#AQM

あ、今日読んだ漫画

#ザ・ファブル The second contact 6巻 評論(ネタバレ注意)

幻の殺し屋組織「ファブル」の天才殺し屋と相棒の女が、ボスの命令でほとぼり冷ましに大阪のヤクザの世話になりながら長期休暇がてら一般人の兄妹、アキラとヨウコに偽装して暮らすコメディ成分多めのハードボイルドもの。

伝説の殺し屋は不殺を貫いたまま事態を収拾し、街を去って第一部が完結、そして数ヶ月後ぐらいの続編、第二部。

『ザ・ファブル The second contact』6巻より(南勝久/講談社)

隣の大西市の紅白組との新たな抗争の火種が…という感じで、組織から放出されてフリーターになった主人公たち殺し屋組はまあダラダラと。

大手の盃を受けた紅白組の組長が、真黒組の縄張りを狙って策謀。チンピラ同士の喧嘩からスタートさせるも、早くも元・ファブル組が巻き込まれ…という展開。

『ザ・ファブル The second contact』6巻より(南勝久/講談社)

事情あって海老原が降りることになってしまい、真黒組の鷹一がキーマンに。

情報収集するルーマーが、アキラ、ヨウコ、アザミ、ユーカリをファブルと断定、「対ファブル」にチームを招集、夜の大平公園で「ファブルvsルーマー」の全面対決へ。

『ザ・ファブル The second contact』6巻より(南勝久/講談社)

もっと搦め手でチビチビ削り合う感じを予想してたので、夜の公園の隠密戦とはいえ、4on9の正面対決はちょっと意外でした。楽しいけどw

話のライン的には、「ファブルvsルーマー」と、真黒組幹部・木志田の敵への内通と、ヨウコとタコちゃんのロマンス未満の3ラインが走ってる感じですかね。

『ザ・ファブル The second contact』6巻より(南勝久/講談社)

特にヨウコのラインは本筋と関係なく「酔っ払いギャグコメ」やってるだけ(それが面白いから困るw)のパターンが過去にも多かったので、今回も本筋と絡むんだか絡まないんだか予想がつかんねw

 

巻末、巻の1/4ぐらいの尺を使って、ヤンマガ新連載の別作者の殺し屋もの漫画のお試し読み。

『ザ・ファブル The second contact』6巻より(南勝久/講談社)

一応、こっちは『ファブル』のつもりで買ってるんで、こういう優良誤認を狙うような本編ページを減らしての混ぜ物商売、よくないと思うよ…

と一瞬思ったんですが、『ファブル』を通常どおり200ページ近くやった上での、74ページ追加増量のむしろ読者がお得なやつでした。

電子書籍なんで本の「厚さ」がわかんないので一瞬勘違いしたわw

銃撃戦が描かれる漫画が貴重なところに『ザ・ヒステリックトリガー』、

第1話面白かったので買って読んでみようかな、と熱い手のひら返しw

 

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#星屑家族 上下巻 評論(ネタバレ注意)

現実とは少し違う進化を遂げた、パラレル現代の日本社会。

少子化や子どもへの虐待などの社会問題を解決すべく、日本は子作り・子育てを免許制とし、夫婦が「人の親たるにふさわしいか」を国の「扶養資格適性審査」で測ることとした。

審査は「学力・一般教養審査」、「性格資質審査」を経て、家庭に2週間送り込まれる「扶養審査官」との同居による実地審査を、最終審査とした。

『星屑家族』下巻より(幌山あき/KADOKAWA)

扶養審査官である一人の少年が「次の仕事」として送り込まれた夫婦の家庭で告げられたのは、「扶養者失格にして欲しい」という奇特な要望だった…

という、ディストピア社会SF。

上下巻でコンパクトな上に同時発売で読みやすくて良いです。

少し前に、こんなことを書いたんですが、

「毒親」の概念がポピュラーになったせいか「家族」をテーマにしつつも「母親を捨てる(関係を切断する)子ども」の印象的なシーンがいくつかの作品で目についたな、と思います。

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「毒親」というテーマはすっかり社会問題として定着というか、認知された感がありますね。

現在の尺度で言えば、星飛雄馬もアムロもカミーユもシンジくんも親は広義の「毒親」で、ただ時代性で「そういう親もいる」と糊塗されていたんですが、「セクハラ」、「パワハラ」と同じく、糊塗していた時代性が剥がされて、「親には親の事情がある」で免罪されなくなったのが今、という感じはします。

それに合わせて、かつては物語でロールモデルとして「超克の対象」だった親が、「捨てる対象」に…いや、アムロが既に親を捨ててたし、別に免罪なんかされてなかったな。

家庭という密室で各々行われていることなので、景気の良し悪し以外、時代性と個別事情はあんま関係なくない?という気もします。他人の家庭の中は見えないし。

『星屑家族』上巻より(幌山あき/KADOKAWA)

現実では、その密室群の幾つかの中で行われるひどい虐待が途切れることなくニュースで暴かれ、「人の親を免許制に」というのはある程度おそらく誰しもが一度は発想する考えではあり、モチーフとして作品化されたのもおそらく初めてではないんじゃないかと思います。浅学でちょっとパッと作品名が浮かんでこないですけど。バース・コントロール社会とかはよくありますね。

ちょっと切り口が異なりますが、在って欲しい家族像を、血縁ではなくSF設定の中に緩く求める、という意味では、これとか。

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本作はニュースの視聴者のように、人間に懐疑的でシニカルな視点で展開と描写が進み、描かれるのは

「免許制の下にあってさえも、ロクでもない親はおり、ロクでもない子どもを育てる」

という、現実と変わらない、人間に対するある種の諦観です。

『星屑家族』下巻より(幌山あき/KADOKAWA)

第一話で提示されたテーマに多くの読者が騙されますが、この「システムがあろうがなかろうが人間のロクでもなさは変わんないんだよ」という諦観をベースに「でもね」を語りたいだけで、この作品は「親の免許制」という社会的な思考実験に正面から取り組んだ作品では、ないんです。

「親の免許制」は単なる舞台装置で、作品のフォーカスは登場人物をめぐるドラマと人生に移っていき、既知のパターンに基づいて予想した通りに作品が展開しないことに憤るタイプの読者や、漫画に少子化問題の解決策・特効薬を期待する読者には、激怒されるタイプの作品。

そもそも「扶養審査官の子どもたちがどこから用意されているのか」という第一に浮かぶべき疑問に対して、「たぶん孤児がなってるんだろう」という漠然とした納得で社会、というより人間が受容することは、在り得ないんです。

作中に描かれているとおり、理想像を持つ人間ほど「人に向かって言ってはいけないことを悪意の自覚なく言ってしまう」から、システムとして保ちません。

『星屑家族』上巻より(幌山あき/KADOKAWA)

週刊連載作品を読み慣れていると、

「世界観設定(箱庭)を構築した上で、キャラクターを放り込んで、ある程度自律的に物語が動く」

という作りの作品に慣れてしまうし、実際この作品も世界観強度をもっと補強した上で、筒井康隆の『家族八景』のように、

主人公がいろんな家庭をたらい回しにされながら描いて長期連載化する選択肢もあったはず(『家族八景』と同じく主人公のメンタルが長く保たなそうですが)ですが、この作品はそうはせず、

「粗々の着想から描きたいドラマがまず生まれて、ドラマを実現するための舞台装置として、対処的にSF設定が整えられた」

ように見える作品。

『星屑家族』下巻より(幌山あき/KADOKAWA)

この作品の社会SF世界観のSF強度の低さや非合理性に対する指摘は、

「倒される予定の悪役の非人道的な振る舞いを非難する」

ことに似ているかもしれず、おそらく作者の興味はそこにあんまり無いんじゃないかなと思います。なのでそこのポイントへの興味が強い読者にとっては、興が削がれる要因にもなり得るだろうと。

この作品でどう扱われたかは置いておいて、そもそも「ディストピア管理社会」のシステムは、多くの物語において個人(主人公)との衝突の上で破壊や脱出によって解体されることが「お約束」ですし。

『星屑家族』上巻より(幌山あき/KADOKAWA)

「でもね」の結末は、「終盤までの、人間に対するあのシニカルな視線はなんだったんだ」というぐらいの、甘くて優しい、人間を信じた結末。

社会SF考証的にも人間観においても、不整合でデコボコした作品で、「テーマ放棄」、「ご都合主義」、「トンデモ展開」との非難は免れないかもしれませんが、全てはこの甘くて優しい結末を描くためだったのかと思えば、自分は作者の描きたかったことを好ましく思うし、「SFの正しい使い方」だったという気がします。

システムや人間が不整合でデコボコしてんのは現実で慣れてますし、現時点ではまだ確かに「SFでなければ描けない物語」だろうと。

『星屑家族』下巻より(幌山あき/KADOKAWA)

最終回の女医の存在が、読んでて勝手にちょっとミスリードされかけたんですけど、「ああ、あの…」って自分が気づいた瞬間が、特に良かった。

読み終わってみると、作品タイトルが、また。

 

 

#クマ撃ちの女 10巻 評論(ネタバレ注意)

熊狙いのライフル持ち*1女性猟師・チアキ(31)に密着取材を申し込むフリーライター・伊藤。2人は熊を求めて日々、北海道の山中に入る。

伊藤が取材を始めて2回目の猟期。伊藤も体を鍛え知識を蓄え、チアキの足を引っ張る事なくむしろアシストさえしながら同行取材できるように。

チアキにとっての因縁・宿命のヒグマ個体「牙欠け」との対峙を通じて、伊藤はチアキの「牙欠け」への妄執と狂気、人間性の欠如に疑問を持ち離れていく。

『クマ撃ちの女』10巻より(安島薮太/新潮社)

この漫画に百合とか期待してねえから!w

そんな千秋にキラキラ系猟師ワナビーの女子大生が押しかけ弟子入り、だがしかし…

『クマ撃ちの女』10巻より(安島薮太/新潮社)

このコマ情報量多いなw

危険で金にならないクマ撃ちにこだわるチアキが、女性であることを除いても猟師の中で異端なのはわかってきましたが、作品の縦軸は

・伊藤との復縁、関係の進展?

・「牙欠け」との決着

かなと思いますが、今巻はその幕間で、意識高い系初心者の女子大生猟師に頼み込まれてのシカ撃ちレクチャー。

『クマ撃ちの女』10巻より(安島薮太/新潮社)

伊藤とクマ撃ってると描きにくい、チアキによるシカ撃ちの実践的で脱法的なノウハウが語られます。

スポーツ漫画やバトル漫画で試合回・バトル回より幕間回の方が情報量が多かったり、主人公が重要なヒントを得たり、というのはよくある話なので、まずは伊藤との復縁に向けた気づきが描かれる流れなんだろうと思います。

『クマ撃ちの女』10巻より(安島薮太/新潮社)

女子大生がチアキに対して感じる隔意は、伊藤が感じた隔意と通じるものがある!いや、ない!

それだけに留まらず、女子大生に加えて新キャラも登場して、一人ではできないが集団には入りにくい、「狩猟と女」が抱える問題点を浮き彫りにしようという試みがされています。

硬い言い方をすれば、「狩猟業界のフェミニズム」の話。

『クマ撃ちの女』10巻より(安島薮太/新潮社)

切り込むよなあ。

思考実験なのか、現実の問題なのか、自分はよくわかんないですけど。

 

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*1:猟銃免許取得後、散弾銃所持10年以上が必要

FSS (NT2023年3月号 第18巻相当) 評論(ネタバレ注意)

ファイブスター物語、連続掲載継続中。

「第6話 時の詩女 アクト5-1 緋色の雫 Both3069」。

扉絵コミで13ページ。

  

他の号はこちらから。

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  • (余談)
  • (扉絵)
  • (本編)
  • (所感)
    • 扉絵
    • 演説を聴く人々
    • 中世の一労働者の目覚め
    • 演説、戦争、エコロジーとラブ&ピースから持続へ、「カラミティ崩壊」のテーマの変遷
    • 殺し屋
    • 「星団中が見守る戦い」
    • 大愚

以下、宣伝と余談のあとにネタバレ情報を含んで論評しますので閲覧ご注意。

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#堕天使論 1巻 評論(ネタバレ注意)

親の海外赴任でマンションで一人暮らしの、平凡な男子高校生がベランダから外を眺めていた眼前で、空から美少女が落ちてきた。そのまま落ちていった。

彼女は天界において、人間の良さを理解できない故に愛することができず、それ故に堕天ポイントのスタンプが溜まって追放された、堕天使だった。

『堕天使論』1巻より(くろは/集英社)

神の温情と計らいにより、都合の良い設定の男子高校生の部屋に住民票を登録された彼女は、初めて受肉し肉体を与えられ、人間を愛し天使としての本分を取り戻すことによる、天界への復帰を誓うのだった。

全裸で。

『堕天使論』1巻より(くろは/集英社)

という、ジャンプSQ連載の美少女オバQもの。祝福あれ。

「人類社会・日本社会の初心者」の美少女との同居・居候ものコメディ。類似の作品は枚挙にいとまがありませんが、動きと間と会話芸が中心のコメディの雰囲気は、むしろ冨樫義博の『レベルE』の最初のエピソード、「バカ王子・地球襲来編」が最も近いかもしれません。ありゃ美少女ではないですけど。

『堕天使論』1巻より(くろは/集英社)

美少女オバQは日常コメディが中心ですが、「(主に外の世界の)どこから来たか」「(なにしに)なぜ来たか」で話の縦軸が変わります。

今回の美少女オバQヒロインに持たされたのは、「天界から追放されて」、「肉の体を持つ人間の愛を理解」し、「愛を知って天界に復帰」したいという特性と動機。

精神的な概念の存在だった「天使」が初めて肉体を与えられ、その肉体が感じる便利・不便利と快・不快とを体験することで、

『堕天使論』1巻より(くろは/集英社)

「人間の肉体と精神が不可分である」側面をコメディ漫画で浮き彫りにしよう、という試みにもなっています。

男子高校生の近所の幼馴染の少女、そして堕天使が勝手に主人公を追うように転入した高校のクラスメイトたち、とオーソドックスに脇キャラを増やしつつ展開される1巻。

ギャグコメディとしてとても楽しい作品。

『堕天使論』1巻より(くろは/集英社)

美少女オバQもののエンディングは大別すると

・続く(未決着、終わらない日常)

・居着く(人間化、人生の共有)

・帰る(目標達成、決着、生き別れ)

・連れ帰る(旅立ち・超越)

・死ぬ(事件・事故・寿命などに死に別れ、滅亡・心中)

の5種類ぐらいの基本パターンとその組み合わせしかないんじゃないかと思うんですが(あと例外が「未完」ね)、「美少女の降ってき方」の変化球が面白かったので、日常コメディを楽しみつつも、どんな結末を迎えるのか、1巻にして早くも楽しみな作品。何年先だかわかりませんが。

なんかもう、フリとしては切ないお別れの予感満載なんですけど、

『堕天使論』1巻より(くろは/集英社)

いかにもベタを外して変化球投げてきそうな作風ですよねw

「肉体初心者」の堕天使が衣服を着る意義を理解できないところから始まるため、局部を隠した全裸描写が多く、おそらく、アドセンスNGの警告くると思います。

祝福あれ。

 

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#MFゴースト 16巻 評論(ネタバレ注意)

「MFゴースト」は「頭文字D」と同じ世界観、あっちが基本的に90年代を舞台にした作品であるのに対し、202X年が舞台の続編という位置づけです。大体20〜30年後?という感じ。前作の登場人物たちがおじさんになって脇役で大量に登場。

前作主人公の藤原拓海も本人は登場しないものの、主人公の師匠としてやたら名前がたくさん登場。

『MFゴースト』16巻より(しげの秀一/講談社)

国産車での公道マッチレース(脱法)だった前作に対して、今作は海外製のゴージャスなハイエンドスーパーカーが公道グランプリレース(遵法)を繰り広げるという、クルマ好きには眼福な作品。

レースシーンパートは基本的にはクルマがグルグル走って解説やドライバー自身がブツブツ言ってるだけの漫画なので、そういうのが苦手な人はやめときましょう。

『MFゴースト』16巻より(しげの秀一/講談社)

かっこいいレースシーンと、小出しにされる大ヒット作「頭文字D」のキャラ達の気になる後日談、この2つの撒き餌に寄ってきた硬派な読者たちに、作者の個人的な趣味嗜好であるところのラブコメを無理やり読ませるという、訳のわからない漫画になってきましたが、現にレースシーンはかっこいいし、藤原のその後は気になるし、個人的にはラブコメも大好物なんで全然構いませんがw

第4戦、夏の終わりの高速バトル、「シーサイドダブルレーン」。

『MFゴースト』16巻より(しげの秀一/講談社)

主人公含む「三強」と呼ばれる有力選手が序盤のアクシデントで順位を大きく落とす波乱の展開。

「三強」がトップ集団目指してドッグファイトとパッシングを繰り返す、ファンを熱くさせる派手なレース展開。

そんな熱い戦いの中、どうしても抑えきれずに迸ってしまう作者の熱いラブコメ欲!

ウソでしょ…まさかここで美少女ラブコメ行くの…アタマおかしいでしょ…キミ…

『MFゴースト』16巻より(しげの秀一/講談社)

ちょっと待ってくれ、なんぼなんでもレース中にまでラブコメを進行させるのは普通に考えて無理なんだぜ!

なぜそれがわからんのだ、アムロ!!

という、相変わらず無茶しやがってな展開。

よく「ヒットするにはエンタメ性と作家性のバランス」って言うじゃないですか。

普通、作家性って「自身の内宇宙」とか「トラウマ」とか「思想」とか「葛藤」とかなんですけど、この作家の場合「エンタメ性=クルマとレース」で、「作家性=俺は可愛い女の子とラブコメが描きたい!」なんですよね。

この私、しげの秀一が美少女ラブコメを描こうというのだ!アムロ!

『MFゴースト』16巻より(しげの秀一/講談社)

エロだよそれは!

って言われるまでもなく清々しいまでの作者の丸出しのエゴなんですけど、たぶんラブコメと可愛い女の子を描くのがそんなに上手くないことさえ無視すれば、歴代すべての漫画家の中でもトップクラスにラブコメを愛している漫画家だと思う。

描きてえように描いてもらうしかねんだよ。描いてて楽しいのが一番じゃねえか。

ラブコメに関しては「武器は、伸びしろです」みたいなとこあるけど、その伸びしろでたまに物凄い切なくて良い恋バナ描くんだよこの人。

まあ、どう考えても才能と技術は、国内有数の「クルマ・レース描き」なんだけどねえ…

 

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#ラーメン赤猫 3巻 評論(ネタバレ注意)

ジャンプ+のインディーズ連載から好評につき異例のコミックス発刊、正式連載に昇格した作品。

ブラック企業を退職した人間・社 珠子(やしろ たまこ)が人づての紹介で次の職場として採用面接を受けたのは、猫と虎がラーメンを作り猫が接客する、猫と虎で営業するラーメン屋、「ラーメン赤猫」だった。

『ラーメン赤猫』3巻より(アンギャマン/集英社)

ラーメン丼に毛を落とせない従業員猫たちのブラッシング係、次いで皿洗いを任された社さんと猫たちの、お店日常もの。コメディに寄りつつ人情噺が中心。

本作の猫は人語を解し話しラーメンを作りラーメン屋を経営し、人間並の完全な人権は未整備っぽいものの店舗の経営ぐらいまでは社会から許されている世界観。

たぶんちゃんと納税もしてる。

『ラーメン赤猫』3巻より(アンギャマン/集英社)

主人公というか狂言回しヒロインが人間ということもあり、日常ものが自然、異種間コミュニケーションのお話に。

理屈をつければ「SDG's的な多様性を重視したお話」とも言えますが、教条めいた硬さや押し付けがましさを感じさせない、さらっとした優しいお話。

「ほっこり」って表現が嫌いな人もいることは存じ上げてはおりますが…そんな人は猫がラーメン屋やるような漫画そもそも読まないかw

『ラーメン赤猫』3巻より(アンギャマン/集英社)

ギスギスした社会に疲れた人間を癒してくれる、二重の意味でファンタジーなほっこり系です。

一見、平和で平穏な日常ですが、猫たちと虎と社さんの日々の小さな努力と研鑽の積み重ねがその日常を維持しています。

『ラーメン赤猫』3巻より(アンギャマン/集英社)

また「猫にも歴史あり」と言いますか、ここに至る道程でそれぞれが苦労をしたり出会いがあったりしたその土台の上に、

「日常と言う名の奇跡」

が営まれています。

『ラーメン赤猫』3巻より(アンギャマン/集英社)

「日常と言う名の奇跡」

ですって。

クサいファミリー映画の、いかにも全米が泣きそうな、自分が書くと気でも狂ったようなフレーズです。

『ラーメン赤猫』3巻より(アンギャマン/集英社)

でもまあ、そういうポエミーなことを少し言いたくなるような、そんな感じの漫画。

平たく言うと、日常ものはいつも、面白さと無関係にどの作品も一律に、感想が書きにくくて困ります。

 

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#アオのハコ 9巻 評論(ネタバレ注意)

週刊少年ジャンプ、本誌連載の青春恋愛漫画。

中高一貫校、バドミントン部の1年のホープ・大喜(♂)と、同じ体育館で練習する女子バスケ部の2年で学校のアイドルで大喜の憧れである千夏先輩(♀)。

部活違い・学年違いながら、早朝自主練で千夏先輩と言葉を交わすようになった大喜が、ある朝自宅で目覚めてリビングに降りると、そこには千夏先輩の姿が!

『アオのハコ』9巻より(三浦糀/集英社)

千夏先輩は親の海外転勤に際してもバスケの夢を諦められず、バスケ部OG同士の母親同士のツテで大喜の家に下宿することになった。

という同居設定の青春恋愛もの。コメディ要素ももちろんありますが、成分比的にラブコメ作品じゃないですね。青春恋愛もの。

千夏先輩のバスケにかける覚悟を知った大喜は、彼女にふさわしい男になるべく、自分もバドミントンでインターハイ出場を目指すことに。

『アオのハコ』9巻より(三浦糀/集英社)

新体操部の期待のホープで大喜の幼馴染で片想い中のサブヒロイン・雛を交えた片想い三角関係。王道のメロさ。

図にするとこうなる。

雛→(好き)→大喜→(好き)→千夏先輩

要るか、この図?

今巻は、大喜のバド部、千夏先輩のバスケ部、雛の新体操部の、体育館部活合同の合宿編。

『アオのハコ』9巻より(三浦糀/集英社)

合宿編は恋愛青春もの・ラブコメものの華!という、前巻の文化祭に続く、定番イベントですが、話の中身はサブヒロインの雛ちゃんが失恋していく過程が描かれる、ちょっと重ための話。

「傷つくのが怖い」

「傷つけるのが怖い」

を背景に、最近「失恋をちゃんと描く漫画」がめっきり減ったなー、というイメージがあるんですが、ちゃんと描きます。

『アオのハコ』9巻より(三浦糀/集英社)

好きです。

こういう葛藤って、三角関係を創った作者の責任だと思ってて、やっぱあんま逃げちゃダメだと思うんですよね。

前巻感想でも書きましたけど、最近登場した新キャラ、マネージャーの菖蒲が、よくいる

「こんなに健気な可愛い子をフって泣かせるなんて許せない!」

という量産型MOBムーブ。

雛ちゃんがいい子、というか面倒くさいメインヒロインを喰ってしまう魅力的なサブヒロインの系譜なのは認めますし、自分も雛ちゃん健気で好きですけど、菖蒲さんはちょっと他人の恋愛感情に対する支配欲が強すぎて普通に嫌いです。

が、読者から嫌われるタイプのキャラだという自覚からか、

『アオのハコ』9巻より(三浦糀/集英社)

ちょっと作者(とメガネ)に先手を打たれた感がありますねw

嫌われムーブとわかった上で登場させた以上、なにかこの子にやってほしい役割が、あるんだろうな、と。

 

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#株式会社マジルミエ 6巻 評論(ネタバレ注意)

突如発生し人と社会に害をなし損害を与える怪異を、退治するサービスが「魔法少女」と称され、複数の企業が魔法少女サービスを提供する社会。

就職活動中の女子学生・桜木カナは面接に連戦連敗の最中、大手金融企業の面接中に会議室で発生した怪異に巻き込まれる。

通報で現場に駆けつけた魔法少女の怪異退治「業務」を手伝った縁で、カナは魔法少女ベンチャー企業「株式会社マジルミエ」にスカウトされ、魔法少女として就職することになった…

という、ジャンプ+の魔法少女お仕事漫画。

『株式会社マジルミエ』6巻より(岩田雪花/青木裕/集英社)

『パトレイバー』の「レイバー」のように現実社会に「魔法少女」という大きな「嘘」を一つ放り込んで、魔法少女を企業サービスとして現代社会ナイズ。

嘘の周辺を現実的な描写・展開で固めることで、ファンタジー世界観のリアリティラインを部分的に押し上げてシミュレーションして、お仕事漫画のテイに。

『株式会社マジルミエ』6巻より(岩田雪花/青木裕/集英社)

現実のお仕事で起きそうなストーリーラインで展開するので、特に本作はIT系のシステム開発屋さんが感情移入しやすい作りに。

「今日も一日がんばるぞい!」が『GS美神』よろしくバケモノ退治する漫画、でざっくり説明できちゃいそうな世界観。

『株式会社マジルミエ』6巻より(岩田雪花/青木裕/集英社)

前巻で、「魔法省」あらため「魔力エネルギー庁」と、その支配下にある「新日本魔法エネルギー協会」に加盟し認可された民間企業群、という業界構造も提示されて世界観のリアリティがグッと上がったのと同時に、官民癒着による不正で歪な業界構造、という『パトレイバー』や『攻殻機動隊SOC』っぽい課題も提示されました。

青年漫画ならともかく、少年漫画でこの解像度で官民癒着の不正な業界構造が描かれるのは、なんだか久しぶりな気がしますね。

『株式会社マジルミエ』6巻より(岩田雪花/青木裕/集英社)

「少女の憧れの職業」であることに乗っかって「やりがい搾取」が横行しそう、と言う意味で、アイドルものとも共通するものがありますね。

現場の声が組織内政治を覆す、というのは公務員・サラリーマン含め現場で働く人々のある種の共通の夢で、その夢に寄り添うように描かれている漫画。

サラリーマンの自分には共感ポイントが多く、高いです。

組織が大きくなると現場と経営の距離が遠くなる「大企業病」が原因で、それ故に本作の主人公たちの会社はアンチテーゼとしてベンチャー企業なんですけど、組織の大きさの問題だけじゃないよな、上に立つ者、現場に立つ者、それぞれの資質や相互のリスペクトなど、身につまされることが多いよな、と。

自分がマジルミエの社員だったら、何の役に立てるだろうかと、少し考えてしまいますね。

『株式会社マジルミエ』6巻より(岩田雪花/青木裕/集英社)

それはそうと、「お仕事もの」の中でも軍事・警察・消防などのトラブル対応業務の

「作戦シークエンスの下命と報告の現場無線連絡に対するフェチズム」

というものが昔から在ると思うんですが、

(『パトレイバー』、『エヴァ』、『シン・ゴジラ』、『シン・ウルトラマン』、etc)、

本作のオペレーション無線も

『株式会社マジルミエ』6巻より(岩田雪花/青木裕/集英社)

魔法のエフェクトと併せてとてもカッコよくて、アニメ映えしそうですよね。

アニメ化とかまだ決まってないんですっけ?

早くアニメで観てみたいなあ。

 

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#ちえりの恋は8メートル 1巻 評論(ネタバレ注意)

男子高校生・小滝夢路の、クラスの隣の席の女子は身長が8mだった。

小学生時代の幼馴染だった大嶺ちえりは、中高と夢路と違う学校に進んだ後、8mに巨大化。その前後(?)にその影響なのか、夢路の高校に転校してきた。

『ちえりの恋は8メートル』1巻より(ミトガワワタル/集英社)

国の支援と学校の協力のもと、身長8mながら高校に通うちえりのお世話係に、幼馴染の夢路が指名されたのだった…

という、ジャンプ+でWEB連載中の変則設定のラブコメもの。

「巨女ヒロイン」というと、近年では

・『GIGANT』(奥浩哉)

・映画『シン・ウルトラマン』で一時的に長澤まさみが巨大化

・↑の元ネタは元祖の方の『ウルトラマン』

・自分は読んでないけど『進撃の巨人』も含むのかな?

とか、自分がいま思いつかないのとか知らないやつとか含めて、今も昔もずっと一定の需要があるヒロインジャンル。

『ちえりの恋は8メートル』1巻より(ミトガワワタル/集英社)

世間、ユルいなw

なんで大きくなっちゃったんだとか、科学考証的にどうなのとか、元に戻る方法はとか、社会から迫害されるんじゃないかとか、そういうシリアス要素を全部放り投げて、

「ただデッカい美少女との日常ラブコメがやりたいだけ」

という、「頭は良くないけど気持ちはわかる」みたいな動機の漫画。

「朝、起こしにくる幼馴染」とか記号化・テンプレ化の極致みたいなベタなイベントを、巨大美少女でやっとる。

『ちえりの恋は8メートル』1巻より(ミトガワワタル/集英社)

作者がそう意図して描いてるのかどうか自分はちょっとわからないし、またおっさんの回顧話になっちゃうんですけど、内田春菊の『南くんの恋人』を思い出して比べざるを得ないですよね、この漫画。

本作とは逆にヒロインが小さくなる話で、本作とは逆に世間から隠れて暮らした、本作とは逆に哀しいラブストーリー。

まさに世間からの好奇とか迫害を恐れて、秘密を抱えて「二人の世界」に閉じこもっちゃう話。

『南くんの恋人』より(内田春菊/文藝春秋)

連載〜単行本が1986年〜1987年で、高度経済成長からバブル景気の時代に、『タッチ』、『うる星やつら』、『めぞん一刻』、『きまぐれ★オレンジロード』などの、明るかったりおしゃれだったりハッピーエンドだったりのラブコメが持て囃された時代の終わりに、

「ちょっと待てよ記号化してんじゃねえよ、恋愛とか男と女とかってそうじゃねえだろ」

とアンチテーゼを示すかというか、逆張りかますように生々しく哀しいラブコメでした。

ちょっと重たい名作なんですけど、単行本1冊で完結してサイズは手軽なので、未読の方は機会があったらぜひ。

行方不明扱いになる中、世間から隠れるように恋人の高校生の南くんの世話になる、というか飼われるように過ごしたちよみ(ヒロイン)の、「わざとやってんのか」ってぐらい真逆の、本作のヒロイン・ちえり。

巨大化して学校内の「異物」なんですけど、生活と学校生活は国がオープンに支援してくれて学校も協力的で、いじめられることもなく、校内にちゃんと女友達というか親友もいて、

『ちえりの恋は8メートル』1巻より(ミトガワワタル/集英社)

ちえり自身もデッカくなって人助けとか頑張ってるから街の人気者、みたいな感じで、デッカくなったことがむしろポジティブに描かれてんですよね。

『南くんの恋人』と正反対の、「異物に対する、学校や社会のオープンな需要」という意味では、

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「巨女ヒロインの系譜」というよりは、むしろ一番近いのは『ルリドラゴン』なんじゃないかなと思います。あっちは今んとこ恋愛要素もないですけど。

人間の残酷さをマスクして「こうだったらいいな」っていう理想の多様性、相互理解・国家社会の理解とバリアフリーによる共存、ある意味で御伽話のように優しい世界。

『ちえりの恋は8メートル』1巻より(ミトガワワタル/集英社)

WEB連載1話の第一印象は

「こういうの好きだけど、長くは保たないだろうな」

って思ったんですけど、無事に単行本発売にこぎつけ、今も連載は続いていて、なんだったら1巻のエピソードよりちょっと面白くなってます。

ヒロインがデッカいだけで、やってることはホントに記号化・テンプレ化されたベタなラブコメなんですけど、デカいことでなにやっても絵ヅラがちょっと面白くなるっていうのと、「優しい世界」要素が読者に求められてんのかな、という感じはします。

現実がギスギスしてっからか、近年は「優しい世界」全振りの作品も多いですよね。

好景気でトレンディ指向な世相へのアンチテーゼとして機能した『南くんの恋人』に対して、『ちえりの恋の8メートル』の「優しい世界」が、不景気でギスギスしてる世相へのアンチテーゼに図らずもなっちゃってんな、というのが絶好に対になってるなと思います。

『ちえりの恋は8メートル』1巻より(ミトガワワタル/集英社)

むしろデッカくなって喜んでるもんね、本人。

ただラブコメ漫画でよくある話なんですけど、ちえりの両親の存在、もしくは不在が1巻作中でまったく語られないんですよね。

日常エピソードの積み重ねって、作者のやり様によってはビターエンドに効かせちゃうこともできるので、その辺どう持ってくのかな、と思います。

まあでも、これで「最後、夢路を護って智絵里が死にました」とかアンハッピーエンドだったら、ちょっとしたトラウマラブコメとして伝説になる代わりに、「騙し討ち漫画家」扱いされてめちゃくちゃ荒れるよねw

 

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#ハイパーインフレーション 1巻 評論(ネタバレ注意)

架空の帝国・ヴィクトリア帝国でマスケット銃や帆船、紙幣などが用いられる程度に中世から近代に移行しつつある世界。

ヴィクトリア帝国の辺境の植民地では、ガブール人と呼ばれる民族が帝国に迫害されながら暮らしていた。

『ハイパーインフレーション』1巻より(住吉九/集英社)

禁じられているはずの「奴隷狩り」、ガブール人を侵略し奴隷として人身売買する奴隷商人・グレシャムの暗躍により、ガブール人の巫女の少女・ハルは捕えられ、その弟・ルークをはじめとするガブール人たちも虜囚となった。

極限状態となったルークは精神世界でガブールの神と邂逅し、生殖能力と引き換えに願いに応じた特殊能力を授けられる。

『ハイパーインフレーション』1巻より(住吉九/集英社)

ルークに授けられた能力は「身体から1万ベルク帝国紙幣を無限に湧き出させる」能力、ただし紙幣の通し番号は全て同一の偽札だった。

偽札無限湧き能力を、敵兵への賄賂やオークション落札などに活かしながら、ルークは帝国に対する反乱と姉の身柄の奪還を決意する…

という、…なに?これのジャンルなにw

『ハイパーインフレーション』1巻より(住吉九/集英社)

シンプルながら癖の強すぎる特殊能力に目覚めた辺境少数民族の少年が、知恵と機転で能力の欠点を補いながら、大帝国の奴隷商人や特務スパイ・エージェントと騙し合いの駆け引きを繰り広げる、…繰り広げる、「頭脳バトルもの」と説明するべきなんかな。

まだ1巻なんでよくわからん。

『ハイパーインフレーション』1巻より(住吉九/集英社)

絵ヅラも展開も一見は荒削りながら、ルークの敵を出し抜く駆け引きや、役割を予見して注意深く配置されたキャラクターなど、読んでみるとけっこう緻密。

主人公の少年・ルークの「同じ通し番号の精巧な偽札を身体から無限湧きさせられる能力」も、シンプルながら癖が強くて決して万能ではないんですけど、それを補う頭脳戦・駆け引きが見どころ、という感じ。

『ハイパーインフレーション』1巻より(住吉九/集英社)

『HUNTER×HUNTER』のヒソカが、バンジーガムとドッキリテクスチャのシンプル癖強な能力の、長所だけを活かして闘うスタイルをちょっと想起しますね。

ところで、この主人公の少年のルックスというか、露出多めでエロスレスレの造形・描写は、作者の手癖というか、業なんですかね。

『ハイパーインフレーション』1巻より(住吉九/集英社)

作者もなんか癖が強くておもろいなあw

 

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#シメジ シミュレーション 4巻 評論(ネタバレ注意)

中一で学校が嫌になり、科学者?の姉と二人暮らしの団地の押入れに引きこもっていたら頭からシメジが生えてきた月島しじまは、一念発起して押入れを出て受験して高校に通うことにした。

高校では読書をして他人との交わりを持たないつもりだったが、頭に目玉焼きを乗せたメガネっ子の山下まじめがグイグイくるので、友達になる。

『シメジ シミュレーション』4巻より(つくみず/KADOKAWA)

2人は穴掘り部に入部したり、美術の授業を受けたり、ファミレスに行ったり、頭のシメジが増えたり、学校をサボったり、お泊まり会をしたり、姉の作ったおかしな機械でおかしな夢を見たりする。

『少女終末旅行』のつくみず先生の現作は、女子高生2人の少し不思議なんかファンタジーなダルくてユルくてアンニュイな不条理日常4コマ。

4コマ漫画ですが、半分ギャグコメディ、半分は詩という感じ。

『シメジ シミュレーション』4巻より(つくみず/KADOKAWA)

『少女終末旅行』の主人公、チトとユーリも意味があるのかないのか、毎巻必ずカメオ出演。

前巻で、何かの研究者であるところの、しじまの姉によって、世界は人が思念したように形を変える世界に改変されてしまった。

『シメジ シミュレーション』4巻より(つくみず/KADOKAWA)

そして人によって思念の形が違うため、人々の思念によって世界はめちゃくちゃになった。

しかし、意外と誰も困っていなかったので、めちゃくちゃになった世界で人々も、しじまとまじめも、それなりに順応して暮らしていた…

「シュール」と「理不尽」って意味一緒でしたっけ? とにかく、そういう感じ。

『シメジ シミュレーション』4巻より(つくみず/KADOKAWA)

この漫画が語っていること、作者の意図を、「私は理解できる」っつったら自分が言ったらそれは嘘なんですけど、サイケデリックで哲学的な夢の中のような世界。

雑に喩えれば、「人類補完計画」でみんなLCLだかLSDだかで一つに溶け合う途中、その過程を見せられているような気分になりますが、雑な喩えが先入観になって理解を阻む例かもしれません。

『シメジ シミュレーション』4巻より(つくみず/KADOKAWA)

今巻の終盤や、1巻以来の展開を俯瞰で見ると、「どうもこの作品、ストーリーがあるっぽい」と今更ながら。

人間の空想の限界?当事者としての空想の支点と対象としての力点?当事者性を失うことによる?カオスのインフレ?

こういうときは原点というか、先々のタイトル回収を見越してタイトルに回帰して…「シメジ」の(?)「シミュレーション」でしょ。ヒロイン・シメジの、計算やシステムによる模擬…「計算」って確か今巻で複数回出てきたけど…うーん…?

自分が「意味の迷路」に勝手にハマってるだけのような気も…

 

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#初×婚 1巻 評論(ネタバレ注意)

「ういこん」と読みます。

1巻からして既に「普通の少女漫画」の最終巻みてえな表紙だなw

 

「少女漫画誌でよくね?」みたいな恋愛漫画が少年誌レーベルで描かれる一方で、少女漫画レーベルで自分が読んでる漫画ってこういうので、

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上澄だけ掬って読んでるというか、まあ要するにあんま少女漫画読んでないんですけど、「むかし読んでた『りぼん』には今どういう恋愛漫画が載ってるんだろう?」とちょっと疑問に思ってたところに、ちょうど先日、年に一度の小学館漫画賞が発表されて、

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「児童向け部門」でこの『初×婚』が受賞していたので。

自分は数ある漫画賞の中でこの賞を、上位3つに入れるぐらいには信用しています。

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ちなみに今回の最終選考委員は、おのえりこ、川村元気、島本和彦、ブルボン小林、細野不二彦、松田奈緒子、松本大洋とのこと。

小学館漫画賞に選ばれる少女漫画ってのは、そもそも「児童向け部門」「少女向け部門」の年に2枠しかなく、うち「児童向け」は男児向けが1/2の確率で選ばれたり、たまに「該当なし」だったりするし、ましてや小学館以外の作品が選ばれるのも数年に一度レベルで、要するになかなかレアなことが起きたので、対象読者層から自分が大きく外れていることは承知の上で、とりあえず1巻を読んでみました。

1巻は2019年の刊です。2023年1月時点で既刊10巻。

 

高一の少女・倉下 初(くらげ うい)が入学したのは、世界有数のIT長者・七海夫妻が新しく設立した私立七海学園高等学校。

『初×婚』1巻より(黒崎みのり/集英社)

七海夫妻のIT企業・セブンオーシャン社が開発したマッチングAI「デステニー」により、新入生の男女は全員が入学時点であらかじめマッチングされ、しかも全寮制でマッチングされた男女が同室で暮らす、という狂った学校だった。

3年間の高校生活を通じてベストカップルを選定、選ばれたカップルは入籍し、IT長者である七海夫妻の後継者として大企業ブルーオーシャンの社長の座につき、すべての資産を相続する、そのためだけに設立されたという特殊な高校だった。

『初×婚』1巻より(黒崎みのり/集英社)

これ既にネットで書いてる人いっぱいいるでしょうけど、建て付けとして要するにデスゲームです。

罰としての死の代わりに、報酬としての地位と資産が用意されている、というだけで、ルールの上では「他人を蹴落として生き残るサバイバル」という意味で完全にデスゲームの換骨奪胎。

あるいは「セックスしないと出られない部屋」の亜種。

AIマッチング婚姻の社会実験的なSFという意味では『恋と嘘』に近い発想の作品。

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あっちは国にマイルドに強制されていたけど、こっちは一応、志願者たちが入学してる、という。

君たち大丈夫か? 親に売られてないよね?

現実に近い分、一見トンデモ設定に見えるんですけど、少年漫画・少女漫画のトンデモ設定ってのはマーマレード的なボーイな何かとか昔から一定数あって(『魁!男塾』ほどトンデモではないと思う)、ある種の極限状態からスタートするので恋愛的にテンパった展開に辿り着きやすいってのはあります。

『初×婚』1巻より(黒崎みのり/集英社)

デスゲームのメタな攻略法として、「みなさんに殺し合いをしてもらいます」と言ってるビートたけしを初手で全員がかりで殺す、というのが周知されてしまって、近年のデスゲームの主催者はモニター・スピーカー越しで話しかけてくる軟弱者ばかりになってしまいましたが、このルールだと初手で主催者殺すわけにもいかないというか、そもそも志望者の集まりなので、基本的にみんな15歳なのにマッチング目当てかつ金目当て、という、児童向け部門らしからぬ欲望丸出しの動機づけによる、児童向け部門らしいわかりやすい初期設定。

 

高一の男女を寮の同室でペアで生活させるということで、セックス祭りになりそうというかエロ漫画とかでよくありそうな設定ですけど、一応セックス禁止令的なシステムと、

『初×婚』1巻より(黒崎みのり/集英社)

ゴールデンカップルを目指すサバイバルレースのポイント上のペナルティがあって、抑止されている仕組みになってます。

実は

「年頃の男女を閉鎖空間に閉じ込める」

「でもセックスは禁止で〜す」

「セックス禁止令を破ると内申が下がったり退学になりま〜す」

ってのは、学校やクラスというもう少し大きい学校教育の箱で現実で行われてきていることで、よりシンボリックに箱を更に小さくしただけっちゃだけなんですよね。

ただ狭い空間で対峙する相手がクラスメイトたちじゃなくて、男と女が1体1で対峙しなくちゃいけない檻である「擬似夫婦」「擬似家族」と、より狭い人間関係に限定されてます。

 

空間からクラスメイトが排除されたことによってスクールカーストからは自由になったのか、というとそんなことはなく、彼女ら彼らの男女ペアの学校生活はブルーオーシャン社の社員によって常に撮影(盗撮)されており、

『初×婚』1巻より(黒崎みのり/集英社)

その様子が専用SNSにアップされ、ブルーオーシャン社の社員たちに「いいね!」をされ、その「いいね!」数がベストカップ選定にポイントとして加算されるという仕組み。

狭い檻の外に「SNS映え」を通じてバズり合戦の新たなスクールカーストと、カップル同士が相互に物語として消費しあう恋愛リアリティショー要素が存在しています。

急いでタワマンに住んでタピオカなどを飲め。

あとこの舞台、新設校なんで1年生しかおらず、いわゆる人間関係における「縦の関係」が存在しないんですね。

「お前ら生意気だ」っつってシメてくる先輩がいない代わりに、師匠とか手本とか主人公たちを導く存在だとか、「アルファ」「憧れの存在」みたいなロールモデルが強いて言えば理事長(学長?校長?)の七海夫妻ぐらいしか存在してない上に、七海夫妻は今んとこなんの参考にもなんねえっていうw

サバイブする方法論が確立してない上に「継がれる想い」みたいな要素も薄くて、テクニック面でも思想面でも自分たちで手探りでやっていくしかないっていう、その辺も学園ものというよりデスゲームっぽいです。

 

金目当てのリアリストのクールな美少年・紺くんと同室パートナーになったヒロインの初(うい)は、ラブラブだった両親を2年前に亡くしています。

天涯孤独となった少女が「喪われた家族を再び手に入れる」という、チャラい世界観の割りに重たくてピュアな動機づけ。

『初×婚』1巻より(黒崎みのり/集英社)

「喪われた家族(共同体)を代わりのもので再構築したい」という動機は、漫画やアニメで言えば『鉄腕アトム』の誕生エピソードの頃から『エヴァンゲリオン』の碇ゲンドウやシンジくんまで、誰もが多かれ少なかれ持ってる強力な欲求で、伝統的で普遍的な欲求を持つ少女が、いかに個人主義と「SNSの緩い繋がり」の現代の地雷原を歩いていくのか、というお話。炎上とかするんですかねコレ。

紺くんが金目当てのクールなリアリストな理由は1巻では描写されなかったですけど、そのうち描写されるんだろうという感じですけど、初と紺くんが擬似的な「仮面夫婦」の関係からスタートするというのも、現代的というか二重の意味で「家族の再生」に向かう設定ですよね。

 

デスゲームの勝利条件というのは当初は「サバイブすること」なんですけど、もはや古典の『バトル・ロワイアル』原作小説の続編のように、最終的・究極的には

「デスゲームの枠組みから自由になること」

「デスゲームの枠組みをぶっ壊すこと」

に行き着かざるを得ないんじゃないかなと自分は思ってます。

この作品も初期設定は一見、倫理観が狂った問題作というか、いけ好かないディストピアすれすれのトンデモ設定なんですけど、その与えられた理不尽なルールやレール、枠を乗り越えて自分の意志で人生を選んでいく姿を読者に見せることが、少年漫画・少女漫画の主人公たちの役割の一つなのかな、と思います。

他人が作ったルールそのものを壊していく、『ハンター』のゴンがよくやるやつね。出口が2つしかない部屋で壁をぶち抜いて第3の出口を自分で作って脱出する的な。

 

1巻は正直、特殊な初期設定と主人公二人のキャラクターを消化するうちに尺が終わってしまったので、人気少女漫画に定番の個性豊かなキャラクターの群像劇要素とかまだ薄くて、主人公二人以外のネームドの重要キャラがほとんどいません。

「他社作品ながら小学館漫画賞受賞」に値するようなドラマはまだ起こっていないんですけど、面白くなりそうな種というか地雷をたくさん埋めて、フックとして役割を果たした1巻、という感じ。

一見突飛な設定なようでいて、「デスゲーム」「社会SF」「マッチング恋愛」「閉鎖的な人間関係」「SNSのバズり合戦とカースト」「恋愛リアリティーショー」「仮面夫婦」と、現実社会で若者を取り巻く現代的な要素の風刺的なメタファーが、地雷として割りと露骨にあちこちに埋め込まれた初期設定。いや、現実社会でデスゲームに巻き込まれる若者は滅多にいねえよ。

既刊10巻とか出てる現在の時点で受賞してるんで、本格的に面白くなるのは5巻過ぎぐらいなんですかね。

『初×婚』1巻より(黒崎みのり/集英社)

オーソドックスな少女恋愛漫画的には、可愛い系美少年ながら金目当てのクールなリアリストの紺くんが、初にデレるところを愛でる漫画なのかな、と思います。

仮面夫婦から始まる恋、というと少年漫画・少女漫画周辺で言えば、『ジョジョ』四部の吉良吉影が扮する川尻浩作とその妻・川尻しのぶの未満恋愛描写を、ちょっと思い出します。

 

なおこの記事は「いかにもこのあと面白くなりそうな期待作」みたいに書いてますけど、「小学館漫画賞受賞」という途中結果から逆算して先入観と偏見で書いたものなので、あんまり真に受けないでください。

そもそも既刊10巻のまだ1巻で読者としてだいぶ出遅れてる上に、正直1巻時点ではまだそこまで面白い漫画ではないです。

というわけで、続き読も。思ったのと全然違う漫画になってたら笑う。

 

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#中卒労働者から始める高校生活 18巻 評論(ネタバレ注意)

いい表紙だな。

今巻末の次巻予告がコレなんですが、

『中卒労働者から始める高校生活』18巻より (佐々木ミノル/日本文芸社)

 

あー、「千切れる」と「契れる」のダブルミーニングなのか!

 

母親を亡くし父親は刑務所、中卒で工場で働く主人公。

3つ下のブラコン妹の公立高の受験失敗と、職場での学歴コンプレックスがきっかけで、妹と一緒に通信制高校に通うことに。

事情を抱えたヒロイン、親の勧める名門校を蹴って通信制高校に。

2人は惹かれあいつつ、世代もバラバラないろんな同級生たちとの交流を通じて、卑屈だった自分と向き合って少しずつ成長していく青春恋愛もの。

『中卒労働者から始める高校生活』18巻より (佐々木ミノル/日本文芸社)

序盤の2巻で女の子が陰湿な性暴力の被害に遭うシーンがあるので、そういうシーンを観ると気分が落ち込む人等はこの作品は読まない方が良いです。

主人公たち兄妹の父親が出所、紆余曲折ありヒロインを交えての面会中に主人公の父親が酔って錯乱、ヒロインに怪我を負わせてしまう。

信頼してくれていたヒロイン側の父親に「娘と別れてくれ」と告げられた主人公は…

『中卒労働者から始める高校生活』18巻より (佐々木ミノル/日本文芸社)

主人公2人の別れから4巻が経ちまして、未だに尾を引き続けています。(話のメインなので当たり前ですが)

精神的に復活してタフになったヒロイン、もうあとはヨリを戻すにあたってキッカケと、別れを決意した主人公をオトす決め手があれば、というところ。

スピンオフで、主人公とヒロインの10年後ぐらいのラブイチャ結婚生活ものもやってて、

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復縁してハッピーエンドなのは見えてはいるんですけど、

『中卒労働者から始める高校生活』18巻より (佐々木ミノル/日本文芸社)

とりあえず、よかったねえ、よかったねえ。

本作中では元・受刑者で出所してもアレな感じの父親が二人の関係に昏い影を落とします。

ヒロインと復縁するためにも、自分たち兄妹の出自であり今なお人生に影を落とし続ける、父親との決着を決意するが…

どうするんでしょうね、親父。

『中卒労働者から始める高校生活』18巻より (佐々木ミノル/日本文芸社)

そもそも父親としての役割を果たす意志も能力もないし、子を必要ともせずに亡くした妻の幻影を見ているだけの父親なので、主人公が絶縁を迫ればあっさり絶縁できそうに見えますけど、人間はモノじゃないしね。

漫画の中の胸糞悪い要らない人間だからって、あっさり捨てちゃうのもの後味悪いよね、っていう。

『中卒労働者から始める高校生活』18巻より (佐々木ミノル/日本文芸社)

作者は何か、この父親にも救済を与えようとしているようにも見えるんですが。

どうするんだろう。

最近、漫画を読んでいて「ダメ親(毒親)を見捨てる子ども」の話がよく目につく気がするんですが、実際そうなのか、昔からそうだったものを私が意識するようになったのか、たまたまなのか。

 

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#とらドラ! 11巻 評論(ネタバレ注意)

まだ、やってます。

ラノベブーム初期の名作・映像化の成功事例として語られるラノベのコミカライズ。

自分、最初にこの作品に出会ったのがコミカライズの1巻だったこともあって、原作もアニメも観てないんですよね。今だったらSVODでたぶんアニメ全話観れちゃうんですけど。

「とらドラ!」11巻より(竹宮ゆゆこ/絶叫/ヤス/KADOKAWA)

コミカライズの前巻は2021年11月、その前は2019年6月、1巻は2008年、アニメ化されたのも2008年、原作ラノベの1巻は2006年の刊行とのことです。

「なんでこんなに続きが出るの遅いんだろう」とか「1つの作品のコミカライズに1人の漫画家をこんなに長期に拘束するのどうなの」とか思ってた時期もあったんですけど、ぶっちゃけ事情とか全然知らねんですけど、途中で行方不明になるコミカライズも多い中、年1冊以下のペースでも待ってさえいればコツコツ着実に続きを描いてくれて、今はもう応援しかしてねッス。

「とらドラ!」11巻より(竹宮ゆゆこ/絶叫/ヤス/KADOKAWA)

両片想いなのに、互いに相手の当初の恋愛成就にこだわり、当初の恋愛相手は友情優先で、と主要登場人物のほぼ全員が自分より誰かの恋愛感情を優先した結果、こじれにこじれたところに、更に進路の悩みも重なって、という展開。

「闇は夜明け前が最も深くなる」というか、高校3年生の進路を悩む時期と恋愛と友情の人間関係のもつれに加えて、今巻ではとうとう「生まれと育ち」(親)にも遡って、作品クライマックス前の曇らせ展開が大噴火、という巻。

「とらドラ!」11巻より(竹宮ゆゆこ/絶叫/ヤス/KADOKAWA)

未成年の高校生の無力感と、経済的にも精神的にも良かれ悪しかれまだ親の影響下、というのもそうなんですけど、ガキのくせに「自分を置いといて他人の幸福をプロデュースしよう」という各キャラの魂胆が、自分が思春期だった頃を顧みてもこう、虫唾が走りますねw

「とらドラ!」11巻より(竹宮ゆゆこ/絶叫/ヤス/KADOKAWA)

「テメエを幸せにできねえガキが10年早えよ」っていう。特に他人の恋愛プロデュースしようとするガキ。そら、みのりんじゃなくてもブチ切れるわっていう。

「子に自分が叶わなかった夢や人生を仮託する親」ってのもまあ代償行為みたいなのが透けて見える瞬間がウザいってのはあるんですけど、親には多かれ少なかれあることだっていうのと、ガキ同士の幸福プロデュースごっこと違って「産んだ責任」とか「産んだ時に感じた祈り」みたいなものでドライブしてるとこがあるので、ガキの衝動とは言え、

「とらドラ!」11巻より(竹宮ゆゆこ/絶叫/ヤス/KADOKAWA)

これはさすがにやっちゃんが可哀想すぎるなーと思います。

やっちゃんの半生に唾を吐きかけるような言葉。毒親に向けるセリフなんだけど、やっちゃん毒親じゃねえし。

竜児テメーやっちゃん泣かしてんじゃねえよ。ちゃんと謝れよ。ぶっ殺すぞ。

って、ぶん殴る大人がいない話なんですけど。

前述のとおり原作とアニメを未体験ですが、アニメ全25話の24話あたりの話なのかな、作品の谷で、ここを越えればもうエンディングまで一直線かな、と思います。

あと一冊か、二冊か。

 

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