アカ/横槍メンゴ/集英社)

結果、キャラクターたちの恋を語り夢を語る「青春ラブコメ」として期待を高めたファンには、ラブコメ伏線を無視して放り投げた結末のように見えてしまいました。

「和食の達人が、高級・極上の和の食材を使って、カレーを作った」みたいなものです。

「数々の極上の和の素材の味を活かしたどんな料理が出てくるのだろう」

と思って食材を試食・つまみ食いしながら待ってたら、出てきたのはカレーライスで、カレーの味しかしなかった…

でも、1巻の読者の復讐心をも煽る展開で

「この作品はカレーです」

と、お品書きの時点で明示されてはいました。

あんまりいい喩えじゃないな。

作者からしたら

「1巻で『これは復讐劇だよ』って提示したじゃん!

 全員が幸せになれるわけなかったじゃん!」

という気分が多かれ少なかれ…ないか。

たぶん作者はギャップで読者をより悲しませるために、わざとやりました。

あとアクアの「再・転生」は、やるとキリがなくなるというか、別の意味を持って『火の鳥』方面に行っちゃいますしね。

 

「(前作に続いて)終盤、駆け足で雑だった」

という第一印象は私にもありました。

単行本のページ数調整でなければ、本当に作品に対する興味がネームにダイレクトに表れる原作者なのではないか、ラストまでのプロットができた時点で原作者の中では既に終わった作品で、ネームにする段階で既に作品に飽きていて、丁寧にネームに起こすモチベが湧かないのじゃないか。

ただ、エピローグをモノローグのダイジェストで締めたことでテンポはよくなりました。エピローグをじっくりやったら、冗長で蛇足感が強くなる、との判断だったのかもしれません。

あと、省略の美、

「あえてすべてを描かないことで、作品世界の奥行き(読者の想像の余地)を持たせる」

をやりたいのに、読者にあまり伝わらず、結果的に

「連載しながら、膨らまなさそうに感じた伏線やキャラを捨てて(もしくは忘れて)いく作家」

と、私を含めた読者に誤解されているんじゃないだろうか、という気もします。

ちょっと話がズレますが、アクアとルビーの「アイの遺児」の「正体バレ」は広く世間に知られることとなりましたが、転生の「正体バレ」については、すべてを知っていたツクヨミを除くと、結局ルビーとアクアのお互いしか知ることがなかったですね。

二人とも芸能界に知り合いいなかったから「それは誰」って感じになるし、唯一生前のゴローと面識のあった社長とか、アクアがゴローの生まれ変わりだと知ったらさぞビックリしただろうけど、社長がビックリしても物語に何の影響もないしな…

「神の使い」を自称した赤子たちの母親役を務めたみやこさん、

『【推しの子】』1巻より(赤坂アカ/横槍メンゴ/集英社)

(みやこさん可愛いな)アクアの理解者で思考的分身だったあかね、縁が深く「知る権利」があったかもしれない彼女たちだったら一体どんな反応をしたか、「正体バレ」されるエモいシーンを夢想してしまいますが、エモいだけでそれによって誰かの行動や結果が変わるわけでもなく、物語的にはあまり意味がないのは、社長と一緒です。

「私の期待」がズレてた一例です。

 

復讐劇

「復讐劇」はハードボイルド・エンタメの定番かつ強力なフォーマットで、近年は「ヒロイン(や子ども)守護」とセットで運用されることが多いです。

主人公の動機づけが理解されやすく、また主人公側の正義感をなんとなく満たしつつも、主人公側の暴力や策謀、要は殺人が感情面でなんとなく肯定されるからです。

・家族を殺され復讐を誓う美しい少女

・彼女の復讐を叶え、また彼女の未来を守るために、戦い、手を汚す男

・男と殺人者は相討ちで倒れるが復讐は果たされ、男の死に傷つき悲しむものの、彼女の未来は守られた

哀しく美しい、陳腐なほど使い古された平凡でオーソドックスな王道で、有名どころでわかりやすいのは映画『レオン』です。

殺された家族(アイ)も少女ヒロインで母だったとか、レオンは復讐代行だったけどアクアは自身も強い復讐心を抱えていたとか、細部の違いこそありますが、『【推しの子】』もこの「復讐劇」のバリエーションです。

なのでフォーマットの美しさに沿って「事後諸葛亮」するなら、アクアは最初から、クライマックスに悪役と相討ちで死ぬしかありませんでした。

雑に言えば、フィクションの復讐劇がもてはやされる理由は、

「現実の大抵の人間は復讐なんかできない」

からで、その理由は

『【推しの子】』13巻より(赤坂アカ/横槍メンゴ/集英社)

『【推しの子】』15巻より(赤坂アカ/横槍メンゴ/集英社)

「本人が幸福にはなれない」

からです。

現代社会の大ヒット商業作品で

「憎き復讐相手を殺して、平和に幸せに暮らしました、めでたしめでたし。」

が許されるのは、我々一般人とは倫理観が異なる職業犯罪者(殺し屋とか)の場合か、現代とは倫理観が異なる時代劇・むかし話・おとぎ話か、復讐相手が人類に仇なす人外の場合だけです。

aqm.hatenablog.jp

『桃太郎』とか『鬼滅の刃』みたいな。

『【推しの子】』16巻より(赤坂アカ/横槍メンゴ/集英社)

特に現代劇で許される選択肢は狭く、カミキヒカルは死の報いを受けるしかなく、アクアがカミキを殺す罪は相討ちで自分も死ぬことでしか許されず、アクアが死ぬのでヒロイン達との恋愛の三角〜四角関係も消えてなくなるしかありませんでした。

「改心したカミキと和解して念願叶って外科医になって、

 近親相姦含むヒロイン三股ハーレムエンドでめでたしめでたし!」

には、どう転んでも、なりません。

「レオンが生き残ってマチルダとくっつくハッピーエンド」

では損なわれてしまう、「許さず、生き残れず(許されず)、くっつかない」悲劇の哀しい美しさ、「復讐劇」は強力なフォーマットです。

付いて回る

「復讐を果たした」=「人を殺した」主人公は幸せになっていいのか

という問いの抜け道は「ヒロインを救う過程で悪役が自滅して死んだ」パターンですが、

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『カリオストロの城』はヒロインとの生別エンド、

『ゴースト〜ニューヨークの幻〜』は主人公の●●エンドで、男とヒロインは、いずれにせよお別れしました。

 

人間関係・恋愛の面でも「かな」「あかね」「ルビー」「三股ハーレム」のどれを選んでもメタに角が立つ選択肢を抱えたアクアが生き残るのは難しく、「寝逃げでリセット」ならぬ「死に逃げでリセット」されました。

復讐劇の悲劇性(主人公の死)は「青春ラブコメ四角関係」をもぶっ壊すパルプンテです。メガンテかな。

いや、因果が逆ですね。

「死ぬことになっている主人公」を中心に四角関係が組まれました。

かなもあかねも、「横軸」である各章エピソードの主役や恋愛ラブコメ要素のヒロインとしては強力なエピソードを持つ強力なキャラでしたが、「縦軸」たる復讐劇においては本筋に絡めない、超豪華なだけの「オプション」でした。

あかねは「アクアの思考面での分身」「壁打ち相手」「モノローグ担当」で、かなは復讐劇の蚊帳の外で、二人の最後の役割はアクアの死による空隙を映す鑑です。

『【推しの子】』16巻より(赤坂アカ/横槍メンゴ/集英社)

でも、情緒の深い名シーンだな…

どんなに極上で高級な食材もカレーに入れたらカレー味になるように、ラブコメ逸材キャラのかなもあかねもルビーもアクアも、復讐劇に入れたら最後は復讐劇の悲劇の味と、少しの希望の隠し味しかしなくなりました。

だからといってカレーはいつも美味しいし、復讐劇フォーマットは何度でも哀しく美しく、一方青春ラブコメ要素として彼女たちが魅力的でなかったことにもなりませんが。

スピンオフで『推しの子学園』とか『推しの子メシ』とか『推しの子4コマ劇場』とかさ…

大団円だった『鬼滅』とは違うから、公式がやるのは、ちょっとなんか違うか。

誰か同人誌…

いいね!

 

赤坂アカの【推し】解釈

【推し】の概念は歴史が浅く、その分「萌え」と同様に時間経過とともに意味が追加され変容してきていて、人によって解釈がブレます。

性欲を伴うのか 異性にせよ同性にせよ「性愛」の対象となり得るのか

子どもでおそらくヘテロセクシャルだった さりな が同性のアイドルであるアイに向けた【推し】の感情は憧れが主成分で、性愛の自覚はおそらくなかったでしょう。

だからといって

「アイドルを推すすべてのファンの【推し】感情は、性欲から解脱したプラトニックで純粋なものだ」

と言ったら、それは嘘です。

『【推しの子】』1巻より(赤坂アカ/横槍メンゴ/集英社)

よね?

どうでもいいけど、赤坂アカ作品の看護師の女性キャラは、みんないい味出しますねw

人によって定義がブレる【推し】の解釈ですが、この作品においては原作者・赤坂アカの【推し】解釈についてだけ考えればよく、シンプルです。

赤坂アカが【推し】の概念に着目したのはおそらく2019年頃、それが表出したのが、2020年4月30日の『推しの子』連載開始ですが、当時連載中だった『かぐや様』にも表出します。

皆さんが嫌いだった、大仏こばちを巡る禅問答。

『かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~』24巻より(赤坂アカ/集英社)

かぐやが【推し】の概念を語る、これは24巻のシーンですが、その源流は20巻。

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『かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~』20巻より(赤坂アカ/集英社)

『かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~』20巻より(赤坂アカ/集英社)

 

エピソード名は「第192話 大仏こばちは見つめてる」、

www.google.com

感想ブログ等を見るに、連載においては2020年6月18日前後に発表されたエピソードで、『【推しの子】』連載開始の1ヶ月半後のことです。

 

この頃の『かぐや様』は、軸であり恋愛成就が既定路線である「白銀×かぐや」以外に、男女の友情とも未満恋愛ともつかぬ中途半端な、それでいて見ていてニヤニヤしてしまうカップリングに溢れていました。

「白銀×藤原」「白銀×早坂」「白銀×マキちゃん」「白銀×ミコちゃん」、

「石上×ミコちゃん」「石上×つばめ」「石上×かぐや」「石上×藤原」「石上×大仏」「石上×マキちゃん」「石上×かれん(※スピンオフ)」

軽妙でいて、一見なにかの拍子に「あやまち」を持ってしまいそうでいて、でも頑なにプラトニックな、「人間同士」としての「尊い」好意・尊敬・愛情・友情。

古き良き「友達以上、恋人未満」のリサイクル。

私はこうした人間関係の描写が大好きでしたし、おそらく多くの読者もそうだったと思いますし、赤坂アカもそれを自覚していました。

「友達以上、恋人未満」、「男女の友情」、「姉(妹)的存在」、「兄(弟)的存在」、

いろんな形で表現されてきたこの「恋ではない、名前のない関係」の一つの派生系に、赤坂アカは流行していた【推し】というラベルを貼りました。

『かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~』24巻より(赤坂アカ/集英社)

繰り返し語られる、

「恋だけが『好き』じゃない」。

言語化して箇条書きするなら、赤坂アカの【推し】概念は

・相手の活躍と幸福と祈る、恋愛に劣らず深い愛情

・必ずしも「恋愛成就」しなくてよい感情

・(友人・知人の場合)触ろうと思えば触れるかもしれないけど、必ずしも触らなくてもよい関係

現にアクアのかなに対する愛情は深いものでしたが、

『【推しの子】』9巻より(赤坂アカ/横槍メンゴ/集英社)

自身のかなへの恋愛感情が成就することを諦めたものでした。

MEMちょは良い「お姉さんキャラ」だったね。

そのアクアに対する、かなの言葉です。

『【推しの子】』11巻より(赤坂アカ/横槍メンゴ/集英社)

『【推しの子】』4巻より(赤坂アカ/横槍メンゴ/集英社)

【推し】でもいいのか!

言ったかな本人に、

・相手の活躍と幸福と祈る、恋愛に劣らず深い愛情

・必ずしも「恋愛成就」しなくてよい感情

・触ろうと思えば触れるかもしれないけど、触らなくてもよい関係

のつもりはなくても、おそらく言わせた赤坂アカは4巻の時点で既に、この「両想い」を成就させるつもりはありませんでした。

 

なお、『かぐや様』で軽妙に描かれ好評だった多くの男女間の「名前のない関係」の、延長線上にあったはずの、大仏こばちの石上に向けた【推し】感情は、重く、暗く、面倒くさく、多くの読者に不評でした。

大仏、『かぐや様』における豊穣な男女の友情?関係の象徴として自分も嫌いではないんですけど、自身は手を離した他人同士の恋愛をコントロールしようとする、「押しつけがましさ」ならぬ「推しつけがましさ」を感じてはいました。

『【推しの子】』6巻より(赤坂アカ/横槍メンゴ/集英社)

この「推しつけがましさ」のメタな狂気を『【推しの子】』で引き継いで体現していた一人があかねです。

 

カミキヒカル

『鬼滅』の無惨様を参考にしたかのような、その思想や哲学、心情を理解する気、興味をなくさせる悪役。

獄中に居てすら他人を操ってルビーを殺しそうな「法で捌けない、止められない」タイプの悪役で、死なせるしかなかったと思いますが、「偶像を殺す狂信者」という役付けも割りとステレオタイプ、能力はともかく「キャラの格」として小物でした。

ルビーを守るためとは言え、アクア、これと相討ちか…

 

アクア

「嘘」がテーマの作品の中で、行動で、セリフで、モノローグで、少なくとも読者に対しては本音がダダ漏れだった主人公。

『【推しの子】』16巻より(赤坂アカ/横槍メンゴ/集英社)

あかん、みやこさん見てたらマザコンになるわ。

「『三角関係〜ハーレム』ラブコメの男主人公」

として考えると、「ウルトラ鈍感」か「三股クズ」か「(それぞれの読者の)推しヒロインを選ばなかったバカ」として、いずれにせよ読者好感度がとても低いことになりがちなポジションながら、

・動機(復讐感情)への読者の共感度が高かった

・各ヒロインに対して状況が許す限り誠実で「あろう」とし、冷徹ぶってる割りにその本音がダダ漏れだった

・最後に死んだ

でなんか許されました。その代わり死んだ。

ポンコツ要素で好感度を稼ぐ赤坂アカ作品の主人公としては、例外的なぐらいポンコツ要素がない主人公に見えて、その「ハードボイルドな復讐劇への向いてなさ」が隠れた最大のポンコツ要素でした。

前述のとおり、ルビーもあかねもかなも、「縦軸」の復讐劇での役割は薄くても、横軸のエピソード群での活躍や、キャラが背負っている生い立ちを含めて「青春ラブコメ漫画」のヒロインとして魅力的でした。

「好きな男に死なれて泣く女」になって欲しくなかった。

アクアがかなに誓わされた「もう死ぬなんて言わない」という約束は、それすら作品を象徴する「嘘」というキーワードにオシャレに回収されましたが、

『【推しの子】』16巻より(赤坂アカ/横槍メンゴ/集英社)

正直そんなオシャレさ、見たくなかった。

エピローグをモノローグでまとめた影響で、かなの最後の肉声になってしまったシーン、横槍メンゴの入魂の作画もあって悲痛すぎた。

アクアはいけ好かないスカしたやれやれ系イケメンで、設定上「転生したらイケメン芸能人になれて美少女JKアイドルや女優にモテモテ」という「アホが考えたなろう系」の主人公みたいでしたけど、長い間本当によく頑張って、復讐劇の「具」にするには、思ってたより思い入れが生まれてしまいました。

幸せになってほしかった。

『【推しの子】』16巻より(赤坂アカ/横槍メンゴ/集英社)

「死が理不尽に奪った【推し】とその可能性に対する喪失感や悲しみや怒り」

という、アクアがずっと抱いていたのと似た痛みを読者の心理に狙って再現して、『【推しの子】』の形をした爪痕を残したかったのかもしれませんし、もしそうだとしたら、そういう意味でカミキヒカルも原作者のペルソナの一つなのかな。

「向いてなさ」が面白い効果を生むだろう、と狙ったギャップだったとは言え、アクア(と彼を取り巻く彼女たち)への読者と自分自身の【推し】感情が予定を超えてこんなに強くなったことは、もしかしたら赤坂アカが「ポイント・オブ・ノーリターン」を過ぎた後で気づいた計算違いだったかもしれません。

『【推しの子】』13巻より(赤坂アカ/横槍メンゴ/集英社)

憎い仇が未だ生存していることにアクアが気づいて以降、

「これで正しいのか」

「向いてなかった」

「もう引き返せない」

的な、作者自身の逡巡や懊悩ともとれるセリフやモノローグが目立ちました。

『【推しの子】』10巻より(赤坂アカ/横槍メンゴ/集英社)

俯瞰で見ると、

「秘めた愛と美学と孤独に殉じて、生きるか死ぬか。で女振り回して女泣かす」

という、自分勝手すぎて周りの女たちにはハタ迷惑な、現代においては時代錯誤的ですらある王道ハードボイルド。

ハードボイルドを普遍的に象徴する名曲、『ルパン三世のテーマ`78(ヴォーカル版)』の歌詞にこんな一節がありますが、

淋しく問いかける愛(アイ)の在りか

男には自分の世界がある

たとえるなら空をかけるひとすじの流れ星

ルパン三世のテーマ

ルパン三世のテーマ

  • 松崎しげる
  • アニメ
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

松崎しげる、歌上手ぇな(当たり前 

奇しくも「星」が象徴するこの作品で、アクアは「ひとすじの流れ星」になってしまった。

『【推しの子】』16巻より(赤坂アカ/横槍メンゴ/集英社)

 

ルビー

バッドエンドは既に1巻でやっていて、それを繰り返すことにどんな意味があるのか、という気がします。

意味はありました。

『【推しの子】』16巻より(赤坂アカ/横槍メンゴ/集英社)

ゴロー/アクアは 一度目の死に際してさりなもアイも救えませんでしたが、二度目の死によって彼女たちの因子を継ぐルビーを救い、東京ドームに送り届けることができました。

復讐劇という「大きな物語」に対するルビーの寄与度は実は低く、ルビーがいなくてもアクアの復讐劇自体は回りました。

アクアの活動に復讐以外の「ヒロインの守護」の意味と動機を、作品に「最終回の後に残された光」としての意味を与えるために、結末からの逆算で用意されたキャラだったと思います。

かなと同じく【推し】として最初から最終的にアクアとくっつける気が皆無なら、兄妹設定にもイチャラブ描写にも、何の支障もありません。

アクアに比べてキャラが動けなかった、かなやあかねに比べて動けなかった、というよりは、

『【推しの子】』13巻より(赤坂アカ/横槍メンゴ/集英社)

「正体バレ回」と「最終回(エピローグ)」という動かし難い「クソでかクライマックス」のための最重要キャラで、そのためにパラドックスを恐れるタイムトラベラーのように行動の自由の幅が制約された、フィクションに付いて回る

「メインヒロインの不自由」

「(幸福な結末を周囲に強制される)箱入り娘の不自由」

そんな役割だったように思います。

でも前世のダシが効いた、インモラルな恋愛の障害を抱えた妹キャラで、それでいて天真爛漫で、可愛かったなー。

 

アイドルという生き方

「だからアイドルなんかやめとけ」

「誰かを推すなんてやめとけ」

ではなく、奇を衒わずに

『【推しの子】』16巻より(赤坂アカ/横槍メンゴ/集英社)

「嘘が創る夢で誰かを照らす光」

というストレートでシンプルな結論でした。

自分はアイドルという仕事にそこまで思い入れはないので、「漫画家みたいなお仕事だな」と思いました。

 

アイ

「安い」という消費者の夢のために「閉店セール」という嘘が吐かれ続けるように、サラリーマンだって政治家だって自分の仕事について嘘を吐きます。

漫画家もきっと多かれ少なかれ、作品で、あとがきで、インタビューで、動画で、読者を傷つけないための、失望させないための、期待に応えるための、夢を見せるための、嘘を吐くのでしょう。

なので自分は『かぐや様』以降の赤坂アカのインタビューの類を一切読みません。

アイの人物像は、1巻以外はほとんどアクア、ルビー、あかね、カントク、社長、鏑木P、母親、カミキの主観フィルターを通した回想、「アイ解釈」として描かれ、特に多くの大人に笑顔で嘘を吐き通したアイが、実態としてどんな人間だったかは少しわかりにくいです。

最終巻のアイの独白も「カミキヒカルについて」に向いていて、アイ自身についても、アクアとルビーたちについてすらも、ほとんど語っていません。

だいたい人間、本人が自分について語っていてすら、それが正しい像を結んでいるとは限りません。

アイは漫画のキャラなので

「原作者が彼女をどう表現したかったか」

は本人に訊けばわかるかもしれませんが、前述のとおりたぶん嘘吐かれるし、そもそも「作品読め」って話だし、会って訊く機会もありません。

我々にできるのは、せいぜい「赤坂アカが嘘を吐きにくかったであろう場」を振り返ることぐらいです。

『かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~』14巻より(赤坂アカ/集英社)

『恋愛代行』1巻より(赤坂アカ×西沢5ミリ/集英社)

『かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~』15巻より(赤坂アカ/集英社)

『かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~』15巻より(赤坂アカ/集英社)

『【推しの子】』13巻より(赤坂アカ/横槍メンゴ/集英社)

『ib -インスタントバレット-』5巻より(赤坂アカ/KADOKAWA)

『ib -インスタントバレット-』5巻より(赤坂アカ/KADOKAWA)

『ib -インスタントバレット-』5巻より(赤坂アカ/KADOKAWA)

『【推しの子】』14巻より(赤坂アカ/横槍メンゴ/集英社)

『恋愛代行』4巻より(赤坂アカ×西沢5ミリ/集英社)

『ib -インスタントバレット-』5巻より(赤坂アカ/KADOKAWA)

アイに限らず赤坂アカが主人公に背負わせる作家性や業というのは、言葉にすれば

「心の穴を埋める愛情への希求と、

 偽らなければ自分にすら愛されない自分、

 偽らなければ愛してくれない世界の理不尽に対する怒り、

 それらがもたらす苦しみ」

で通底しています。

昔めたくそイジり倒してましたけど、「隠して偽って演じて騙して」の「嘘」の向こう側にあって欲しい、

『かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~』7巻より(赤坂アカ/集英社)

「本物の愛!」の話をずっとしてんですよね、この人w

 

むすび

「くっつける気のないラブコメ用の愛されキャラを用いた、殺す殺されるのハードボイルドな復讐劇の悲劇性」

の善かれ悪しかれなギャップはあれど、道中の各エピソードは名シーンも多く、復讐劇としては王道の本懐を遂げ、個別のキャラも感情の表現・描写が豊かで魅力的でした。

それだけに、カミキとの相打ちで命数を使い果たすことなく、みんながアクアを中心に幸せになるところを見てみたくもありました。

いま俺あかねの気持ち。横槍メンゴの描く泣き顔は美しいな。

「【推しの子】」10巻より(赤坂アカ/横槍メンゴ/集英社)

読者なので当たり前なんですが、見ていることしかできなかった。

君となら、『オレンジ★ロード』の昔に先祖返りしたようなご都合主義な三股ハーレム未満恋愛ラブコメの地獄へでも、堕ちていけたのに。

読者の

「【推し】を幸せにしてくれなかった作家を恨む気持ち」

は、物語の美しさを読者に納得させられなかった作家の力量不足の産物でしょうか、読者の読解力や人生経験、感受性の不足でしょうか。

それとも、物語を差し置いて【推し】の幸せだけを最優先でピンポイントに願う読者のエゴでしょうか。

 『【推しの子】』16巻より(赤坂アカ/横槍メンゴ/集英社)

それとも、【推し】を生み出しつつも読者に媚びずに自分の信じる物語の美しさを描き切った作家の勲章でしょうか。


長期連載お疲れ様でした。

ヤンジャン読者層を離れてお茶の間や低年齢層までも巻き込んだ、主題歌が紅白歌合戦のクライマックスを飾るほどの大変な大ヒットで、ラストに向けて描き続ける作業、責任を持って作品を完結させる重圧は大変なものだっただろうこと、想像に難くありません。

未完で放置されることで名作であるかのように扱われる作品も少なくない中、超話題作に育った作品であっても、批判も覚悟の上で完結させる重圧と責任から逃げないのは、この作家の美点です。

連載・刊行中とても楽しませてもらって、好きなエピソード・好きなシーンがたくさんあって、アクアもルビーもかなもあかねも(みやこさんも!)大好きでした。

正直、初期は「赤坂アカの繊細な作画で圭ちゃんルックスのルビーを見たかった」とか思ってましたけど、今はその思いも上書きされてアクアもルビーもかなもあかねも、

『【推しの子】』13巻より(赤坂アカ/横槍メンゴ/集英社)

憂いと意志とあやうさを秘めた表情、もう横槍メンゴの作画、横槍メンゴが描く表情でしかあり得ない。

こんなDISり気味な感想書いといて誠に図々しい話ではありますが、両先生それぞれの次回作を、自分はとても楽しみにしています。

あのキャラ、あのシーン、あのエピソードを描いた作家なればと、「次のページ」にまた期待せずにはいられない。

 

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#無敗のふたり 2巻 評論(ネタバレ注意)

タイトルから『ふたり鷹』的なライバル物語を想像したんですが、プロ格闘技選手とトレーナー・セコンドのバディものでした。

三島ユタカ、20歳前後?

『無敗のふたり』2巻より(遠藤浩輝/講談社)

高校柔道を経て総合格闘技のプロ選手、デビュー3連勝中のホープ、フェザー級新人王トーナメント決勝進出。

ジムに出入りする、酒臭く金に汚いが凄腕と噂のトレーナー・セコンド・柔道整復師の外山に、次戦のセコンドを依頼するも断られ、そして外山の予言どおりの敗因と怪我で敗退。

右肩と左膝を故障し、1年弱のキャリア中断。

しかし、ジムの先輩の「ファイトマネー返上・一戦限り」の依頼を受けてセコンドについた外山の手腕を再確認し、外山を口説き落として復帰戦に臨む。

目指すは米・SFCのビッグスター!

『無敗のふたり』2巻より(遠藤浩輝/講談社)

という総合格闘技漫画。

総合格闘技漫画の佳作と名高い『オールラウンダー廻』

の遠藤浩輝の新作は、再び総合格闘技へ。

『廻』はアマチュアが舞台でしたが、今回はプロの世界が舞台。

「能力バトル」系じゃない、ピュア「競技格闘技」漫画、なんか読むの久しぶりな気がするな。異種格闘技漫画『バトゥーキ』以来か。

バトル漫画・格闘漫画と呼ばれるジャンルは幅広く、徒手空拳の肉弾格闘以外にも、武器を使うもの、超能力的なもの、魔法的なもの、憑依・変身型のもの、そもそも対戦相手が人間じゃないものなど、SFからファンタジーまで多種多様ですが、本作は現代日本を舞台にしたリアリティ志向の競技格闘もの。

『無敗のふたり』2巻より(遠藤浩輝/講談社)

必然、格闘描写も「覚醒」や「必殺技」に頼らず、才能と努力と理論・戦術に寄ったリアリティ志向。あと人生。

作者の過去作『廻』に続き、相変わらず精神論や必殺技展開・無双展開に頼らない理詰めの格闘描写で、選手の持ってる武器と相手との相性を分析し準備し実行する、能書きが楽しい格闘技漫画。

こう、外山のコーチングスタイルは「格闘技術と人体のコンサルティング」という感じ。

その復帰戦となる、鍬原戦。

『無敗のふたり』2巻より(遠藤浩輝/講談社)

元・半グレの和モン入り、フィジカルを武器に先手を取って距離を潰して接近して寝かせて上からパウンド、という技巧派泣かせのパワー型の鍬原。

を相手に、外山の指示は

「グラウンドで下から殴ってKO」

というおよそセオリーからかけ離れたものだった…

その鍬原戦が今巻で決着。

『無敗のふたり』2巻より(遠藤浩輝/講談社)

格闘ものの常で試合中はストーリーがほとんど進みませんが、その分、見応えのある攻防の展開・描写。

フィジカルとパワー、を制する戦略と、反復による技術、相手の長所を消す泥臭さと、戦略すら反故にするインプロヴィゼーション。

格闘漫画の面白さは「絵」、「解説(理屈)」、そして「解説を超えるパフォーマンス」の3点セットかなと思います(いま考えたのでフワッフワです)が、綺麗に3点抑えた逆転劇でした。

目標の頂上が高い割りに

「序盤は圧勝連勝で無双します」

ということもなく、一試合一試合を泥臭く丁寧に。

そもそも試合を描きたい漫画ですしね。

それはそれとして、むさ苦しい男子格闘競技の世界なのであんま期待してなかったんですが、

『無敗のふたり』2巻より(遠藤浩輝/講談社)

可愛い女の子が一冊ごとに増えていくのも良いですね。

 

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#カグラバチ 5巻 評論(ネタバレ注意)

「斉廷戦争」から15年。

戦争を終わらせた六振りの妖刀を世に送り出した日本随一の刀匠・六平国重は、息子を見習い弟子に刀を打ち続ける穏やかな日々を過ごしていた。

が、「毘灼」を名乗る妖術士集団に工房を襲われ、六平は死亡、回収され秘蔵されていた六振りの妖刀も強奪され、14歳の息子・チヒロだけが遺された。

3年後、生き残ったチヒロは、父の仇である「毘灼」を追い、奪われた六振りの妖刀を回収すべく、名工・六平国重が遺した七振り目の妖刀を手にとっていた。

「刀社会」となり妖術士が跋扈し裏社会と繋がる日本と東京、妖術とそれの源となる「玄力」、妖術を駆使し取り締まる国家機関「神奈備(かむなび)」、不死の力を持つ鏡凪一族の少女。

六振りの妖刀が持つ力とは、「斉廷戦争」とは誰と誰の戦いだったのか、チヒロの出生が「斉廷戦争」の終戦前後と符合することに何か意味があるのか。

という週刊少年ジャンプ本誌連載のバトル漫画。

『カグラバチ』5巻より(外薗健/集英社)

剣戟アクションというよりは能力バトル寄り、過去のジャンプのいろんな大ヒット作の匂いがして「どれのアシスタントだったんですか」と訊きたくなるような、画面はあらゆる意味で近年の正統派ジャンプ・バトル漫画という感じ。

作品のカラー的にはダーク系で、低年齢層向けよりは『BLEACH』『呪術』寄りでしょうか。

「悪・即・斬」でテンポの良く、2巻でその時点でのラスボスを倒す展開もそうですが、ジャンプバトル漫画の「メタ獲り」というか、従来のジャンプ・バトル漫画の

「どうせそうなるってわかってるのに、もったいつけた、かったるいやりとり」

が省略されたスピーディな展開。

『カグラバチ』5巻より(外薗健/集英社)

主人公たちが戦ってる間に、読者は

「こいつに勝ったら次どうなるのかな、誰と戦うのかな」

と既に「次」を考えてたりしてたんですが、そこにギアを合わせに行ってる感じ。

妖刀や妖術、その基となる玄力、の制約というかルール、限界がまだ示されていないので、バトル展開や強さの根拠のロジックとしては頭脳戦や駆け引きよりも作者の匙加減、「より上位に覚醒したもん勝ち」みたいなとこはあります、まあそんなジャンプ・バトル漫画はこれまでも今もたくさんありますね。

国家機関「神奈備」すら恐れる能力を持った漣家、その家業たる年に一度のオークション「楽座市」にかけられる、奪われた妖刀「真打」、そして「淵天」。

これを奪回すべく、チヒロたちは会場である漣家施設の地下深くに隠される扉を目指すものの、行手には漣家の能力者たち、神奈備の刺客、そして毘灼の印を持つものまでが立ち塞がる…

ということで、バトル、バトル、バトルの殴り込みを経て、「楽座市」編が完結。

『カグラバチ』5巻より(外薗健/集英社)

漣さんは、「楽座市」という無くても漣さん家以外は誰も困らない事業に対する使命感と誇りが最後まで謎でした。

国や社会を支えていたわけでもなし、漣さん家が私腹を肥やす以外には何の役にも立たない仕事に、どういう心理であそこまでプライドと情熱を感じられていたのか、割りと真剣に謎。

展開的には、『鬼滅』でいうところの「鬼殺隊」にあたる組織「神奈備(かむなび)」に5冊をかけて主人公がようやく合流、近年のジャンプ・バトル漫画の得意分野の組織戦に移行、というところ。

『カグラバチ』5巻より(外薗健/集英社)

フリーで暴れ回った主人公に対し、神奈備の親方会議が、主人公に虚仮脅しをいろいろカマしてきますが…

妖刀の前・所有者を厳重に警護している…って、そもそも六平国重が殺された時に、神奈備は何をしてたんでしょうか…

とか思いながら読んでるうちにさっそく、「慚箱」と呼ばれる重点警備拠点が壊滅。

もう会議出てる幹部のおっさん、行って「毘灼」の一人も倒してこいよwww

漣家に対して長年手をこまねいていたり、むざむざ六平国重を殺されたり、「7本目の妖刀」の存在も知らなかったり、「慚箱」もさっそく壊滅したりと、主人公の引き立て役集団とは言え、ちょっと無能すぎるのでは…

『カグラバチ』5巻より(外薗健/集英社)

今までのジャンプ・バトル漫画だと「●番隊の隊長」とか「鬼殺隊」の「柱」みたいな「頼れる兄貴・姉貴・師匠」の愛されキャラの宝庫になるのが定番だったんですけど、既に登場済みの緋雪が「最高戦力」と称されていることもあり、あとの残りは「幹部会議でイキってる老害っぽいおっさん」ばっかりなのも意図的にやってんでしょうか。

「八なんとか衆」みたいな名前も今のところなし。たしか「大佐」とか階級あるんでしたっけ。

「頼れる兄貴・姉貴・師匠」は「妖刀の前・所有者」たちのポジションなのか、

「漣家もクソだったけど神奈備もクソ、主人公チーム以外全員クソ」

という、主人公と読者のムカつきをシンクロさせて、

「行けチヒロ!おっさんらに吠え面かかせたれ!!」

と感情移入させるための準悪役なのかw

アレですかね、「斉廷戦争の回想シーンになったら活躍させる要員」なんかしらん。

『カグラバチ』5巻より(外薗健/集英社)

何はともあれ、「妖刀の前・所有者」の登場が楽しみ。

こっからがこの漫画のサビの始まりですかね。

 

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#新九郎、奔る! 18巻 評論(ネタバレ注意)

室町後期(戦国初期)の武将、北条早雲の幼少期からの伝記もの。享年64歳説を採用。

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中世代を舞台にした作品ながら、現代の話し言葉を大胆に採用、横文字もガンガン出てくる。おっさん達の政争劇は作者の本領発揮なイメージ。

『新九郎、奔る!』18巻より(ゆうきまさみ/小学館)

北条早雲の伝記を漫画の上手のゆうきまさみが、の時点で面白いに決まってんだけど、日本史の中でも複雑で難解なことで有名な応仁の乱がらみ。渋すぎるテーマをどう捌くのか。

応仁の乱と新九郎個人の駿河下向がようやく終息。

姉と甥の守護の地位の確保のため、将軍・足利義尚の側近の地位を1年以上放ったらかしての駿河下向、ようやく戻った新九郎を待っていたのは、義尚の不興、次いでその義尚本人の死、最高権力者に返り咲いたものの年に3回脳卒中で倒れる元将軍・足利義政、そして義政が一向に後継者指名をしようとしない、

『新九郎、奔る!』18巻より(ゆうきまさみ/小学館)

将軍後継問題だった。

一冊で将軍経験者が二人も死に、後継問題の形勢も二転三転、新九郎の立場も二転三転という、情報量の密度が高く、3冊ぐらい読んだような気分の巻。

新九郎は、御所・公方・大御所に将軍候補二人共と、足利家のお歴々が話しかけたがって、やたら人気ですねw

『新九郎、奔る!』18巻より(ゆうきまさみ/小学館)

特に「ひとたらし」って感じでもないのにねえ、とは思いつつ、有能で常識人だけど嘘が吐けない性格が、幸いしてなのか、災いしてなのか、「手頃でまともな相談相手」として、ベンチマーク的に新九郎に声をかけたくなる側の気持ちもわかる気はします。

義政は、最期まで後継指名をしなかったりと、結局よくわかんない人でしたね。

「深慮遠謀の末に計算通りの状況を作って死んでみせたのかもしれない」

と思わせるところもありつつ、

「英雄も身内の話になると優柔不断な暗愚に成り下がる」

だけのような気も、

「ただ単に『自分だけは死なない』と勘違いしてただけじゃねえのか」

という気も。

『新九郎、奔る!』18巻より(ゆうきまさみ/小学館)

親父が言うとおり、新九郎や読者若きに心中を読まれるようでは将軍は務まらない、ということなのかもしれませんが。

死にそうな人が死に、また死にそうな人が死に、将軍になりそうな人が将軍になって、収まるところも収まったようにも見えなくはないですが、収まるまでの二転三転で人心の不審や不満が鬱積されて、「バタフライ・エフェクト」よりも直裁的な影響が遠くないうちに表面化しそうな気配。

『新九郎、奔る!』18巻より(ゆうきまさみ/小学館)

作品のサビは新九郎の戦国大名としての勃興だろう、とずっと思いながら読んでいて、今巻なんてもうすぐ滅びる足利将軍家の家督争い・派閥争いの駆け引きでしかなかったんですけど、妙に面白かったなあ。

陰謀&陰謀&陰謀を重ねても、「おっさんの健康問題でチャラ」みたいなランダム性ゆえか、

『新九郎、奔る!』18巻より(ゆうきまさみ/小学館)

義政のトリックスターぶりのおかげか。

なんだかんだ、1巻(初登場は2巻)以来、途中で応仁の乱なども挟みつつも、ずっと最高権力者だったもんな、このおっさん。

 

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#J⇔M ジェイエム 4巻 評論(ネタバレ注意)

マリーかわゆすなあ。

「J」は裏社会で自他共に認める最強の、一匹狼の凄腕の殺し屋だったが、性格はハードボイルドに憧れて形から入るナルシストのおっさんで、本名は純一だった。

恵は小学3年生の少女で、記憶力と学習能力に優れた優等生だったが、家庭では毒親の母親からスパルタ教育ハラスメントを受け、学校では外国人とのハーフの容貌を理由にバカガキ男子からのイジメに遭っていた。

恵が家出してうずくまっていた階段は純一が暮らすマンションで、

『J⇔M ジェイエム』1巻より(大武政夫/KADOKAWA)

ひょんなことから二人は頭をぶつけて「入れ替わり」が起こってしまう。

「自分の身体」を少女誘拐犯にしたくない純一、家庭や学校からの逃避先を得た恵、利害が一致した二人の、協力しながらそれぞれ「相手のふり」をする生活が始まった…

という、『レオン』と『君の名は。』と足して三谷幸喜で割ったような、殺し屋ものギャグコメディ。

『ヒナまつり』で著名な

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大武政夫の新作は、再び「アウトローのおっさん×少女」。

別作『女子高生除霊師アカネ!』との二毛作。

『J⇔M ジェイエム』4巻より(大武政夫/KADOKAWA)

「殺し屋もの」「一般人のふりして俺TUEEEE」「入れ替わりもの」「見た目は美少女、中身はおっさん」

などの流行りの売れ線要素をテキトーに詰め込んだような初期設定ですが、出オチになりがちな奇抜な初期設定のアイデアに依存するタイプではなく、ベタな初期設定をきっかけにシチュエーションのバリエーション豊かに転がす頭抜けた「ネーム力」に本領を持つ作家なので、あんまり問題になりません。

誰でも思いつきそうな設定ですが、ここまで面白おかしく描ける作家はほとんどいません、という作品。

女子小学生が人を殺すのはいかにも絵ヅラが露悪的すぎるせいか、保険として「悪人しか殺さない」というリミッターで一応の線引きも、という配慮もw

ガンアクションも見応えアリ、という意外で嬉しいおまけ付き。

 

「入れ替わり」はコメディ作品・ラブコメ作品では定番のモチーフですが、かつては「記憶喪失」も主にシリアス作品の定番モチーフでした。

近年は昔ほど見なくなりましたけど。

数年前読んだ、久しぶりに「記憶喪失」がモチーフの漫画で、

「記憶喪失中のキャラが、更に記憶喪失になる」

という、いわば「記憶喪失おかわり」展開を読んで度肝を抜かれたことがありました。

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そんなこと、やっていいのか! 漫画、自由だな!

ハイ、ということで、こちらの作品の今巻では

『J⇔M ジェイエム』4巻より(大武政夫/KADOKAWA)

嘘でしょw

「入れ替わり中のキャラが更に入れ替わる」

という「入れ替わりおかわり」が発生。

マリーの依頼で二人で潜入暗殺ミッションに赴いたM(中身=J)は、任務完了、脱出前のひょんなトラブルでマリーと入れ替わりが発生し、しかもマリー(中身=J)は脱出過程で小学生の身体になれないM(中身=マリー)に脇腹を誤射され、絶体絶命のピンチに!

ああクソ、文章で書くとややこしくてわけわからんw

『J⇔M ジェイエム』4巻より(大武政夫/KADOKAWA)

ハードボイルドなガン・アクション・シーンとは思えない、間抜けなセリフたち。

というわけで

J(中身=恵)

M(中身=マリー)

マリー(中身=J)

状態に。

ダイナミックというか、いやー、漫画って自由だなあw

同時にマリーに対する「正体バレ」も発生して、「入れ替わりコメディ」の幅も1.5倍?に。

『J⇔M ジェイエム』4巻より(大武政夫/KADOKAWA)

「どうなるんだこの漫画」というか、もはや「どうするんだこの漫画」という感じで、先がどうなるか予想する気も起きんわ。

3人とも微妙にいい奴で、微妙に共感できるけど、微妙にクズなんですよね。

こんなに馬鹿馬鹿しい展開なのに、合間合間のガン・アクション・シーンだけは結構まじめにかっこよく描かれて、ついでみたいに普通に撃ち殺されるMOBのヤクザの人たちが可哀想w

マリー、セクシーで可愛くて好きだったのに、この漫画、可愛い女の子が次々と中身おっさんになっていく。

『J⇔M ジェイエム』4巻より(大武政夫/KADOKAWA)

業界トップを争う殺し屋たちが真剣にママを嫌がっててウケる。

 

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#映像研には手を出すな! 9巻 評論(ネタバレ注意)

人見知りで空想癖な妄想屋で監督肌のタヌキ顔のチビ・朝倉。

『映像研には手を出すな!』9巻より(大童澄瞳/小学館)

銭ゲバ風なリアリストなネゴシエーターでプロデューサー肌のノッポ・金森。

と、

財閥令嬢で役者の両親の娘で有名読モでキャラデザ・動画肌の美人・水崎。

の、高校入学でのガール&ガール・ミーツ・ガールで立ち上げた映像研を舞台にしたクリエイター青春グラフィティ。

『映像研には手を出すな!』9巻より(大童澄瞳/小学館)

徐々にメンバーを増やしつつ、ここのところは創作活動とその発表と反響にまつわるエピソードが続いてきましたが、前巻でそれもひと段落。

今巻は「インプット巻」とでもいうか、謎多く懐広く、ちょいちょいわけがわからない、我らが芝浜学園にまつわる取材、情報収集、探索と冒険。

ラピュタ巻。「街の裏側」「都市の裏側」とはよく言いますが、学園の裏側。

『映像研には手を出すな!』9巻より(大童澄瞳/小学館)

もう一高校を通り越して「学園都市」ですねw

ストーリー的には今のところ「探して何ものかに出会う」だけの話で、エピソード自体も次巻に続くんですが、「在りもしない」学園の設定をこれだけ風呂敷広げて想像した上で、描き留めて作品にして、楽しいだろうなあ。

子どもの頃の砂場遊び・箱庭遊び・ジオラマ遊び、の延長、空想した端から実態を持って具現化していくような感覚。

『映像研には手を出すな!』9巻より(大童澄瞳/小学館)

漫画やラノベやなろうの新人向けに、よく

「世界観設定ばっかり作り込んで自己満足するな」

「世界観設定の長語りをするな」

的なことが言われますけど、設定自体が面白いとこうなるんですかね。キャラの語り口、演出の妙なんかな。

芝浜学園にせよ魔窟にせよ、増築を繰り返したような構造をしているのは、たぶん作者の空想の軌跡を構造がそのまま辿っていて、しかも空想の軌跡や着想した瞬間の興奮への愛着ゆえに、リビルドやリメイクなどの「区画整理」をされることなかったからなんでしょうか。

『映像研には手を出すな!』9巻より(大童澄瞳/小学館)

ストーリーなんかなくても、このまま個性的なキャラたちをガイドに芝浜学園を「ディスカバリー・ツアー」し続けるだけでも十分エンタメですけど、並行して

「この作品世界における映像研とはなんなのか」

という、根源的なテーマにも迫りつつあります。

まだ創作のインプット段階ながらも、「芝浜学園」と「映像研」という作品・世界観の二大根元に切り込み始めるというのは、「最終章の序章」なのか、

『映像研には手を出すな!』9巻より(大童澄瞳/小学館)

「ここまで序章で、ここから本編」なのか。

次巻は2025年秋頃とのことです。

 

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#同志少女よ、敵を撃て 1巻 評論(ネタバレ注意)

『同志少女よ、敵を撃て』(どうししょうじょよ、てきをうて)は、日本の小説家逢坂冬馬の小説である。第11回アガサ・クリスティー賞を受賞したデビュー作。第166回直木三十五賞候補に挙がり、2022年本屋大賞及び第9回高校生直木賞を受賞。

ja.wikipedia.org

とのことで、そのコミカライズ。

原作小説の発表は2021年。自分は原作未読です。

「高校生直木賞を受賞」って、作者は高校生なのかと思ったら、「高校生が選考する文学賞」なんだそうです。

史実の戦争をベースにした歴史フィクション、でいいのかな。

作中に登場するソ連やナチス・ドイツはもちろん、作中で言及されるソ連の女性スナイパー、リュドミラ・パヴリチェンコも実在の人物。

ja.wikipedia.org

リュドミラ・パヴリチェンコのWikipediaの記載によると、

第二次大戦において赤軍は約2000人の女性スナイパーを戦場に送り込んだが、パヴリチェンコのように終戦まで生き残れたのはその内の500名に満たないとされる。

とのことです。

1942年、ソヴィエト連邦、イワノフスカヤ村。

『同志少女よ、敵を撃て』1巻より(鎌谷悠希/逢坂冬馬/速水螺旋人/早川書房)

村で暮らす少女・セラフィマ(18)は、農場を鹿害から守るために猟銃を手に鹿狩りをしながら育ち、学業にも長じてモスクワの大学への進学が決まっていた。

そんなある日、敗走中に迷い込んだナチス・ドイツ軍の小隊が乱入、村は蹂躙される。

駆けつけたソ連軍によりセラフィマ自身は救出されたものの、彼女の家族を含む村は全滅。

戦略上の理由からソ連軍は村に火を放って焼き払い、ソ連軍の女隊長は家族や村人を喪ったばかりのセラフィマに

「戦士として戦うか、敗北者としてこのまま死ぬか」

を迫って叱咤し、嘲り、罵る。

『同志少女よ、敵を撃て』1巻より(鎌谷悠希/逢坂冬馬/速水螺旋人/早川書房)

復讐のため戦うことを選んだセラフィマは女隊長に連れられ、軍の施設へ。

そこは家族をナチス・ドイツに殺された若い女性ばかりが集められた、「中央女性狙撃兵訓練学校」、女スナイパー養成所。

女隊長はかのリュドミラ・パヴリチェンコの相棒を務め98人の敵兵を射殺する武勲を挙げたものの、負傷により前線を退いた伝説の女狙撃手、イリーナ・エメリヤノヴナ・ストローガヤ上級曹長、教官だった。

セラフィマの、赤軍狙撃兵、戦士としての日々が始まった…

という戦記もの。

『同志少女よ、敵を撃て』1巻より(鎌谷悠希/逢坂冬馬/速水螺旋人/早川書房)

「女だけの部隊」、いかにも作り話っぽいし、「家族を殺したドイツ軍への復讐」が動機の作品も既視感あるんですけど、大戦中のソ連はこの手の話がゴロゴロ転がってるっぽいですね。

「ソ連、なんでこんなに女兵士多いん」

と現代日本の価値観からするとちょっと違和感というか不思議にすら感じますが、この作品はその辺も触れていく感じっぽい。

アレですかね、「男女平等で進歩的だった」面が全くなかったとは言いませんけど、「女も総動員すれば兵力2倍」感が強いですけども。

『同志少女よ、敵を撃て』1巻より(鎌谷悠希/逢坂冬馬/速水螺旋人/早川書房)

敗色濃厚となる以前の戦争中期まで「銃後」だった当時の島国・日本と違って、開戦と同時に国土を侵略され身近に犠牲を出した大陸の女性たちの復讐心や愛国心に、国が乗っかったというか、日本における「銃後を守れ」の国家的・社会的な圧力の看板が「銃をとれ」に変わっただけのようにも見えます。

ただ、新聞やラジオで見聴きする政治的な理由を介しての戦争の理由と、生身の「殺された家族の仇を討ちたい」という理由では、動機やプライドの強さも全然違うでしょう。

展開や描写自体は、むしろ少女漫画的ですらあります。

イリーナ教官のしごきは『ガラスの仮面』の月影先生みたいだし、「若い女ばかりのスナイパー養成所」の雰囲気は、個性豊かな少女たちの才能とプライドがぶつかり合い支え合う、「学び舎に集う乙女たち」、歌劇団の養成所が部隊の『かげきしょうじょ!』みたいな雰囲気も。

1巻は厳しいながらも訓練過程で終わるので、まだ「戦争」してないですしね。

ただ女優を目指すそれらの作品と違って、この作品のヒロインはどれだけ努力と研鑽を重ねて才能が開花したとしても、今のところのゴールは

「生き残ること」

「たくさん殺すこと」

です。

『同志少女よ、敵を撃て』1巻より(鎌谷悠希/逢坂冬馬/速水螺旋人/早川書房)

エンタメ漫画作品としては、暗く重たい独ソ戦はテーマとして割りと鬼門な印象で、原作なしで少年ジャンプに載せたらすぐ打ち切られるテーマだと思いますが、本作は既に評価の高い原作小説があって、出版社も早川書房、レーベルは「ハヤコミ(ハヤカワ・コミックス)」とのことで、少しは安心して完走を見守れそうかな?

うちのブログで「ハヤコミ」の作品を取り上げるの、もしかしたら初めてかも。

「続きが楽しみ」とは口にするのが憚られるジャンルですが、必ず続きを読みたい作品。

どこかのタイミングでものすごく先が気になったら、我慢できずに原作小説をラストまで読んでしまいそうですが、今のところ、おとなしく2巻を待とうかな、と。

『同志少女よ、敵を撃て』1巻より(鎌谷悠希/逢坂冬馬/速水螺旋人/早川書房)

1巻は重要な巻ですが、テーマ的にもこの作品の「サビ」はもう少し先なのかな、と。

 

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#妄想先生 6巻 評論(ネタバレ注意)

色咲桃子(26)は高校の英語教師で2年4組の担任。

『妄想先生』6巻より(ゆずチリ/新潮社)

男女関係に初心で男子中学生のようにエロ妄想癖が強い彼女の脳内では、英語の授業の質問をしてくる男子生徒は自分の肉体目当て、副顧問を務める男子バスケ部の生徒たちは自分の肉体目当て、問題を起こし赤点を取って補習を受ける不良(?)は自分の肉体目当て、およそすべての男子生徒が全員、自分の肉体目当てに見えていた。

エロのことしか考えていないに決まっている思春期の高校生たち(※桃子先生目線)を立派な人間に教育すべく、桃子先生は今日もがんばるのだった。

『妄想先生』6巻より(ゆずチリ/新潮社)

という、出オチの一発ネタの妄想すれ違いコメディ。

一話につき6〜8ページ程度のほぼショートショートな軽めの漫画。

ビジュアルはキュートでセクシーな桃子先生の、スポーツ新聞の四面(エロ)記事のようにベタでオヤジっぽいエロ妄想の馬鹿馬鹿しさとバリエーション、独り相撲なノリツッコミの可笑しみ、というところ。

『妄想先生』6巻より(ゆずチリ/新潮社)

貴様のようなピュアがいるか。

馬鹿馬鹿しくて可愛くてちょっとだけエッチ、萌え&ちょいエロであることを除けば、軽くてちょっと笑える、ノリとしては新聞の4コマに近いです。

「癒し系エロコメ」とでもいうかw

生徒同士のラブコメ模様を、(妄想に基づいて)相談されたり、(妄想に基づいて)心配したり、巻き込まれた(妄想をした)り。

『妄想先生』6巻より(ゆずチリ/新潮社)

ちょっとづつキャラも増えて、若干群像劇ラブコメ風味に。

エロ本として見ると全然エロくないんですが、ブログにコマを引用するとやたら警告とペナルティの「天の声」のメールが来て、

「『妄想先生』の心配する前に、お前とこが出してる下劣な広告の心配しろよ」

と思わないでもない。

「若干群像劇ラブコメ風味」とは言え、ラブコメ的に真面目にフラグが立ってる組み合わせ、唯々子と高杉のほぼ1組しかいないんですけど、その唯一のカップリングが今巻のバレンタインイベントきっかけで告白イベントを経てくっつきました。

『妄想先生』6巻より(ゆずチリ/新潮社)

わあ、別に進展しなくてもいいものが進展してる!でもおめでとう!

部分的に未満恋愛ラブコメからカップルラブコメになって、ネタ的にちょっと「味変」してく感じでしょうか。

そういえばバレンタイン・イベントがあると学年変わるのも間近ですけど、受験生っぽい雰囲気のない、こいつら何年生でしたっけというか、この漫画「サザエさん時空」? 時間流れる系? どっちだったっけ? 気になるな。

『妄想先生』6巻より(ゆずチリ/新潮社)

いや、ならねえわ。

 

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#マツケンクエスト~異世界召喚されたマツケン、サンバで魔王を成敗致す~ 3巻 評論(ネタバレ注意)

RPG風の中世ファンタジー異世界。

魔物を封印すべくダンジョンに足を踏み入れた女勇者アルティスは、しかし魔物相手に劣勢、藁にもすがる思いで遺されていた召喚魔法陣で助けを求めた。

彼女の召喚によって現れたのは、現代日本の大スター、「マツケン」こと松平健その人であった。

『マツケンクエスト~異世界召喚されたマツケン、サンバで魔王を成敗致す~』3巻より(遠田マリモ/林たかあき/秋田書店)

召喚によってスターのオーラ転じた光魔力と、時代劇の殺陣仕込みの剣技を武器に、異世界の人々の「咲顔(えがお)」を取り戻すための、マツケンの異世界冒険譚が始まった!

何を言っているかよくわからないと思いますが、

「ブームに乗ってとりあえず有名人?(や既存のキャラ)を異世界に転生(転移)させれば面白くなる」

というジャンルが在り(?)まして、

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そういうやつです。

『マツケンクエスト~異世界召喚されたマツケン、サンバで魔王を成敗致す~』3巻より(遠田マリモ/林たかあき/秋田書店)

多くの「普通の異世界転生(転移)」がテンプレで読者理解の早い世界観設定でラクそうに見えるのに対して、有名人を異世界転移させると主人公キャラまで在りものなので、なおさら理解が早くてラクそうに見えます。

読者の側からは。

自分は「異世界転生(転移)」が別に嫌いなわけではなく、中には名作が在ることも知っていて現に読んでる作品も複数在りますが、ブームに乗った粗製濫造でハズレも多いジャンルでもあるので、警戒するというか、ちょっと距離を置きたくはなります。

『マツケンクエスト~異世界召喚されたマツケン、サンバで魔王を成敗致す~』3巻より(遠田マリモ/林たかあき/秋田書店)

でも「異世界に置いてみたい人物(や属性)」

というか、

「そんなん絶対面白いやつですやん」

という組合せもあるよねえ、っていう。

というわけで、「異世界マツケン」こと『マツケンクエスト』です。

自分は特にマツケンのファンというわけではなく、松平健という俳優・エンターテイナーへの理解は浅いので、

「作者たちのマツケンへの理解が深い」

とか言う資格はないんですが、1巻を読んで主人公に据えた「マツケン」というキャラに対するリスペクトの他にも、作者たちが託しているものは確かに在って、それはとても好ましいものだな、と感じました。

『マツケンクエスト~異世界召喚されたマツケン、サンバで魔王を成敗致す~』3巻より(遠田マリモ/林たかあき/秋田書店)

松平健の役どころが言いそう、というより、言って欲しい、みたいな。

令和のダークヒーローたちの魂を削るような生々しい叫びと比べると、いかにも周回遅れの昭和な世界観の素朴なキレイゴトなんですけど、言う人(俳優で、演技です)が言うと重みというか説得力が違うというか。

平成・令和の「イケメン」という言葉では表現しきれない、松平健という俳優が昭和から保ち続けている「大人の男前」像というか。

出オチの一発ネタ感すごい作品ですけど、「マツケン」というキャラが持つ独特のスター性・ヒーロー性が、なんか奇跡を起こしてくれるんじゃないか的な期待感。

『マツケンクエスト~異世界召喚されたマツケン、サンバで魔王を成敗致す~』3巻より(遠田マリモ/林たかあき/秋田書店)

その魔王トクガワヨシムネとの邂逅。

RPGでたまにある序盤〜中盤でのラスボス遭遇イベント発生。

なぜ魔王がマツケンと瓜二つなのか、なぜ「トクガワヨシムネ」を名乗るのか。

マツケンが無双するだけの漫画だと思って読んでると、思いの他ストーリーがあっておののきます。

仮にもプロの漫画家が描いてんので当たり前なんですが。

曇らせ展開、そして復活と、アレコレ大丈夫?次で完結しねえ?という気もしますが、

『マツケンクエスト~異世界召喚されたマツケン、サンバで魔王を成敗致す~』3巻より(遠田マリモ/林たかあき/秋田書店)

相変わらず自分で読んでてなんなんですけど、いったい誰向けの漫画なんだかよくわかりませんが、マツケンと吉宗の共闘はアツいのでぜひ見たい。

 

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